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ピッケル

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ピッケル

 白山の登山基点である市ノ瀬に着いたのは午後11時を過ぎた夜中であった。同行者は会社の同僚で今まで何度か一緒にスキー登山に行ったことがある田村だ。田村は僕と同い年で山スキー歴も10年余りと一緒。技術も体力も近いので互いに満足のいく山行ができる仲だ。2人は仕事を終えてから車で高速道路を飛ばした。
 僕たちの計画は前夜発での日帰り登山。車で仮眠後早朝に登り始め、その日のうちに頂上から滑り降りるというものだった。通常の登山口である別当出合いまで除雪が出来ていない道路を1時間半ばかり余分に登る体力勝負の計画であった。
翌朝4時。僕は先に目覚めて田村を起こした。2人は眠気が醒めきらない体でありながらもそそくさと荷物をととのえ、パンをほおばり、コーヒーを飲み干した。
別当出合いまでの車道は、ブーツを装着したスキーをザックに縛り付けて担いだ。僕はそれに加えピッケルもザックの背面に縛り付けた。僕がピッケルをつけるのを見て田村は怪訝な表情で言った。
「ピッケルは持たんでもええやろ! スキーブーツまで担ぐんやから!」
「ああ・・・ ええやろこれ! 木製のシャフトや。いまどきこんなん使っている奴はおらへん」
「それはそうやろけど、重いやろ?」
「この間、たまたま入ったリサイクルショップで見つけたんや。木製のシャフトがええ具合に黒光りしてたんでつい衝動的に買うてしもた。家で眺めていたらどうしてもこいつを持って登ってみたくなったんや。大丈夫、他の荷はあんまりないから」
僕は、スキー板とブーツ、ピッケルを結わえたザックをかがんで一気に背負うと駐車場からの車道を歩き始めた。田村はそれ以上何も言わず僕の後を歩き始めた。
別当出合いには見込みどおり1時間半、頂上には午後1時半頃に着いた。体力はかなり消耗していたもののその後の滑降のことを思うと疲れは軽くなった。
スキーで登山を始めるきっかけは冬山登山を始めた頃に感じていたあこがれに端を発する。雪山を登っている最中に出会う山スキーヤーの姿に、もともとゲレンデスキーの楽しさを知っていた僕は羨ましさと好奇心を覚えていた。雪山とスキーが一緒に楽しめる一石二鳥の山登りだ。登頂の後はスキーで滑って下りることができる。僕は所属していた職場の山の会で一緒によく山行をともにしていた田村を誘ってスキー登山に挑戦した。2人は圧雪され整地されたゲレンデとは異なる自然の積雪に苦戦しながらも経験を積んでいった。今では2人ともある程度の雪質の山ならなんなく滑り降りる技術も身に着けている。技術が身に付けばつくほどにその楽しさは増していった。

 白山山頂は晴れて見通しがよく、北アルプス方面の山並みは神々しい天上の世界であった。目の前遥かに広がる広大なスクリーンには、淡い青紫に霞がかった異空間を感じさせる水平の帯の上に白い山々がその実在を疑わせるような映像として映っていた。2人はほとんど無風で寒ささえ感じない穏やかな山頂の岩の上でその景観に浸り身体を休めた。午後の日差しには下界と同様のぬくもりさえ感じられた。僕たちは頂上西側の肩の広い雪渓を滑り降りた。8合目あたりに広がる台地状の室堂まではあっという間。ほどよい傾斜の斜面と雪質は僕たちの滑降を会心なものとし心と身体を喜ばせた。山頂から中腹の甚の助小屋までは30分とかからなかっただろう。田村はここで息があがってしまい休憩をすると言い出した。僕はもう少しこのまま滑り続けたかった。その気持ちが顔に表れていたのを感じとったのか、田村は言った。
「すぐに追いつくさかい、先に行ってええぞ!」 そして持っていたストックを「行け」とばかりに谷に向けて振った。
「ほんなら下の見通しのいいところで待っとるさかい」と僕は田村を残して滑り出した。太ももの筋肉の張りは感じていたが、しばらく調子のよい滑りができた。そして、細く迫った木立の間を抜けた先の広い斜面の上部に出た。僕はこの斜面を滑り降りたところで田村を持つつもりで休憩もせずに滑降を続けた。
雪の斜面の下方に人が立っていることはかなり前から把握していた。避けて滑り降りることには距離的にも空間的にも問題はなかった。しかし、滑り降りているうちに何故か斜面の中ほどに立っている男の方に近づいていってしまった。そろそろ進路を変えて衝突を避けなければとスキーのエッジを効かせようとするのだが踏ん張りがきかない。慌てれば慌てるほど磁力に惹きつけられるように男に向かっていってしまう。そして、こちらに気づいて視線を上げた男が眼前に迫った時には気持ちも身体も踏ん張ることをあきらめていた。僕はそのスキーヤーの足元にスライディングをするように突っ込んだ。そして相手の身体を空中にすくい上げ、男と一緒にその場に転倒してしまった。男の人の身体が転倒した僕の体の上に落ちてきた。一瞬息ができなかった。僕の上に乗った男が身を起こして僕の身体から離れてくれた時ようやく深く息を吸うことが出来た。
「すみません。大丈夫ですか」と僕は声を絞り出すように男に尋ねた。
すぐに立ち上がって履いていたスキー板を整えていた男は、「ああびっくりした!」と一言。顔には驚きが表れていた。
僕はもう一度謝って、体に異常がないかを尋ねた。
男は確かめるように肩を回しながら、「大丈夫のようだな。しかし驚いたよ。ちょっと休憩して考え事をしていたところだったので。君の方は大丈夫か? 思いっきり乗っかってしまったけど」
「はい、大丈夫です。一瞬息ができなかったけどもう大丈夫です。 どうもすみませんでした。踏ん張りがきかなくて避けられなかったんです」
「俺は大丈夫そうだからいいよ」と男は言いながらも、他に誰もいないこんなに幅がある雪渓の斜面でどうしてピンポイントに衝突するんだ、というようなあきれ顔をしていた。
「ほんとにすみませんでした」僕はもう一度謝った。
すると男は「頂上から滑ってきたの?」と聞いてきた。
「そうです。頂上肩の雪渓から一気にすべってきました。途中休憩もしなかったので、それで踏ん張りがきかなくなって・・・」
「ノンストップか、そりゃ~こたえるね。 上のほうの雪のコンディションはどうだった? 俺はこれからなんだ」
「頂上肩から室堂までの斜面は最高でした。硬すぎず柔らかすぎずベストなコンディションでした。甚之助小屋から下はこんな感じで重くて足がとられましたね」
「そう。それは楽しみだな・・・ところで君はひとりで?」
「いえ、2人です。連れは少し上のほうで休憩しています。」
「そう、じゃあ相棒を待ってここでしばらく休憩するといい」
「ええ、そうします」
男の人はシール(スキーに張り付ける滑り止め)を貼ったスキーを滑らせて斜面を登っていった。僕はその人の後姿をしばらく追いながらその顔に見覚えを感じていた。しばらくスキーをはずして休憩をしているとそこへ田村が滑り下りてきた。
「どうかしたんか?」田村はスキーをつけたまま横歩きで僕に近づきながら言った。
僕が衝突の事情を話し終えると、「俺と一緒に休憩すればよかったな」と言いながら僕の全身を足元から確認するように眺めるのだった。
「自覚が足りなかった。自分が思ってたより脚にきていたようや」
作品名:ピッケル 作家名:ひろし63