Evasion 2巻 和洋折衷『妖』幻想譚
14話『金と白』
強風の吹き荒れる中、リルは、鍋……もとい帽子が吹き飛ばないように押さえていた。
クリスが右手で左手首の腕輪を押さえたまま、腕を振る。
それに応えるように、風はふわりと霧散した。
後には、風に煽られ吹き飛んだコートの男達が、壁に押し付けられるようにして倒れている。
街路樹も、強風の直撃を受けたものは皆無惨な姿になっていて、根こそぎ抜かれて飛んだものもあった。
(すごい威力だ……)
リルは、しんと静まり返ったその場で、ごくりと唾を飲んだ。
リルを背に庇うように立っていたクリスは、肩で息をしている。
すっかり上がった苦しげな呼吸音が、リルにはよく聞こえていた。
「クリス……、大丈夫……?」
返事も辛いかもしれないと思うと、ほんの少し躊躇われたが、リルがそっと声をかける。
クリスはその声にハッと我に返ると、リルの手を掴んで駆け出した。
「今のうちに逃げるわよっ!!」
走る二人に、牛乳も続く。
(とにかく、久居さんのところまで戻って……)
と、クリスが考える間もなく、周囲にどこからともなく水が湧いた。
ゴボゴボと音を立て、水は勢いよく足元から二人と一匹を包み込む。
(これは……!!)
クリスはその姿を探す。
見回すクリスの視界へ、淡い金髪の青年が姿を現す。
青年は、土地の者なのか、白のシャツに緑のベスト、赤いリボンタイを柔らかく結んでいた。
身なりはシンプルだったが、縫い目や布の光沢から、良い品を身につけている事は間違いない。
青年は、腕輪の威力に酔いしれるように、口元を上げて言った。
「こっちもさ、そう毎回逃げられるわけにはいかないんだよ」
クリスの求めていたそれは、見知らぬ青年の手首で確かに煌めいた。
(『雲』だわ!!)
この場に姿を見せた雲に、誰より衝撃を受けたのは、三階建ての家屋の屋根から様子を見ていたフードの少年だった。
(あいつ!! 四環を勝手に持ち出したのか!!)
コートの男達の様子を見に来た少年は、あまりに信じたくない光景に、眼を覆いたくなる衝動を何とか堪えて、奥歯を噛み締める。
水の中でもクリスは慌てる様子なく、自分の腕輪に手を添え、力を操る。
内から巻き起こった風に、水の塊は派手に弾け飛んだ。
水音と共に辺りに撒き散らされた水。
それに混じって、べちょっとリルが顔から地面に激突する。
牛乳は、リルの横へスタッと着地した。
水を飲んでしまったのか、地面に座り込みゲホゲホと涙目で咳き込むリルの隣で、牛乳が全身を振るった。
水飛沫を全身で浴びて、リルがさらに半べそになっている。
「二人とも大丈夫?」
クリスの声に『当然だぜっ』と言わんばかりに「にゃあっ」と牛乳が答える。
「うん……一応……」とリルは涙混じりに答えた。
二人の様子にホッとするクリスには、どことなく余裕があった。
一方で、フードの少年は焦りの色を濃くしている。
(あのバカが!! 雲じゃ風に勝ち目は……っ!!)
雲の腕輪を構えた金髪の青年が、もう一度雲へと意識を集中させる。
「くっ」
青年の願いに応えるように、青年の周囲に五本の水柱が現れる。
一本ずつがそれぞれ巨木ほどはありそうな水柱を背に、青年は不敵に笑った。
その迫力に、リルが慌てる。
クリスの後ろにいるリルには、クリスの表情は見えていない。
フードの少年は、それを憎々しげに見下ろし、歯軋りした。
(チッ、こんな大技使ったら、奴らに気付かれるだろ!!)
胸の中で膨れ上がる焦りが、少年の鼓動を速める。
地上は、奴らに監視されてる。奴らはどこにだってやってくる。
少年の記憶の中で、母の温もりが蘇る。
奴らの刃から、少年を庇おうと飛びついてきた母。
温かな体温と、柔らかい母の匂い。
飛び散った赤は、母の命の雫だった。
母に罪なんて無かった。
奴らに協力しただけだ。感謝されてもいいくらいだ。
奴らは、分かっていながら、母を斬った。
母は、何度斬られても、俺を離さなかった。
ぎゅっと、さも大切そうに、俺の頭を抱え込んで。
一刀ごとに、母の匂いに混じる血の匂いは濃くなり、少年の視界が真っ赤に染まってゆく。
「くそっ!!」
少年は激しく頭を振って、赤い記憶を振り払った。
(今は考えるな!!)
眼下では、水の柱が一本残らず、クリスの生み出した風に吹き飛ばされていた。
散らされた水の粒が風に舞う。
「くっ」
金髪の青年は、吹き飛びそうになりつつも、何とか耐えていた。
(とにかくこっから離れねぇと……)
フードの少年は、そんな青年に見切りをつけ、ローブを翻す。
(地上では探られる可能性があるか。……一回潜るしかないな)
家々の屋根の上を飛び移る少年の目に、路地を駆ける先程の黒髪青年の姿が飛び込んだ。
少年は進路を変えると、青年目掛けて飛び降りる。
久居は、リルのもとへ急いでいた。
不意に現れたフード少年の姿に、久居は目を見開いて振り返る。
すれ違い様、二人は一瞬視線を交わした。
「四環はしばらく預けておく。すぐ取りに行くが、な」
言葉と共に、何かが沈み込んでいくような、耳慣れない音がした。
全力で走っていた久居が、体勢を立て直し振り返った時には、少年の姿は無かった。
路地は、何一つ少年の痕跡を残さず、しんと静まり返っている。
(……四環というのは……?)
急旋回の拍子に解けた首巻きを肩に戻す久居の元に、ゴウッと強風が届く。
(リル!!)
久居はまた駆け出した。
作品名:Evasion 2巻 和洋折衷『妖』幻想譚 作家名:弓屋 晶都