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京都七景【第十六章】

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「しばらく、つき合ったよ」
「二人同時にか?」
「あのな、前後してとは言ったが、二つの恋愛は四ヶ月離れている。一人ずつ別に決まっているだろう。それに俺には同時に二人の女性とつき合うような器用さも人間観もない。いずれにしろ、この頃は時期が悪かった。家(うち)の中がひどくもめててな。親の夫婦喧嘩が絶えないときだった。俺は人間不信に陥っていた。好きで一緒になった者同士がよくここまで口を極めてののしり合いをするものかと」
「すまん、余計なことまで言わせてしまって。申しわけない」堀井が頭を下げた。

「いや、いいんだ。これを言っておかないと、この後の俺の行動がみんなに理解されない恐れがあるからな」
「で、どうなったんだい。そういう思いを抱えたままでも恋愛はうまく行くものなのか?」と、わたしが今度は愚問を呈する。

「俺は、親を避けて自分の部屋に閉じこもった。そうして、自分勝手な両親と、こんな家に生まれた自分を呪っていた。俺は周りをとりまく何もかもがいやになった。だが、一番いやだったのは、こんな状況を何一つ変えられない非力な自分の姿だった。しかも俺は自分の苦しみから逃れることしか考えていなかった。だから、こんな状態の人間が、どんなに素敵な女の子から告白を受けようと、うまくつき合って行けるわけがない。何をたずねても、「ああ」とか「うん」とか「まあね」とか「そうだね」くらいしか返事をしない人間が面白かろうはずはないじゃないか。結果は火を見るよりも明らかだった。ひと月もしないうちに、お互いに足が遠のき、いつしか気持ちも立ち消えてしまったというわけさ」
「うう、悲しすぎるな」と大山。

「しかたないよ。相手のことを考える心のゆとりがなかったんだ」
「うう、逃がした魚は大きかったな」再び、堀井が下世話を貫いた。

「いや、逃げたのは俺の方だから。二人にはもうしわけないことをしたと思っている」
「次は、いい恋ができるといいな」わたしが心底、同情を表明する。

「そう願いたかったけどな」
「そうか、ここにつながるわけか。納得、納得」大山が独り合点をする。

「どうかしたのか」露野が不思議そうに声をかけた。

「ここで、あの一件につながるんだろう?」
「あの一件って、なんのことだい?」
「にぶいな、さっき水を向けた件じゃないか」
「あっ。そうだった、そうだった。その話をするために、段階を踏んで話して来たんだっけ。つい苦い思いがこみ上げて来て、本題から外れるところだった。すまん。次の段階へ進もう。
 当時の俺は、なぜ自分がそんなことを平気でしたのか、その理由を考える余裕さえ失っていた。しかし、その後しばらくして、大学受験も終わろうとする頃、両親が取った、ある行動をきっかけに、俺は自分の行動の一つひとつを振り返らなければいられなくなった。お恥ずかしい話だが、聞いてはもらえないだろうか。つまりこういうことなんだが。
どうやら両親は、俺の大学受験が片付いたら、すぐにも離婚することを、俺に内緒で決めていたらしい。だから、俺が合格を告げても、父親は大して喜びもせず、「親権と仕送りは自分が持つ。ただし4年間だけだ。もしそれ以上かかるなら、あとは自分で何とかすることだな」と言い残して、単身赴任先へ向かってしまう。母は、「悪いけれど、あなたとは血縁がないから、弟だけ連れて実家に戻ります」という書き置きを残して、実家へ帰る。
 実は、俺の母は継母なんだ。俺は亡くなった前妻の子ども、弟は再婚した母との間にできた息子だ。とはいえ、兄弟仲は悪くない、というか、逆に気が合って、仲は好いんだ。その弟と最後の挨拶もさせずに、継母は弟を連れて実家に帰ってしまった。俺は、誰もいない、がらんとした家の中に、ただ一人残された。
 誰も俺の大学合格など喜んでいなかったのではないか。ただ、離婚する際の、都合のいい理由にされただけではないのか。そう思うと、自分勝手な両親に無性に腹が立った。そうして、おそらく理由も知らされずに連れて行かれた弟と、今後の自分のことを思って、ひどく悲しくなった。
 もう、こんな家にはいられない。俺は、すぐさま荷物をまとめて、その日の京都行きの夜行列車に乗り、翌朝、学生下宿の紹介所が開くのを待って、どこでもいいから、最初に紹介された下宿に住もうと決めた。幸いその下宿は、住人が引き払ったばかりで空いていたものだから、大家さんに事情を話して、無理にも、その日から住まわせてもらうことにした。それが、今住んでいる岡崎法勝寺町のあの下宿、というわけだ」
「なんか聞けば聞くほど、重くなる話だな。俺たち、このまま聞いていてもいいのかい?」と大山が不安げに尋ねる。

「いや、いいんだ。むしろ、どんな怒りから俺の精神が形成され、どんな苦しみや悲しみから、相手の気持ちや振る舞いを労る気持ちが俺に生まれてきたか、また、どんな失恋から、恋愛対象となる女性の範囲を俺が限るようになってきたかを、分かってもらわないと、これから話す「あの一件」についても、分かってもらえないのじゃないかと思うからだ。だから、気を遣わずに最後まで聞いてほしい。なんだか、自分の懺悔話を聞いてもらえるのは、こんな大文字焼きの日以外には無さそうな気がする。だから、言わせてもらってもいいかい」
「も、もちろんさ」私たちは、吃るのも同時に、声を発した。

「じゃ、続けさせてもらうよ。ただし、説明が長引いたから、ここからは、できるだけ簡略にまとめてみる。後から思うと、この一連の出来事が、これから向かうべき自分の方向を決定的にしてくれたんだから、偶然というものは、おさおさ侮れないものだな。
 さっきも言ったように、俺はひとまず、下宿に落ち着いた。が、しかし、心はどうしても落ち着かない。仕方がないから、大学構内をあてもなくさまよい歩いた。
 ある日、ふと書籍部の看板が目に入った。なんだか、その暗い入口から誘い込まれているような気がする。俺は早速、中へ足を踏み入れ、すぐ近くの書棚の前を通り抜けようとしたとき、唐突に、「死にいたる病」という題名が目に飛び込んできた。俺はびっくりした。これほど今の自分の気持ちを代弁する本はないのではないか。俺は息を呑んで、ぶるぶる震える手で、書棚から、どうにかその本を取り出し、適当に最初の方を開いて、さらにびっくりした。
 そのページに、
「第一篇 死に至る病とは絶望のことである。」とある。
〈自分は見透かされているのではないか〉という、どこか不穏な予感がした。もちろん、誰に見透かされているのかは全く分からない。が、しかし、誰かに御膳立てされ、読むのを促されている気がする。
 俺はその促しを受け入れることにした。その後のことは、自分でもよく覚えていない。気がつくと、下宿の部屋の真ん中に本を手にして立っていた。幸い本にはカバーが掛かっている。そのとき、買ったのだなとほっと胸を撫で下ろした。
 それから後は部屋にこもって、その本を読み続けた。一週間してなんとか読み終わりはしたものの、それはただ最後のページにたどり着いたというだけのことで、内容全体は難しくて正直よく分からなかった。だがその章句の一々が深く胸に染みて目頭が熱くなり、涙が止まらなくなることさえしばしばだった。
作品名:京都七景【第十六章】 作家名:折口学