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05:行く末



 私を救ってくれた男は田中と名乗った。そして私を紹介するため、雇い主のところへと私を連れていってくれる。田中さんは雇い主から相当信頼されているらしく、一部始終を説明しただけで即座に私は雇用された。ただ、私が自殺しようとしていたことは巧妙に伏せてくれたが。
 田中さんは、富豪の私有地の広大な地図を広げ、沼を含む周囲数キロを指で囲んで私に言った。
「あんたにゃ、この範囲を頼むよ」
その範囲は、地図のおおよそ3割ぐらいだ。その程度で良いのかと問うと、
「一人が二人になっただけでもだいぶ楽になる。それにまだ慣れていないだろうから」
と私の貧弱な体を見つめた。もっともな話だった。
「最低でも週に一回、様子を見に来るから。でも、もう絶対今日のような真似はするなよ」
やはりそれが懸念事項なのだろう。田中さんは最後にそう念を押し、仕事に戻っていった。
 私は、森の中を歩いて先ほどの小屋まで戻ってきた。私たちがこの小屋を後にするまで燃えていた一斗缶は、消火された後、小屋の外に出されさみしげに横たわっていた。
 私は小屋の入り口から振り返り、あの沼を眺める。この沼が私に「生きろ」と言っている、田中さんはそう言った。だが、本当にそう言っているのだろうか。ひたすらジッと沼を見つめたが、当然のごとく沼は何も言いはしない。
 私は、あまりスピリチュアルとか宗教的なことに信を置いていない人間だ。だが、そんな私でも田中さんから、幅50cmの道を偶然にも踏みしめたから沼の中央にたどり着けた、という話を聞いて何か感じるものがあったのは確かだ。しかし田中さんと別れ、一人で沼と対峙してみるととてもそんな気がしない。
 勤務初日の今日は、まず自分が管理する範囲を見て回ることにしようと思った。沼の周囲数キロなので、時間はそれほどはかからないはずだ。私は小屋で準備をしてから出かけ、2時間ほどで再び小屋に帰ってきた。
 自分の管理するべき箇所は、ほぼ森ばかりの何の起伏のない平坦な地だった。木々ばかりが見える退屈な景色で、その木も大木はほとんどない。すなわち私が主に管理するのは、この小屋から見えるあの沼ばかりということだろうか。まだ、詳しい仕事の内容がわからないので何とも言えないが、とりあえずはあの沼について重点的に調べよう、そう思った。
 私は、小屋から物干し竿を持ってきて沼に垂直に入れてみる。田中さんの言を信用していないわけではないが、やはり自分の目で確かめてみたかった。果たして物干し竿は、あっさりとその身を沼に飲み込ませてしまう。危うく沼の中に取り落とすところを引き上げた私は、その場所が少なくとも私の背丈を優に超えるほどの深さであることを悟った。そして何ヶ所かで同じことを試し、そのどれもが同じであることも確認した。
 改めて、数時間前の自分が奇跡のような綱渡りをしていたことを目の当たりにして愕然とする。やはり、これは沼の意思なのだろうか。確率的には0ではないとはいえ、「何か」の存在の関与を疑いたくなってしまう。
 思い悩みながら小屋に戻り、一息つく。色々なことがあって疲れていた。少し眠りたい。そう思った瞬間、重大なことに気づいてハッとする。
 私には住まいがないではないか。もうあの家には帰れないし、昨日はこの森で一夜を明かしたがそう何度も野宿ができるもんじゃない。これでは眠ろうにも眠れない。
「おーい、調子はどうだ?」
丁度そこへ田中さんが様子を見に来てくれた。私は、あまり迷惑をかけたくはないと思いながらも、どうしようもないので住まいがないことを相談した。
「ああ、それなら」
田中さんはこともなげに言う。
「この小屋に住んでいいよ」
そう言って、小屋を見回した。
「ここ、避難所として建てたんだけど、食料は数か月分置いてあるし、寝袋もあるから。ただ風呂は数キロ先の銭湯に行く必要があるけどね」
「すみません」
「早急に住むところが必要なら前借り、頼んでみるけどどうする?」
「いえ、ちゃんといただける給与で何とかします」
いろいろなことに打ちのめされてここに流れ着いた私は、まだ人の厚意を全面的に受け止められなかった。特にお金に関する厚意を受けることなど、到底できなかったのである。ただこの小屋に住む許可をかろうじて得ることができた、それだけで当面満足だった。
 田中さんはその後、幾らか雑談をしてから立ち去った。小屋の窓から外を見るともう薄暗くなってきていた。私は、沼に浸かった疲れが出てきたのか急激に眠くなったので、寝袋を引っ張り出して眠りにつく。よっぽど疲れていたのか、寝袋に入り目を閉じた瞬間に眠りに落ちていた。これによって、激動の一日であり、私の勤務初日が終わりを告げたのである。

 その数日後、田中さんは空いた時間で私に枝打ちを教えてくれた。枝打ちと言うのは、木々の余分な枝を一本一本伐っていく作業だとまず説明を受ける。小学生のころあさがおを育てたのが、植物と触れあった最後の経験と言ってもいい私に、田中さんは懇切丁寧に説明をしてくれる。枝打ちをすることで木と木の間がすっきりとし、見栄えが良くなること、他にも虫食いなどの病気から守れること、太陽光が地表まで到達するため土壌の分解が促成されること、さまざまな効能があることを教わった。
 小屋での理論学習を終え、私たちは外に出て枝打ちの実践に入る。私は田中さんの後に従い、なたを用いてスパスパと枝を切り落としていく。それほど難しくないなと思った瞬間、伐ろうとした枝になたが引っ掛かり、抜けなくなってしまう。
「太めの枝はな、まず下から伐りこみを入れるんだ」
田中さんはそう言って手本を示してくれる。彼は少し太めの枝に一度下から刃を入れ、次に上から刃を下ろす。そうすることで、やや太い枝はメリッと小さく音を立てて地表に落ちていく。なるほどと思いながら、私もそれに従い、実際に一度下から刃を入れることで、伐りやすくなることを確認する。
「なんだか、人間みたいだな」
私は、田中さんに聞こえぬよう呟いていた。人間、最初は褒められて、おだてられて、いい気になってしまう。でもそれは、下から入れられた刃のようなものなのだ。そうして体内に入った慢心という名の毒は、いつのまにか体中に沁みわたり、気づいたら上からの一撃で地獄へと落ちていく。
 会社に入社した時もそうだった。できるできると持て囃されて調子に乗っているうちに、気づけば面倒くさい仕事をやらされるばかり。挙句の果てに一回の過ちで解雇という体たらく。
 結婚生活もそうだ。信じられないかもしれないが、つきあっていた頃は絹代の方が私に惚れていたのだ。それがいざ結婚してみれば……。いや、やめよう。過去のことをグチグチ言っても何にもならない。
 私は、田中さんの後に従い枝打ちを行っていく。落とされる枝に深い同情を抱きながら。
「この枝、どうするんですか」
田中さんに後ろから聞いてみる。
「焚火に使うといいよ」
と田中さん。
 最期まで人間と同じじゃないか。私はそう思い枝への同情をさらに深くしたが、冬へと向かうこれからの季節、焚火がないと厳しいこともまた現実だ。
 先ほどまでの同情を裏切ることになってしまった罪悪感を心の奥底にしまい込み、私は木切れを拾い集めた。


作品名: 作家名:六色塔