端数報告5
というのがわかりますね。そのテープを作る際に、〈彼ら〉は音に細工している。分析すると音にはテープの回転ムラがあるのがあったりするらしいが、それはおれが思うにおそらく、〈彼ら〉自身が編集時に与えている。
〈声〉の中には屋外で撮ったとわかるものもあり、〈彼ら〉の中に女がいて公園ででも見つけた子供に頼んで文を読ませたものもあるのでないかと思えるのだが、編集時の調節で音を変えてやることでその子自身が後で気づかぬようにするのはもちろん、その子の親などがニュースで聴いて、
「これはウチの子の声じゃないか」
などと思うことが万一にでもないようにしている。
と考えられるわけだ。あくまでも推測だが、ために女の子の声がそれとはわかりにくくなっている見込みもあるというわけである。
〈彼ら〉がどこまで本当のことを書いているか無論わからぬ。すべてを信じてはいけないが、だからと言って警察官僚やマスコミに都合のいいことは本当とし、そうでないのは嘘と決めつける。そんなやり方で捜査と報道をしたら事件が解決できなくなって当然だろう。しかしグリ森事件では、ありとあらゆる局面でそれが行われた。そしてそのままになっているし、たまにひとつがくつがえされると、
「新事実発見! これが当時にわかっていれば犯人を捕まえられたに違いない!!」
と簡単に言い、結局やっぱり、
「当時の関係者はまんまと騙されていたのですね。あらためて犯人グループは、どこまで卑劣な者達なのかと考えざるを得ません。時効なんか関係ない。せめて正体を暴き出し、素性を世に晒してやらねば……」
と言ってそれがカッコよく、正しい人間の在り方ということにしてウンウン頷く。この5冊の、
画像:グリ森本5冊
全部がそういう調子であるし、『罪の声』の映画版で小栗旬と星野源が、
阿久津(小栗旬)
「空疎な国を見せつけて、何か変わりましたか? 犯罪という形で社会に一矢報いて、何が残りましたか。日本はあなたの望む国になったんですか」
「あなたは今も、1984年のままだ。あなたがしたことは、子供達の運命を変えただけです。あなたは3人の子供に罪を背負わせた」
「青木組に捕まって娘は死にました! 息子は、35年間、地を這うような人生を送りました。あなたが、子供達の未来を壊したんです、あなたが! そんなものは、正義じゃない」
「俊也さんから伝言を預かりました。『私はあなたのようにはならない。この先、何があっても、誰かを恨んでも、社会に不満を抱いても、決してあなたのようにはならない!』」
俊也(星野源)
「俺の声が犯罪に使われることに抵抗はなかったの。伯父さん達は、青酸ソーダを入れたお菓子をバラ撒いた。許されることやと思うた?」
「それが、お母さんの望みやったん? そんとき、俺のことは考えた? お父さんのことは? 俺は、このテープを見つけて、苦しんだね。今だって苦しいで。これから先も、俺が、お母さんやない俺が! この声の罪を背負っていくことになるんやで。それがほんまに、お母さんの望みやったん?」
画像:小栗旬空疎な国を見せつけて 星野源おれの声が犯罪に
と言う。ふたりの、
画像:トニーたけざきのガンダム漫画72ページギレンくううっ!今、いいコト言ってるぜ俺! アフェリエイト:トニーたけざきのガンダム漫画
という心の声が副音声で響くがゆえにおれの部屋が地震でも起きたようにグラグラ揺れてビリビリと壁が震える。10分間も。いやもうなんと言ってよいやら。
*
「カッコいいとは、こういうことさ」
アフェリエイト:紅の豚
なのか? まあそのように思う人はそう思えばいいと思うが、
【子供に罪を背負わせた。子供達の運命を変えた】
というのが確かな話なら憤りも当然だろう。だが実際はどんなもんか。
声が変えられているのなら、曾根俊也が聴いてもそれを、風見しんごを歌う自分と同じ声と感じることはないことになる。
よねえ。もともとそんなもんがふたつ、同じカセットに入っているというのが無理な話だし、同じ声が繰り返されているならそれは【編集されたテープ】、公衆電話で受話器に流すためのテープということになる。一体なんでそんなもんが【カセットのアタマから】でなく、途中から始まったりするのか。
という話でもあるよねえ。ホープ=ハウスの声もそうだけど、もうひとつの萬堂=森永の脅迫に使われた9月18日の声、すなわち、
*
阿久津「息子は、35年間、地を這うような人生を送りました」
画像:35年間の地を這うような人生
というのも実のところ、さっき書いたように公園ででも適当に見つけた子供に森永のキャラメルでもあげて、
《レストランから一号線を南へ1500メートル行ったところにある守口市民会館の前の京阪本通り2丁目の陸橋の階段の下の空き缶の中》
と書いた紙を渡して読ませて録音しただけ。警察が公開したのはひと月近くも経った10月11日で、その頃にはそんなことすっかり忘れている見込みが高い。その子の親がニュースで聴いて、
「まさかウチの子では」
と思ったとしても次の瞬間、「まさかあ」と言って笑って忘れるだろう。
声が変えられているならなおさら――と見るのが妥当と言うところなのだ、実際には。『罪の声』を読んだり映画で見たりして、
「ああ本当にこのようなことになってるに違いない。人生が狂ってしまった子や、それどころか、〈キツメ目の男〉に殺されてしまった子がいるに違いない。だって、在日朝鮮人なんだろ? 在日朝鮮人なら殺すよ。在日朝鮮人なら! 在日朝鮮人をこの日本から、なんとかして排除せねば!」
などと思って変な団体に入って、
「朝鮮人は半島に帰れーっ!」
だとか叫び出しちゃった人が結構いるかもしれんが、だからあんまり世を震撼させたような実際の事件を描く映画で、根拠もなしに人をエイリアン(侵略的外来者)扱いするなとおれは言いたいね。チャールズ・マンソンみたいなのが、本気にしたらどうすんだてえの。とにかく、『罪の声』の子供の話はNHKのいいかげんな本に騙されて作られたもので、エンデンブシはそれすらまともに読んでないとしかおれには思えん。
そして、最も重視すべきとおれが思う【最初の男の子の声】だ。それはさっき見せたように、
「茨木市上穂積のバス停看板の横の電話ボックスの物置台の裏」
というのを繰り返してるのだと思うが、それは異様な唸り声で、聴いた者らは声がなんと言っているのか知るのにずいぶん苦労したらしい。で、
「言語障害だろう」
という話になったわけだが、しかしなんでそんな子を。
と考えた末におれは前回、「ひょっとして」と思いついたことを書いた。それは言語障害でなく、文を逆に書いたものを読ませて編集でひっくり返しているのじゃないか。
つまり、
《らうのいだきおのものすくつぼわんでのこよのんばんかいてすばのみづほみかしきらばい》
と書いたものを子供に読ませ、録音を逆に再生させれば、
「いばらきしかみほづみのばすていかんばんのよこのでんわぼつくすのものおきだいのうら」