火曜日の幻想譚 Ⅳ
480.美談
とある山中でのできごとだった。
その山の中腹、切り立った岩肌と崖の間の道路。その場所で夜、中型のバスが崖下に20メートルほど転落するという事故が起きた。狭い道路で恐らく運転を誤ってしまったのだろう。
車中は阿鼻叫喚の極みだった。15名ほどいた乗客は文字通り天地がひっくり返る車中でぐちゃぐちゃになり、転落が止まった時点で、誰一人として無傷の者はいない状態だった。ある者は腕が折れ、ある者は足を折り、頭部から血を流している者もいた。しかし、点呼を取ったところ、全員、生存しており、意識もあることが判明した。
すぐさま110番に通報がなされる。転落場所が山の奥深くのため、救助隊を結成してことに当たる方針が立てられた。しかし、捜索に時間がかかることはほぼ確実な状況であり、確実に夜明け、あるいはそれ以降の発見になる。そのため、けがの状態を通話で確認する限り、何人かの生命は絶望的だろうというのが救助隊の見立てだった。
無論、そのようなことは知らされていないバスの中では、比較的元気な者が、重傷者を勇気づけてどうにかその場をしのいでいた。助けはちゃんと来るし、夜も必ず明ける。希望の火を決して絶やすことをせず、一行は、ひしゃげたバスの中、全員で励まし合い、助け合っていた。
救助隊がたどり着いたのは、夜もすっかり開けた午前10時前だった。すかさず重傷者から運ばれていき、軽症の者にも食事などが与えられる。
その際、驚いたことは、あれほど絶望視されていた重傷者の誰もが生存していたことであった。無論、後遺症などが残った者はいたが、この事故が直接の原因となって死んだものは一人もいなかったということだった。
事故から数年がたった現在、絶望的な状況でも死者が出なかったことから、バス内で過ごした奇跡の一夜のエピソードが次々と本にされ、美談として紹介されている。みんなで声を掛け続けていたこと、少ない食料を分け与えたこと、歌を歌って勇気づけたこと……。
そんな美談に世間が包まれる中、事故に遭ったある人物の母が認めた書き置きを紹介して、この話を終わりにしようと思う。
事故が起きて、弘が目覚めなくなってから、2年がたちました。
今も、弘はベッドで、鼻にチューブを入れられて生かされています。
事故を聞いたときは、弘が生きていると聞いて、とてもうれしかった。
でも、生きていてくれた弘は、真っ白なベッドの上で何も語りません。
もう、弘は私に語りかけることも、笑顔を向けることもないのです。
日々過ごすうちに、そんな気持ちでいっぱいになっている私がいました。
私は、だんだんと弘を見ているのがつらくなってきました。
利発で、野球が大好きだったかつての弘。
そんな息子がベッドに横たわって、ただただ生かされている。
それがつらくてつらくて仕方ないのです。
私は思い切って、お医者さんに、弘を殺してくれないかと頼みました。
あのチューブを外せば、それだけでいいはずなのです。
でも先生は、私にこう言うのです。
「弘さんが、今、こうやって生きていることは美談なんです。
たくさんの人を勇気づけているんです。
今の弘さんにはそれだけの価値があるんです」
そんな価値など、どうだっていいんです。
人を勇気づけることも、お金も、名声もいらないんです。
私の、私だけの弘を、返してほしいのです。
あのチューブを外すのは、一瞬のことのはずなのに。
それだけのことなのに、お医者さんはそれすらもしてくれないのです。
私は、もう決めました。
誰も外してくれないのなら、自分の手でを外せばいいのです。
お医者さま、世間の皆さまがた。
このようなことになって、申し訳ありません。
私はかつての、事故前の弘と、あの世で再開しようと思います。
どうか、どうか、お許しください。お願いいたします。