空と海の道の上より Ⅳ
家のすぐ裏が海でずっと波の音がする気持ちの良いところ。連休が済んで、これで三日連続泊まるところお客は私一人です。
夜、奥様、ご主人と三人で話をしていたのですぐ眠ってしまい、朝走り書きしました。
五月十日 午前五時半 以布利民宿旅路にて
五月十日(水)晴のち曇り
民宿の奥さんが、朝から心のこもったご馳走をしてくれる。あと少しお話をする。
「今までこの仕事をやり始めてから、儲けのことを考えたことはありません。
どうしたらお客様においしく食べ、喜んで頂けるか、それだけを考えてきました」とおっしゃる。ここに泊めていただいたことに感謝。
七時十分、お弁当や小夏みかんを頂いて出発。今日はお昼までに着けそうなので少し遅く出る。
昨日の疲れがまだ残っていて、元気良く歩けない。窪津分岐点で国道を通らず、教えられた通り左の道を行く。車が少なく山道で気持ちが良い。
木で陰になった道を、波の音を聞きながら歩く。少し行くと急に海が開け、一昨日足摺を見た所がかすんで見える。もうすぐ足摺と思うと足が速くなる。
八時十分、海岸線の道に出る。水面に日の光が反射して、キラキラ光りとてもきれい。ふと宍喰の海を思い出す。疲れが飛ぶような気がする。
足摺まであと十一キロの標識、嬉しい。歩いているうちにどんどん海の様子が変わる。
プーンと鰹節の匂い、見ると鰹節工場で女の人がめじか(私には鰹のように見える)を網ですくい、木の箱に並べて蒸す用意をしている。ちょっと立ち話。それから少し行くと漁協、今日獲れた魚をあげている。
すごく大きないかが小さい方から順に並べられ、透き通って、目のところだけエメラルド色に光ってとてもきれい。しばらく眺める。大阪では水いか、この辺ではモイカというそうです。
九時四十五分、トンネル。トンネルと思ったが普通のトンネルではなく木のトンネル。木が覆い被さってまるで本当のトンネルのよう。真ん中に湧水があり、顔を洗い、水を飲む。おいしかった。
車で通る人が「この水はこの辺で一番おいしい水」、と声をかけてくれる。こんなきれいな山道なのに、崖になったところには到る所にゴミが捨てられている。なんだか悲しい。
津呂公民館前、この辺は畑で仕事をしている人が多い。畑といっても紀の川の河原の畑のようなところ。
十時二十分、足摺まであと五キロ。車が止まり、岩本寺の彼が様子を見に来てくれ、ジュースのお接待をしてくれる。
「お寺で待っている」とすぐに走り去る。木のトンネルがいくつもあり、その中を気持ちよく歩く。
十一時半、三十八番金剛福寺到着。岬なので、室戸のように高い階段を上ると思っていたら、道のすぐ前がお寺。拍子抜けするとともにほっともする。
本堂で拝み、大師堂でお大師様にお礼を申し上げると、涙が溢れる。
私は金剛福寺前の国民宿舎に入り、ゆっくりしてどこにも行かないつもりだったのですが、岩本寺の彼が竜串、見残しへ連れて行ってくれるという。四国の間は車に乗らないつもりだったので、お大師様に聞くといっても良いとのこと。それで一緒に竜串へ。
彼は清水のスーパーで買ったお弁当、私は民宿で頂いたおにぎりを竜串で食べ、グラスボートで見残しへ。船はとても気持ちが良く、美しい海を眺め幸せな嬉しい気分になる。久しぶりの休みを頂いたようで涙が出そうになる。
叶崎まで車で行き、雄大な海と絶壁の間を、一羽のとんびがゆったり飛んでいるのを見る。まるで映画の一シーンのよう。思わず感嘆の声を上げる。
スカイラインを通って国民宿舎へ。彼も同じところに泊まる。
部屋に入ってがっかりする。今までの国民宿舎と同じように思っていたが、四畳半一間の窮屈な部屋。ここでお昼から過ごすのはちょっとしんどかったと思う。
部屋を見て、竜串、見残しへ行かせて頂いたのもおはからいのような気がする。
食堂で待ち合わせて食事。食べながら、日限さん(和歌山県海南市の浄土寺のご住職)のことや、おなか婆さんの四国参りの話(行者さんの不思議な遍路体験)、私の体験などをいろいろ話しする。
実は私には、彼が(名前は中島さんという)、なぜ岩本寺からここまで毎日、私の様子を見に来てくれ、私が十日に足摺に着くというと、十日のお昼までのレンタカーを一日延ばし、また今まではユースを利用していたのに同じ国民宿舎に宿を取り、自分はもう観光を済ませているのにまた竜串、見残しまで連れていってくれたりするのか、不思議でならなかった。そして私の歩くのにちっとも邪魔にならずに、二、三分話をすると、すぐに車でどこかに行ってしまう。なぜだろうと思っていたけれど、聞かずにいた。
夜、お大師様や遍路の話などしている時、突然彼が、
「僕の話も聞いてほしい」と話し出した。
「実は僕は岩本寺へ泊まる予定は全然なかった。岩本寺へ電車で行って、その日のうちに宿毛まで行く予定だった。
青龍寺からバイクで宇佐大橋の方へ走っていると、網代笠を被り、手拭いでほっかむりをして歩いているお遍路さんと一瞬すれ違った。顔も年格好も分からず、ただ女の人ということだけ分かった。その瞬間、この人と話をしないといけないと思った。なぜだか分からないけどそう思ってしまった。
それで引き返して話をしようと思ったけれど、ようしなかった。それで、次は岩本寺あたりだろうと思い、会えなければ次まで追いかけるつもりで岩本寺に行った。昼に着いたので、仕方がないからブラブラしていた。
食事に部屋に来た時、自分が思っていたイメージと全然違っていた。それで違うのかなと思い黙っていたけど、思い切って声をかけた。声をかけて良かった。それでもっと話をしたかったけれどもう一人いたし、お互いに後、用事があってそれ以上話ができなかった。
朝、話をしようと思ったらもう出発した後だった。それでもっと話がしたいと、夕方捜しに行った。」
私は大方町で夕方会った時、偶然だと思ったのですがそうではなかったのです。
「青龍寺で見かけた一瞬、あの一瞬がなかったらこんなことをしていない。」と彼はいう。私もなぜ同じところをぐるぐる廻っているのか不思議で仕方がなかった。
「ずいぶん予定が狂ってしまったでしょう?」と言うと、
「二日予定が狂った。でも、まあ予定はあってないようなもの、それなりに自分も楽しかった。
でも、本当にあの一瞬なんや、あの時すれ違えへんかったらこんなことになってなかった。自分でもなぜだか分らへん。不思議でしょうがない。」と言われ、私は急に涙があふれそうになる。
考えてみると、私も岩本寺に泊まらず佐賀温泉まで行くつもりだった。それに、岩本寺では食事はないと言われたが、あとで作ってくれると言ってくれた。いろんなことが一つでも違っていたらこんなことはなかったと思う。
窪川から足摺まで百キロ、一番長い道のり、それをへこたれないように、彼を使ってお大師様が歩く元気を与えて下さった。そのようにしか思われないのです。
「貴方もお大師様に使われて二日間損をしたね。」とあとで笑いましたが、私も中島さんも不思議な何とも言えない気持ちになっています。
作品名:空と海の道の上より Ⅳ 作家名:こあみ