サレジオの器
1.事件の発覚
ある日、美の”タカラモノ”を見つけた
聖フランシスコ・サレジオ
1月24日に、カトリック教会は聖フランシスコ・サレジオの日としてお祝いをします。サレジオ会の名前はここから取られています。サレジオ会の創立者ヨハネ・ボスコ神父(通称ドン・ボスコ)は、日本の幕末と同じような混乱した状況だった19世紀のイタリアで、特に貧しい青少年の教育に力を入れた人です。彼の人生に一番大きな影響を与えた人物が聖フランシスコ・サレジオで、修道会の正式名称に自分の名前をメインに持ってこないで、サレジオ修道会と名づけました。
この聖フランシスコ・サレジオは宗教革命後のスイスのジュネーブに、司教として派遣されました。当時のジュネーブは熱狂的なカルバン派のキリスト教の町でした。ここに反対の立場にあるローマ・カトリック教会の司教としてやって来たのです。いろいろな形の迫害があったかもしれません。しかし、彼の葬儀の時、町の大半の人が葬儀に参列し、彼の死を悲しみました。当時の司教としては珍しいほど気軽に人に接する人物でした。敵、味方という区別もなく、出会う人を大切にした人です。分かりやすい話をし、どんな人をも受け入れ、出会った人自身が「自分は大切にされている」と感じるような接し方をした人です。司教と言う高い身分を持っていましたが、それを表に出さず、気さくなおじさんとして生涯を終えました。
ドン・ボスコはこういう人柄や人生を学び、自分の生きる糧にしました。そして、自分の学校に集まる教職員や生徒にも、自分と同じように、人を受け入れ、「自分は大切にされている」と感じるような人との接し方を引き継ぐことを願い、サレジアンという名を付けたのです。わたしたちの国には「一期一会」という言葉がありますが、この言葉のように人をそして時間を大切にしてほしいと願っています。(「学校法人日向学院」HPより抜粋)
いつもながらのあわただしく騒音に押しつぶされそうなオフィス空間。どこか騒然としているが、皆が自分の仕事に不自然なくらい過集中している分、どこか他人が異世界の住人に見えた。まるで絵画の中で大勢の群衆の中で誰か一人だけ浮いている存在として際立って描かれた悲劇の主人公かのような・・・そんな存在。今までこの世の物語の主人公になれるなんて微塵にも思わなかった平凡極まりない性格である自分が、その日はなぜかこの舞台の主役に思えた。それは、この混沌とした残酷的で現実的過ぎるほどうんざりする日常に覆われた暗黒で退屈な世界を救うヒーローなのか?はたまた、この世に足掻きもがいている悲劇の主人公なのか・・・今年の春に25歳になったばかりの形見修一は、いつもながらの仕事場の風景をそんな感じで捉えていた。
この現実世界は混沌としたカオスではあるが、極平凡な日常生活が繰り返されるだけの惰性的な日々だとずっと思っていた。少なくとも修一の人生は今までずっとそうだった。しかし、それらは脆く崩れていく様を見ることは想像もしなかった。少なくとも、修一は今までは平穏無事に過ごしてきたつもりだった。極平凡で惰性的とはいえ、エリート進学校であるサレジオ学院をトップの成績で卒業し、現役で早稲田大学政治経済学部に受かり、成績もオールAで主席で卒業したほどである修一には少なくともこの世界は平和に見えた。特に自分に不満はなかったし、運よく自分のポテンシャルともいえる潜在能力を十二分に発揮できて大いに努力が報われてきた人生だった。就活もとんとん拍子でうまくいき、他の無名大学の学生らが四苦八苦している最中にちゃっかりと10社も受けない間にトップ優良企業である野間証券に難なく受かった。すべてが順調だった。学生時代から付き合っていた美人の彼女である桜井穂乃花とも順調にうまくいっていた。彼女も大手の広告代理店の営業職で受かっていて入社後も仕事は順調で、週末に会う彼女とのプライベートのひと時は格別であり特別な瞬間だった。
しかし、この世の不思議というのは誠に小説よりも奇なる事実に他ならないのだ。そのことを改めて思い知らされたのはある日、インベストメントバンキング部門の部長である国枝から部屋にお呼び出しがかかったことからだ。
「形見君・・・これは一体どういうことなのか・・・納得いく説明してもらおうか?」
いかにも部長の個室とも言えるほど立派で荘厳な雰囲気を醸し出していた部屋に個人的に呼び出されて、ガチガチに緊張しながらあらかじめ用意された椅子に座ったら一呼吸をする間もなくそう一喝するかのように質問された。
「これは・・・すみません、よく事情が・・・分かりません。」
修一は机の前でひれ伏すようにそう答えた。なぜかは分からないが、自分が何らかの取り返しのつかない重大なミスをしたから呼ばれたのだということはそれとなくで分かった。
