ドールメイカー
僕はメモに書かれた物を黙々と探し集め、どこか靄がかかったような気分のまま帰路についた。といっても、帰り道は分からないうえに、僕はファリンに言われた事が気になってまともに周囲も見ていなかった。
どうして彼女はルチル様のことを言った時、あんな嫌な物を見るような目をしたんだろう。
彼女とルチル様との間に何があったんだろう。
僕は本で読んだ知識でしかルチル様を知らない。その事実を改めて思い知らされた気がした。
「ちょっと、君! 気をつけないと石段に躓くよ!」
「ふぇ? って、わああっ!!」
声を掛けられたからか、どちらにせよこうなっていたのか、僕は声の方へ振り返ろうとしてそのままずっこけた。左腕から盛大に石畳に転がる。
上半身だけ起き上がって見てみると、真っ先に衝突した左腕は勿論、膝も少し擦り剥けていた。気分は最悪だった。
「大丈夫かい?」
声を掛けてくれたのは短くセットされた赤髪のかっこいいお姉さんだった。
清潔感漂う黒のスーツがより一層「出来る女」を思わせる。
「カバンも転がってしまったみたいだね。私が拾おう」
「あ、ありがとうございます・・・・・・」
カバンの中にはさっき買ったばかりのお使いの品も入っているけど、買ったのは確か生地ばかりだった。それほど乱れてもいないし、中身は無事だろう。ほっと胸を撫で下ろす。カバンを抱きしめて立ち上がると、お姉さんがハンカチを差し出してくる。
まっさらな白いハンカチを汚すのは申し訳ない気がしたけど、断るのもおかしいのでありがたく使わせてもらう。
「君、一人で大丈夫かい? いや、私には君ぐらいの年の妹が居てね。妹は方向音痴でよく道に迷うものだから、つい心配してしまうんだ」
「そうなんですか……。実は、僕も方向音痴なんです。今も迷ってて」
「そうか。なら、近くまで送るよ。私はルビー。アルミナ・ルビー・コランだ。よろしく」
「僕はネリア・ガネットって言います」
面倒見の良さそうな、サバサバしたお姉さんだった。女性が憧れる女性というのは彼女みたいな人のことを言うんだろうな。
前を歩くルビーさんの姿は、大好きな僕のお姉さんだった彼女と重なってみえた。
――会いたいな。ペチュニア。
「ガネットちゃん。ひとまず大通りまで来たけど、君の家はどこだい?」
思い出に沈みそうになった所を、ルビーさんのハスキーな声が呼び戻す。
僕は慌てて周囲を確認した。いつも歩く石畳、洗濯物を干しているマシンドール、よく見かけるご近所の子供達。見覚えのあるパン屋さんの香りが僕の方まで届いて、お腹がすいていることに気付いた。
「ここからなら僕一人でも帰れます! ルビーさん、ありがとう御座いました!」
「そう、それは良かった。ところで、君はドールメイカーだよね?」
「えっ! どうして分かったんですか!?」
「ふふ、突然こんな事を聞いてすまない。実は私もドールと縁深い仕事をしていてね。察するに、まだ見習いなのだろう? 機会があれば是非、遊びに来てくれ」
ルビーさんが渡してきたのはマシンドール会社の名刺だった。
「オルテンシア・カンパニー?」
そういえば、最近は個人の工房でお店をだすんじゃなくて、会社で働いているマスターも増えてるって聞いた事があるような……。ルビーさんはそういう所で働いてるんだ。
言われて見れば納得できる気がする。
よく見るとルビーさんの腰にはドール用の心核がいくつか提げられている。心核を持ち歩くのはマスターのみの特権で、見習いメイカーや一般人には許されていないのだ。
それでいて、従来のマスターとはかけ離れたイメージの、いかにもキャリアウーマンな雰囲気の紺のスーツ。そして接客慣れしてそうな優しい笑顔。ルビーさんの微笑には女の子の僕ですら思わず赤面してしまいそうだった。
「受付で私の知り合いだと言うといい。いつでも案内する」
「何から何まで、ありがとうございますっ!」
「ハンカチはその時に返してくれれば良い。待ってるよ」
「はい!」
メレーホープに帰る頃には、僕の機嫌はすっかり良くなっていた。
ファリンちゃんに言われた事が気になっていないわけじゃない。
でも、きっとファリンちゃんは勘違いしてるんだ。僕が本の中のルチル様しか知らなかったように、彼女もきっとルチル様の悪い面しか知らなくて、それで嫌ってるだけなんだ。僕はそう考える事にしたのだ。
それに僕まで暗くなってたら、余計に悪い印象を与えることになる。
「僕は立派なドールマスターになるんだから。こんな事で、へこたれてちゃ駄目だよね。心に輝石を、自分に笑顔を。笑う子には福来るなんだから」
しっかりと声に出して新たに決心する。見上げた先にはメレーホープの木製の扉があった。
初めて出会った年の近いメイカー仲間の女の子。
次に会った時にはお友達になるんだ。そう、心に決めて……。
「ネリア、ただいま帰りました!!」