ピッケル
翌年の4月、僕と田村はまた白山を滑る計画を立てた。計画は前年と同じく前夜初の日帰りである。僕は予定日の3日前に用具の準備をした。いつものように一覧にしておいた携行物の表でチェックしながら持っていく物を床に広げそしておさまりが良いようにザックに詰めた。あとはスキーとストックとブーツそしてピッケル、と。そこでピッケルがないことに気づいた。登山用具の置き場所や他の押し入れなど考えられそうなところはくまなく探したが見つからない。妻にも尋ねてみるが心当たりはないと言う。
その日は雨だった。仕事を終えた僕と田村はそそくさと帰宅した。1時間後、僕の家に車を置いた田村はスキーとザックを僕の車の荷台に積み込み自身は助手席に乗り込んだ。田村が乗るのを待ち構えて僕は話しかけた。
「田村、聞いてくれ、ピッケルがなくなったんや。あの木製のやつ。今年も持っていこうと思ったんやけど・・・」
田村は怪訝な顔をして返した。「あのピッケルは小田誠に渡したんやなかったのか?」
「小田誠って・・・あの小田誠か?」
「岳沢滑降の記憶と交換したんやろう?」
「なんや?記憶の交換って? 岳沢って穂高のことか? 」
田村は僕の真顔を覗き込み大げさな口調で言った。「お前、最近抗生物質を飲まなかったか?」
「抗生物質って、何のことや! 訳が分からん事ばかり言うてからに・・・」
田村はあきれ顔のまま発車を促した。そしてこうつぶやいた。「忘れるべき記憶ちゅうもんはあるんやな」
「忘れるべき記憶?」
僕は疑問を残したまま雨の中にアクセルを踏んだ。