「事情が分からないだ!?今朝発行された経済誌エコノミックスの記事に書かれていただろう!最近の若者は経済誌も読まないのか?それで野間証券の社員とは聞いて呆れる。」
国枝部長は容赦なく叱責してくる。どうやら自分が何か重大なミスをしでかしてそれが有名経済雑誌の記事にまでなってしまったようだった。
「それでも早稲田大学卒なのか?ほんと大学名も名ばかりだな。」
国枝の隣にいた芝田課長代理が横からしゃしゃり出るかのように嫌味な口調で言ってきた。
「すみません・・・事情をまだ知らないものでご説明お願い致します。」
何がなんだか分からなかったので修一はひとまずそう返事した。
「ったく・・・これだから最近の若手社員は使えない。学生に毛が生えたようなもんだからと思って大目には見ているがまさかこれほどまでとは・・・」
「まったくおっしゃる通りです」
国枝部長に磯巾着のごとく同調するかのように芝田は言った。
修一は何がなんだか分からなかったが、部長と課長代理にまるで包囲されて一網打尽されるような圧迫された雰囲気に押しつぶされそうになっていた。
「もういい・・・バカに説教しても仕方ない・・・芝田君、この無法者に説教する意味も含めて教えてあげたまえ。」
国枝部長がそういうと芝田はまるであらかじめ打ち合わせをしていたかのような演出じみた面持ちで何度かこくりとうなずいた。
「承知致しました。では説明させていただきます。」
もったいぶるかのように芝田課長代理は説明しだした。
「今朝発行された経済誌エコノミックスに書かれた記事の知らないならまず、そこから説明しよう。今回問題となっているのはずばり君の誤発注の件だ。知らないとは言わせないぞ。君が担当しているジェノンテクノロジーの新規の売り注文で君は本来なら「1株47万円の売り」とするところを「1円で47万株の売り」と間違って入力して株価が暴落した。」
芝田課長はそこまで説明し終わるとこちらをきっと睨みつけるようにして顔を向けてきた。まるで体ごと180度回転したかのような大げさな素振りでこちらの方向を旋回してきたように見えた。
「それは・・・知りませんでした。ですが、それは本当なのですか?」
修一は何が何だか分からず呆気に取られてしまい、また動揺を隠すためにとっさにそう聞き返してしまった。
ある日、美の”タカラモノ”を見つけた
聖フランシスコ・サレジオ
1月24日に、カトリック教会は聖フランシスコ・サレジオの日としてお祝いをします。サレジオ会の名前はここから取られています。サレジオ会の創立者ヨハネ・ボスコ神父(通称ドン・ボスコ)は、日本の幕末と同じような混乱した状況だった19世紀のイタリアで、特に貧しい青少年の教育に力を入れた人です。彼の人生に一番大きな影響を与えた人物が聖フランシスコ・サレジオで、修道会の正式名称に自分の名前をメインに持ってこないで、サレジオ修道会と名づけました。
この聖フランシスコ・サレジオは宗教革命後のスイスのジュネーブに、司教として派遣されました。当時のジュネーブは熱狂的なカルバン派のキリスト教の町でした。ここに反対の立場にあるローマ・カトリック教会の司教としてやって来たのです。いろいろな形の迫害があったかもしれません。しかし、彼の葬儀の時、町の大半の人が葬儀に参列し、彼の死を悲しみました。当時の司教としては珍しいほど気軽に人に接する人物でした。敵、味方という区別もなく、出会う人を大切にした人です。分かりやすい話をし、どんな人をも受け入れ、出会った人自身が「自分は大切にされている」と感じるような接し方をした人です。司教と言う高い身分を持っていましたが、それを表に出さず、気さくなおじさんとして生涯を終えました。
ドン・ボスコはこういう人柄や人生を学び、自分の生きる糧にしました。そして、自分の学校に集まる教職員や生徒にも、自分と同じように、人を受け入れ、「自分は大切にされている」と感じるような人との接し方を引き継ぐことを願い、サレジアンという名を付けたのです。わたしたちの国には「一期一会」という言葉がありますが、この言葉のように人をそして時間を大切にしてほしいと願っています。(「学校法人日向学院」HPより抜粋)
いつもながらのあわただしく騒音に押しつぶされそうなオフィス空間。どこか騒然としているが、皆が自分の仕事に不自然なくらい過集中している分、どこか他人が異世界の住人に見えた。まるで絵画の中で大勢の群衆の中で誰か一人だけ浮いている存在として際立って描かれた悲劇の主人公かのような・・・そんな存在。今までこの世の物語の主人公になれるなんて微塵にも思わなかった平凡極まりない性格である自分が、その日はなぜかこの舞台の主役に思えた。それは、この混沌とした残酷的で現実的過ぎるほどうんざりする日常に覆われた暗黒で退屈な世界を救うヒーローなのか?はたまた、この世に足掻きもがいている悲劇の主人公なのか・・・今年の春に25歳になったばかりの形見修一は、いつもながらの仕事場の風景をそんな感じで捉えていた。
