火曜日の幻想譚 Ⅳ
437.星の視線
昔から惑星の画像が苦手だ。ああいった画像はネット上に多く転がっているが、どうにも怖くて仕方がない。恐ろしさをこらえて注視すると、その星の引力で、吸い込まれてしまうのではないかと感じてしまう、画像でしかないというのに。
特に苦手なのは、太陽系でいえば火星以遠の大きな惑星たち。木星の大きさ、土星の輪っかのインパクトや比重の軽さ (水より軽いらしい)、天王星の傾き、海王星の風速。でかいだけじゃなく個性もあるこの面々を、興味本位でちょっと調べようと思うと、恐ろしい画像がひょいと顔をのぞかせる。
それだけじゃない、それよりさらに上がいる。恒星どもだ。個性的な惑星どもをたばねる太陽ですら、まだ小物というすさまじい巨人たち。ショック死する覚悟で、それらの画像を開いてみる。しかし、それほど恐怖感はない。おかしいなと思い、さらに大きい星団や銀河なんかを見てみるが、雄大さは感じるものの恐怖感はそれほどでもない。
何が違うんだろうかと考える。吸い込まれそうな怖さがあることを考えると、被写体との距離がまず違うのではないかと思った。それに、もう一つ、気付いたことがある。惑星の画像には、他の星が写っていない。背景は真の闇である場合が多い。その一方で、恒星は他の星が背景に存在しているし、星団や銀河も、そもそも複数の星を表しているので、複数の星々が画像に収められているのだ。
ということは、私はふかんする、見下ろすような画像ならそれほど怖くはないらしい、その理由までは分からないが。そういえば、星の大きさ比較なんて画像もよく見るが、そちらもそれほど恐怖を感じない。それとは反対に、一対一で向き合うような画像には、何か底がしれない恐ろしさを感じてしまうようだ。
そう考えれば、人の視線も苦手だし、画像に収められた惑星たちも、何か思うところがあってこちらを見ているのかもしれない。きっと、巨大な彼らにちっぽけな自分を見透かされてるような気がしているんだろう。確かに彼らの前には自分は無力だしな、そう思いながら私は全ての画像を閉じた。