り狐:狐鬼番外編
遊郭
夜の帳が下りるに連れて色付く界隈がある、花街だ
軒を連ねる、其処此処の妓楼に誘蛾灯の如く
門前の提灯に灯りが灯れば、身形の良い殿方が闊歩する
其の、花街に少女「らん」は居た
「御止(およ)し」
稍、強めの口調に「何事か」と、鏡台を覗き込む
小振りの唇に紅を引く其の顔を向けた
子猫の如く、甘声を上げて戯れ合う女郎等を見遣る
如何やら一方が一方に絡んでいる様子だ
「御止しったら、もう」
何(いず)れ、香車さんの怒声が轟きそうだ
其れでも執拗(しつこ)くする女郎が少女の視線に気が付く
途端、矛先を変えたのか
着物を開(はだ)けながら畳の上を転がり其の膝元迄、近寄る
「ねえねえ」
「身請けの話し断ったって、本当?」
予期せぬ「話題」に少女は驚嘆するが、其れでも微笑む
過剰な程、甘え上手(我儘(わがまま))な彼女に口を滑らす相手は多い
妓楼の主人としては唯唯、人が好い
楼主が情報源だろう
降って湧いた「話題」に我関せずを貫いていた女郎達が跳び付く
「嘘!、本当?!」
「御相手って「都」から来てる、若旦那だよね?!」
如何にも曖昧な笑みを浮かべる少女に
甘え上手(我儘)な女郎が勢い良く、抱き付き問い詰める
「如何して?」
「如何して?」
「如何してえ?」
倦(う)んざりし始める女郎達の中
先程迄、甘え上手(我儘)な女郎に絡まれていた女郎が助け舟を出した
御互い、彼女には苦労している
「若旦那、苦手だわ」
女郎の其の発言に他の女郎達が
足処気(あどけ)ない項を傾げるのは当然だ
丁年の紳士である、若旦那は文句の付けようが無い
以前に此処から出れるのなら相手の素性等、多少は目を瞑る
「何故?」
問われた女郎が揉み手をする、両手の平に大袈裟に吐息を吹き掛ける
「若旦那、触れた手が物凄く冷たいの」
突飛も無い答えに女郎の一人が噴き出す
「何よ、其れ」
「彼(あ)れは心中も冷たいわ」
「だから何よ、其れ」
女郎等の乾笑の中
甘え上手(我儘)な女郎が相も変わらず抱き付いたまま、問い掛ける
「らんちゃん、そうなの?」
「らんちゃん、だから断ったの?」
自身の、桜貝を思わせる爪を弾く彼女は飽きたのかも知れない
少女にとっては好都合だが一応、胸の内を伝える
「そうじゃないけど、」
否むも、確かに自分も若旦那の「冽(れつ)」を感じている
「此処を離れるのは嫌なの」
「其れだけは如何しても嫌なの」
此処に居る限り、此処(妓楼)でしか生きていけない
其れでも
其れでも、だ
此処に来て窓辺で煙管を吸う
終始、傍観を決め込んでいた姉女郎が口を挟む
「彼(あ)の御社、大層、大事なんだね」
煙草盆に煙管を置く
姉女郎の言葉に顔を向ける少女が素直に頷く
深い深い夜の静寂(しじま)すら呑み込む、深い雪の日
赤子の自分は、彼(あ)の「社」の中に居た
唯、一人で
唯、御包(おくる)み一枚で
「良く生きていたよね、らんちゃん」
「其れとも此処に来るくらいなら死んだ方が増しだったかい?」
緩やかに微笑む姉女郎に直ぐ様、「其れは無い」と、少女は頭を振る
彼(あ)の、御社の中は寒くはなかった
彼(あ)の、御社の中は怖くはなかった
口も聞けぬ
目も見えぬ赤子だったが何故か、そう記憶している
「相変わらず御供え物、無くなるの?」
「多分、野犬の御腹の中に」
其の、切れ長の目を更に糸目にして笑う
姉女郎に釣られて笑い出す他の女郎等が「其れはそうだ」と、揶揄(からか)うも
そう答えた少女自身、「其れはそうだ」とは思ってはいなかった
故に少女は毎日、「社」へと足を運ぶ