この現実世界は混沌としたカオスではあるが、極平凡な日常生活が繰り返されるだけの惰性的な日々だとずっと思っていた。少なくとも修一の人生は今までずっとそうだった。しかし、それらは脆く崩れていく様を見ることは想像もしなかった。少なくとも、修一は今までは平穏無事に過ごしてきたつもりだった。極平凡で惰性的とはいえ、エリート進学校であるサレジオ学院をトップの成績で卒業し、現役で早稲田大学政治経済学部に受かり、成績もオールAで主席で卒業したほどである修一には少なくともこの世界は平和に見えた。特に自分に不満はなかったし、運よく自分のポテンシャルともいえる潜在能力を十二分に発揮できて大いに努力が報われてきた人生だった。就活もとんとん拍子でうまくいき、他の無名大学の学生らが四苦八苦している最中にちゃっかりと10社も受けない間にトップ優良企業である野間証券に難なく受かった。すべてが順調だった。学生時代から付き合っていた美人の彼女である桜井穂乃花とも順調にうまくいっていた。彼女も大手の広告代理店の営業職で受かっていて入社後も仕事は順調で、週末に会う彼女とのプライベートのひと時は格別であり特別な瞬間だった。
しかし、この世の不思議というのは誠に小説よりも奇なる事実に他ならないのだ。そのことを改めて思い知らされたのはある日、インベストメントバンキング部門の部長である国枝から部屋にお呼び出しがかかったことからだ。
「形見君・・・これは一体どういうことなのか・・・納得いく説明してもらおうか?」
いかにも部長の個室とも言えるほど立派で荘厳な雰囲気を醸し出していた部屋に個人的に呼び出されて、ガチガチに緊張しながらあらかじめ用意された椅子に座ったら一呼吸をする間もなくそう一喝するかのように質問された。
「これは・・・すみません、よく事情が・・・分かりません。」
修一は机の前でひれ伏すようにそう答えた。なぜかは分からないが、自分が何らかの取り返しのつかない重大なミスをしたから呼ばれたのだということはそれとなくで分かった。
「事情が分からないだ!?今朝発行された経済誌エコノミックスの記事に書かれていただろう!最近の若者は経済誌も読まないのか?それで野間証券の社員とは聞いて呆れる。」
国枝部長は容赦なく叱責してくる。どうやら自分が何か重大なミスをしでかしてそれが有名経済雑誌の記事にまでなってしまったようだった。
「それでも早稲田大学卒なのか?ほんと大学名も名ばかりだな。」
国枝の隣にいた芝田課長代理が横からしゃしゃり出るかのように嫌味な口調で言ってきた。
「すみません・・・事情をまだ知らないものでご説明お願い致します。」
何がなんだか分からなかったので修一はひとまずそう返事した。
「ったく・・・これだから最近の若手社員は使えない。学生に毛が生えたようなもんだからと思って大目には見ているがまさかこれほどまでとは・・・」
「まったくおっしゃる通りです」
国枝部長に磯巾着のごとく同調するかのように芝田は言った。
修一は何がなんだか分からなかったが、部長と課長代理にまるで包囲されて一網打尽されるような圧迫された雰囲気に押しつぶされそうになっていた。
「もういい・・・バカに説教しても仕方ない・・・芝田君、この無法者に説教する意味も含めて教えてあげたまえ。」
国枝部長がそういうと芝田はまるであらかじめ打ち合わせをしていたかのような演出じみた面持ちで何度かこくりとうなずいた。
「承知致しました。では説明させていただきます。」
もったいぶるかのように芝田課長代理は説明しだした。
「今朝発行された経済誌エコノミックスに書かれた記事の知らないならまず、そこから説明しよう。今回問題となっているのはずばり君の誤発注の件だ。知らないとは言わせないぞ。君が担当しているジェノンテクノロジーの新規の売り注文で君は本来なら「1株47万円の売り」とするところを「1円で47万株の売り」と間違って入力して株価が暴落した。」
芝田課長はそこまで説明し終わるとこちらをきっと睨みつけるようにして顔を向けてきた。まるで体ごと180度回転したかのような大げさな素振りでこちらの方向を旋回してきたように見えた。
「それは・・・知りませんでした。ですが、それは本当なのですか?」
修一は何が何だか分からず呆気に取られてしまい、また動揺を隠すためにとっさにそう聞き返してしまった。