Hardhat
一
わたしは、呪われている。
頼本かなえは、窓からだらりと体を出して、タバコの煙を商店街のアーチに向けてふわふわと放ちながら、ゆっくりと瞬きを繰り返した。午前三時になるが、眠れそうにない。最後の普通だった記憶は、おそらく小学校の最後の年。卒業式でどれだけ大きな声を出せるか、担任の言うことを素直に聞いていた。今の私からは、想像もできない姿。
水が出なくなった噴水跡を囲む自転車置き場を起点に、三つ又に分かれた商店街。衛星写真だと、いびつな『人』の字に見える。大通りとは反対側に進む方へ数メートル歩くと、『バラエティショップよりもと』という名前の店があって、一階奥と二階は家。わたしは二階の自室の窓から、顔を出している。アクロバットな動きをすればこっそり出入りすることもできる、便利な窓。公然の秘密だろうけど、一応家族の誰にも教えていないのは、いつかここからひょいと出て行って二度と戻らないという空想をするときに、現実との整合性を保つため。
かなえは、しんと静まり返った商店街を見渡した。人は歩いていない。遠くでひときわ高く唸るエンジン音はゴミ収集車のもので、しばらくすれば、ここにもやってくる。ついでにわたしも回収してくれれば、どれだけいいだろう。もし可能なら、この商店街全部。
バラエティショップよりもとには、数えきれないぐらい多くの人が出入りする。頼本家も、人の数こそ決まっていても、足の踏み場がないのは同じだ。両親は、太郎と晴代。夫婦漫才コンビのような名前に、年を取るにつれて寄せていったような見た目。四十代前半なのに、店のファックスで送られてくる写真のようにぼやけている。そんな二人が、この世にぽんぽんとはじき出した人間は、四人いる。
長男は新一、二十歳。次男は良太、十三歳。末っ子は夏也、十歳。そこに、長女で十八歳のわたしが挟まる。二人の弟が誕生したとき、わたしは素直に喜んでいた。夏也が生まれたとき、新一は十歳。弟が増えるという話を、父から聞いたとき。八歳だったわたしは喜んだけど、新一は、出ないとたかをくくっていた宿題が出されたような、困惑した表情をしていた。今考えれば、あの困惑顔が正解だった。世の中の人間全員からあの『新一顏』を向けられれば、両親も少しは気づいたかもしれない。なぜなら、うちにはお金がない。町内会長の大橋を筆頭に、他人の財布を気にして値引きしすぎたから。もちろん、それが大人の世界だということも、理解はしているつもりだ。でもその副作用で、わたしは平日の夜はコンビニでバイト、休日はショッピングセンターでレジを打っている。完全な休日というのは、ここ一年経験したことがない。新一は、フルタイムで配達の仕事。狭い道に入らなければならない苦労話を聞かされるが、運転中ひとりなのが、心底羨ましい。とにかく、二人の稼ぎが家計に足されることで、六人が囲む普通の食卓が実現している。本来ならこれで全員だけど、裏に置かれた錆だらけのアクティバンは、仕事で絶対必要だからという理由で十年以上家族の一員を続けている。主食は、もちろんガソリン。
新一は、高校を卒業することに関しては心配していなかったと、振り返るように言った。わたしのバイト代は学費に充てられているけど、最後の一年だけだから、ぎりぎりセーフ。でも、良太と夏也は? あの二人が高校に進学する頃には、どうなっているんだろう?
誰かがトイレに入る音がして、かなえはタバコを窓のサッシに押し付けて殺し、煙を外に吐ききってから窓を閉めて、部屋に戻った。午前三時だったのが、二分経っただけだ。六時になったら母の隣に立って、朝御飯の準備が始まる。食べっぷりは、世代ごとに皆それぞれ。
両親はファックスのしわしわ顔写真にふさわしく、食欲は薄い。
新一は、トラックに重い荷物を運ばせて自分は持たない割りに、信じられない量を食べる。
夏也は、最小限の栄養で最大限の効果を発揮できる省エネタイプで、頭がいい。人と話すのが好きで、頭の回転が速いのは一目瞭然。とんちクイズが得意で、テレビの謎かけ系クイズをあっさりと解いてしまう。
食べる量も頭も平均的な良太は、いつの間にか、物怖じしたような態度が普通になってしまった。そして左手の薬指は、特に最近、他の指のようには上手く曲がらなくなっている。間違いなく、六年前の事故が原因だ。歩行者用の信号は青だったが、そのバイクは対面から猛スピードで曲がってきた。遅刻寸前で急いでいた一年生の良太は走っていて止まれず、急いでいるバイクも同じだった。ランドセルがクッションにならなければ頭を打っていた。五年生だったわたしはすでに学校に着いていて、廊下で友達と話していたら担任の先生に『良太くん、今日は調子悪いんか?』と聞かれ、学校に来ていないことを知った。レストランが建つ大きな交差点には救急車と、何が起きたかを必死で理解しようと試みているような、メジャーを持った警察の人たち。良太は『転んだだけ』と言った。衝撃を受け止めたランドセルがいびつな形にふくらんでいて、触ろうとすると泣きそうな顔で嫌がった。
公式な怪我は、打ち身と右足首のヒビ。
地面には赤い擦過痕があって、それはバイクが滑ったときについた塗料だった。警察の人の『逃げられないよ』という言葉で初めて、轢き逃げ事件だということを知った。その日の内にライダーが出頭して、新聞に小さな記事が載った。梅野という二十代の男で、結構な金持ちの息子らしかった。今でも食卓では『梅ちゃん』と呼ばれている。それは、裁判で充分な補償額が決まり、頼本家の家計にささやかな華を添えたから。数年に分割する形で支払われた補償は、去年が最後。何故か一円も残っていなかったから、新一が夜も走るようになり、わたしは休日のバイトを始めた。両親は売り上げを確保する手段をあれこれ考えているが、売るものが決まっている以上、そう上手くはいかないらしい。
三時五分。ゴミ収集車が家の真下にやってきた。眠れないのは音のせいじゃなくて、まだ胃がむかむかするから。昨晩、薄い壁越しに聞いたのだ。太郎の『ここ五年は楽やったな』という言葉と、晴代の『事故のお金があったから』という返事を。収入源をあとひとつ確保すれば、新一が夜の配達を辞められるか、わたしが土日のどちらかを完全な休日にできる。あるいは良太と夏也が高校へ上がるのを諦めずに済む。
そういう話。
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「光陰、矢のごとし」
歩くことわざ辞典の、貝塚が言った。四十四歳から五十歳までの六年間で、頭頂部はずいぶんと薄くなった。助手席では、二十三歳から二十九歳になった河原が、さほど変わらない姿で、コンビニで買った油っぽい総菜を口に放り込んでいる。ただでさえ丸い顔が食べ物でいびつに膨らむ様子は、アニメのように大げさだ。午前三時半、高速道路がはるか頭上を跨ぐ、郊外の国道。紫色の空だけは、分厚い雨雲が覆っていて低く感じるが、それ以外は、何もかもが無駄に広がっている。油と固形物がごちゃまぜになった咀嚼音が消えて、河原はようやく言った。
「こーいんって、何すか?」
「もうええわ」