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三すくみによる結界

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 と感じた時、ふと思い出したのが、小学生の頃に三すくみを感じた初めての相手だった。
 よくじゃんけんもしていたが、それ以外にもゲームをよくして遊んだような気がしていた。
 その中に気になったゲームがあったのだが、それが、
「開拓ゲーム」
 だったのだ。
 開拓ゲームというと、かなり昔からあった、いわゆる、
「双六ゲーム」
 である。
 ダイスの代わりにルーレットを回すのだが、その目が出た数だけ進むのだが、開拓ゲームという名前の通り、開拓者が自分の人生を自分で切り開くという、本当の自分の人生を占っているかのようなゲームだった。
 そこで感じた違和感というのが何であったのか、ハッキリとしない。ただ、よく一緒に遊んでいた友達が、三すくみを感じた相手だったということが一番の引っかかりだったということは意識できるのだが、何に引っかかったのかという事実については分からなかった。
――ひょっとすると、三すくみとは関係のないことかも知れない――
 と思った。
 三すくみには関係ないのかも知れないが、三すくみを考える上での何かに関係しているのかも知れない。
 三すくみというのが、束縛する者であって、結界を感じるものであるということを感じると、思い浮かぶ発想は、
「抜けることができずに、堂々巡りを繰り返してしまうことだ」
 という思いが頭を巡った。
――そうか、そうだったんだ――
 つかさはそこでピンとくるものがあった。
「開拓ゲームというのは、最後にゴールまでの数がピッタリと出てこないと、余った数の分だけ戻ることになり、なかなかゴールができない仕掛け」
 になっていた。
 つまり、いくら独走していても、最後にキッチリとゴールできなければ、しょうがないというゲームでもある。
 そこに堂々巡りがあるかのように考えられ、
「抜けることのできないループに入り込む」
 と考えてしまうのだ。
 そのことをつかさは思い出していた。
 この開拓ゲームの発想は、ひょっとすると三すくみという発想を逆にただっとゲームなのかも知れないと思った時、抜けられないことと、開拓という言葉の矛盾に違和感を感じたのだ。
 それが三すくみとドッペルゲンガーとの関係であったり、抜けられそうで抜けられない発想の行先であったりするのだろう。
「私は今、開拓ゲームの一体、どのあたりにいるのだろうか?」
 そう思うと、三すくみの中で分かっていないのは。自分だけのように思えてきた。
 三すくみというものを、小説に書くということの難しさよりも、三すくみをいかに継続して感じることができるかということの難しさの方が身に染みて感じていた。
 つかさとインタビューをした彼との間の話は、大きく発展していたが、最後のゴールができていない。
「落としどころがどこなのか?」
 永遠の堂々巡りを繰り返さないようにするには、そこを見定めるしかないような気がしていた……。

                  〈  完  〉



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作品名:三すくみによる結界 作家名:森本晃次