空と海の道の上より Ⅷ
「摩尼輪塔は苦しい仏道修業の中でも特に最終の位を表わす摩尼輪(塔の円板部分)にちなんでこのように呼ばれています。
またこの塔は下に『下乗』と書いてあり、長いへんろ道もやっと聖地に近ずいたことを教えています。下乗とは、ここからは聖地であるから、どんな高貴な者でも乗物から降りて、自分で歩いて参拝しなさいということです」
と書かれていて、鎌倉時代に合仏子宗明によってたてられた塔、と説明があり、右に新しいのと二つ摩尼塔がある。
欝蒼とした山の遍路道から自衛隊のキャンプ地の横に出る。この間はあまり上り下りがなく平坦な道。三時、いったん谷に下りて今度は上りになる。リュックを降ろして休むと汗がひき気持ち良い。聞いたことのない鳥の声が聞こえる。
リュックを掛けながら、中島さんに教えて貰って、肩紐を前で縛り固定するようになってから肩がとても楽になり、今も日本手拭いで縛りながら、お蔭だなと思う。
三時十五分、十九丁打ち戻り。十分ほどで車の道に出る。左に五色台有料スカイライン。車の道を少し歩いてまた遍路道に。お寺の手前で二人連れの歩き遍路さんに会う。
今日の泊まりを聞かれ、答えると同じところとのこと。一緒に歩きましょうと言いますと、足が駄目なのでお参りがすんだら車で行きますといわれ、ちょっと残念に思う。
三時五十分、根香寺着。まだ国分寺まで山道を行かねばならないので急いでお参りをする。
納経所の人に宿の電話番号を聞き予約。日の高いうちに着けるだろうと言われるが心配になり、車の道を行こうかとも思うが、お大師様に尋ねると遍路道をとのこと。四時二十五分、急ぎ足で出発。
四時四十五分、途中の店で缶コーヒーを買い残りのパンを食べる。さっきの女の人たちも休んでいて、途中までここの娘さんに乗せてもらうとのこと。私は先に急ぐ。
今度は下りなので、十九丁打ち戻りまであっと言う間に。そこにお祀りされている仏様に、大きな声で「お願いします」と頭を下げ、ここから左に折れ国分寺のほうへ。
五時十五分、一本松。ここで車道を横切る。遍路道を少し下るとお大師様が祀られていて、見下ろすと畑や家が点在し、そのまわりに池がいくつもある。
あちこちで畑を焼く煙が立ち上り、何とも言えない素晴らしい眺め。明るいうちに山を下りたいと気は急ぐけれど、しばし見とれてしまう。
右側が山すぐ下が谷で、その間から国分寺の町が見え、谷を鳥が飛び交う。谷は陰になっているが、下の畑や家には日が当たりまるで大きな、とても大きなきれいな箱庭を見ているよう。
ここからかなり急な段のついた下りを谷に向かって下りる。さっきの景色を眺めながら大分下る。階段になっているので、一段一段下りる度に足に響き痛い。
この谷は鳥の宝庫。色々な鳴き声や姿を見せ、楽しませてくれる。大分下ってきたが、近くなっただけで下は同じような景色。ここは何と素晴らしい遍路道かと思う。
五時四十五分、車の通れる道に。お墓の間を通って下の町に。
この辺は松の盆栽が一杯。下りて来た山を、横を向いて見ながら歩く。西日がまだ高い。
夕方なので土地の人にたくさん出会い、「元気そうですね」と声を掛けられる。嬉しそうに弾んで歩いているのだろう。六時二十五分、お寺の前を通り宿に。お参りは明朝にする。
この遍路道は思っていたよりずっと良い道だった。特に十九丁打ち戻りの入り口が、すごい道のような感じがしたのでちょっと躊躇したが、少し歩くと手の入れられた広い道。
土地の人の話では、今までとても荒れていたが二、三年前から直してよい道になったとのこと。段が多いので歩きにくくちょっと困るが、山の遍路道が通れるのは有難いこと。日暮れまでに下りられほっとする。
標識の説明によると八十番国分寺から八十一番白峰寺の上りが急なので、七十九番から八十一番へ行って八十二番、そして真ん中まで戻って八十番に下りてくる道が出来たとのこと。何も知らずに順に打って、白峰寺で泊まれたらいいなと思っていたが、昨日丸亀に泊まったのでここまで来ることが出来た。丸亀まで歩いたのも考えてみればここまで来るお計らいだったのではと思われる。
高照院の方も時計を見ながら、たぶん行けるでしょうと言われた。もう少し遅かったら山の中で日が暮れて、とても無理だったのではと思う。丁度良いようにして頂いて有難いことです。
私自身は香川県はゆっくり歩きたいと思っていたのですが、これからもお計らいの通りに進んでいきたいと思っています。そうしますとちょうど良い具合に泊まるところも心配いらないようになっているようです。
五月三十一日 午前五時
国分寺横えびすや旅館にて
作品名:空と海の道の上より Ⅷ 作家名:こあみ