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空と海の道の上より Ⅶ

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五月二十一日(日)曇りのち晴
 
食事を早くしてもらったけれど雨の降りがひどく、体操をして七時半、出発しようと合羽の用意をすると雨が上がりかける。ズボンだけはき、上はすぐに出せるようにして出る。
 共同浴場の傍を通りまっすぐ商店街の中を抜ける。朝早くからお風呂に入る浴衣姿の人が、大勢出入りしている。
 まっすぐ行けばよいと宿の人に聞いていたが,遍路標識があり右に曲がる。小さな川沿いの遍路道へ。
 八時十分、国道に出る。遍路標識に、これは北まわり(南まわりへ)とあるが理解できず、道を尋ねると国道を、とのこと。

 八時半、合羽をたたみ市内地図と本を見て意味を理解。三津浜の方へ向かえば良かったのに。国道を少し戻れば良かった。こんな時詳しい地図を持っていないことを不自由に思う。
 中島さんや藤田さんに、そんな地図一つでよく歩くと言われたが、こんな時は本当に困る。
 本も手に持つことが出来ず、リュックに入れているので、済んだところは分かるのだが次に行くところをすぐ忘れてしまう。
 休憩の度に出してみるが細かいところを忘れ易い。戻るのも嫌なのでそのまま国道を行く。

 九時、再び遍路標識。標識に従って川沿いの道を少し歩くと公園があり休憩。また暫く歩くと右に池があり、舗装されていない土手を歩く。柔らかい感触が足に心地良い。

 国道をそれてからは、遍路道マークや人に聞きながら田舎道を歩く。所々に昔の遍路石も幾つかあり、九時五十三分、五十二番太山寺一の門へ。
 納経所から本堂までの坂が急なので、荷物を置いて本堂へ。上ると思ったより広く気持ちがよい。

 本堂の前で三人連れの人とちょっと話をする。近くの人らしいご主人は、歩いてお参りするのが夢だと言われる。その方たちが本堂に入ってお経をあげていたので、私も上がらせて頂き座蒲団に座ってお経を唱える。足が楽でたくさんお経を唱えられた。
 この頃足が痛いので、拝んでいる間正座するのが辛く、特に木造のお堂だとまだ良いのですが、鉄筋の本堂だと足の痛さを我慢するのが大変です。
 坂道を下る途中さっきの人達が車で下りてこられ、千円お接待を頂く。

 十一時、お寺の前の一本道を私は北回りだった為、戻るような形で五十三番円明寺へ。
 十一時半着。着いてリュックから頭陀袋や経本を出していると、年を取った男の人に声をかけられ金のお札を頂く。それを見ていた団体さんが「私も、私も」と言われ、その人が大勢の人にお札を上げると、皆さんが千円札を替わりにお接待しておられる。
 「もう何度もお参りするのですか」と誰かが尋ねると、
「ええ、月に三回参ります」とのこと。ふと見ると納経帳やお軸を風呂敷に包んで持っている。人様を案内してお参りするのが仕事のように見える。

 私には、申し訳ないけれど頂いた金のお札がちっとも有難く思われず、皆がなぜあんなに欲しがるのか理解できない。私もここで千円お接待を頂くが、あんな光景を見ると何とも複雑な気持ち。数多くのお参りよりも心の問題ではないかと思えてきます。数より心を、と残念に思います。

 納経所で並んで待ち、十二時十五分円明寺発。国道に出て、今治に向かって歩く。
 十二時四十五分、お昼にうどんを食べる。手打ちでとてもおいしかった。でもとてもはやっているのでゆっくりできず、食べてすぐ歩くのはちょっとしんどかった。
 円明寺でのことを考えながら歩いていたのですが、いつのまにかそんなことはどうでもよくなる。
 歩いていると頭が空っぽになり囚われるということがなくなるように思います。執着がなくなるのでしょうか。歩くこと自体が行になっいるように思われます。

 うどんを食べたのが堀江、ここからしばらく海を見ながら歩く。海岸線に道があり貝拾いの人がたくさんいる。磯の香り、涼しい風が心地良い。
 一時四十五分、北条市に。堀江から北条に入る少しの間は、海の際に自転車道と歩道が一緒になった幅二メートル位の道があり、海と山との間は国道と線路だけで、ふと高知が思い出される。でも土佐の海と瀬戸内はまったく違い、ここは波の音がほとんどない静かな海です。

 北条市に入った途端、店がいっぱい並んでいる。景色の良いところで海を眺めながら休憩、鹿島に向かう。
 三時十分、道の左側に小さなお堂と高浜虚子の句碑があり女の人がお参りしている。お祀りしているお堂はお大師様とのことに、私もお参りする。
 そばに阿波のへんろと書かれたお墓がありお遍路さんの墓と分かる。昔のお遍路さんは厳しい環境の中、命がけでお参りをし、途中で亡くなられる人も多かったと聞いていたが、このようなお遍路さんの墓を見るのは始めて。
 胸が痛み何とも言えない気持ち。それだけ昔の人は真剣で命がけだったのだと思う。

 三時半、左手に鹿島が見える。円明寺二十五キロ、鹿島一キロの標識に従って海のほうへ。海岸に出る。ここから見る鹿島はぽっかりとした山のような形の小島です。すぐに渡船場へ。渡し船にほんの二、三分乗るだけで鹿島。海遊びや釣りの人が大勢。

 三時五十分、国民宿舎鹿島着。とても静かな島です。ロビーで暫くここの人と話をする。久万も行ってきたのかと聞かれ、久万から松山まで一日かかったと話すと大変だと大笑い、楽しく話す。
 それからお風呂に。海の見える眺めの良いお風呂で、一人ゆっくりと贅沢な気分。

 食事までの間、島を一回り。ぐるっと島の回りに歩道がついていて、ゆっくり回っても三十分で一周できます。山にも登れるそうですが、時間がないのと足が痛いので止めました。お風呂で足を揉み温めるのですがなかなか痛みが取れません。
 食事の後、もう一度お風呂に入り、昨日から温泉ばかりでもう六回も入りました。夜、手紙を書きかけるがそのまま眠ってしまう。
 朝、書いていると向かいの町のほうの山から朝日が上り、久し振りに日の出を拝みました。
 窓を開けると、港を出入りする船の音が聞こえ気持ちがよい。波も静かです。天気も良いようで、今日は暑くなりそうです。雨も大変ですが、暑さにはバテテしまいます。

 今日はできたら五十六番泰山寺迄行きたいなと思っています。道後、鹿島といい思いばかりしています。
 食事も、渡し船も七時からなので今日はゆっくりの出発です。

五月二十二日 午前六時
国民宿舎鹿島荘にて


五月二十二日(月)曇りのち雨
 
七時十五分、鹿島荘を出て渡船場へ。船は七時から十五分おきに出ている。七時半発のに乗る。
朝は日の出を拝める位天気が良かったのに、少し曇ってくる。朝早いので島から乗るお客は私一人。あっと言う間に着く。

 一七九号線を今治に。この頃は歩いてお経を唱えている時、誰の為とは思わず無心になって唱えている。
 七時五十分、立岩川、立岩橋。五十四番延明寺二十三キロの標識。昨日、北条で休憩している時、リュックの色と白い服がよく似合い笠が素敵だ、写させてほしいと言われビデオのモデルに。赤いリュックは目立つのか、中島さんも私を捜す時、納経所で赤いリュックの女の人と言えばすぐ分かったと言っていた。

 八時十分、また海岸線に。
作品名:空と海の道の上より Ⅶ 作家名:こあみ