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circulation【5話】青い髪

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6.神威



「っ……」
 スカイが小さく息を飲む。

 三回目の祝詞で、砕けていた膝はなんとか繋がったようだった。
 あとは右腕と左肩……。

 血まみれの頭と、鞭に裂かれた背中は、今のところ動きに支障がないらしいので
 一段落したら治癒する事にして、右腕に手をかざすと四度目の詠唱を始める。

 聖職者達と違って神への信仰が薄いので、私が一度で治せる量はたかが知れている。
 何度も繰り返す治癒で消費する精神力はそう少ないものではなかったけれど、私の精神力の絶対量は、人よりずっと多かった。
 無駄にデュナの三倍以上ある精神力を、ここぞとばかりに注ぎ込む。

 一方、私達と盗賊崩れ達との間に立ちはだかるデュナは二本目の回復剤を飲み干して、
 その空き瓶を乱暴にポケットへ突っ込んだ。
 デュナが眼鏡越しに睨んでいるその壁には、十人目になる男が叩きつけられている。
「ああもう次から次へとっっ!!」
 デュナが苛立ちも露わに、その高いヒールで床を蹴り付ける。
 その肩では、発動のタイミングをうかがって待機している水の精霊が、少し心配そうにデュナを覗き込んでいる。
 腕は、まっすぐに奥の通路へと向けられていた。

 歩くなら横に二人、走ると一人が精一杯という程度の細い通路からは、
 一人また一人とひっきりなしに盗賊崩れの男達が飛び出していた。
 ここが地下二階でないなら、躊躇うことなくデュナはあの通路を塞いだだろう。
「これはあれね。一匹見たら……ってやつね」
 障壁越しに聞こえるデュナのくぐもった声にスカイが
「ゴキブリかよっ」
 と突っ込みを入れる。

 ああ……治療中に動くと痛いよ、スカイ。
 祝詞を中断できない為、忠告をすることは出来ないけれど、それはスカイもよく知っているはずだった。
 案の定、ほんの一瞬しかめられた顔。スカイの肩が僅かに揺れる。
 右腕は綺麗にポッキリと逝っているようなので、あともう一度で繋がるだろう。
「黒いし、カサカサ動くし、個体識別できないし、似たようなものでしょ」
 そう言い捨てると、デュナが十一人目の男を吹き飛ばす。
「ま、ゴキブリほどの生命力はないみたいだけど?」
 黒いエナメルの靴にポタリと汗が落ちる。
 余裕のある台詞を零すデュナの顔色は、それに似つかわしくない青白さだった。

 今日、デュナは何度魔法を使っただろう。

 少なくとも、小瓶二本と中瓶一本を飲んだはずだ。
 中瓶は小瓶二本分の効果があるので、元々の精神力と合わせて、デュナ自身のキャパシティの三倍近く使っている計算になる。

 十二人目の男が吹き飛ぶ水音。
 少し遅れてドンッと壁に叩きつけられる音。
 私は五度目の詠唱に入った。

「くそっ……」
 ガラガラと物音を立てて、最初に吹き飛ばされた三人のうち
 アニキと呼ばれていたバンダナの男が体を起こす。
 通路からは既に十三人目が顔を出そうとしている。
 とにかく早くスカイを治して、早くフォルテを……。

 微かに聞こえてくるデュナの荒い呼吸に焦る気持ちをぐっと抑えて、ミスの無いよう祝詞に意識を集中させる。
 十三人目が倒される音。
 ふいに、空気が溶けるような音がして、私達を包んでいた障壁が消え去る。
 一瞬、次の精霊に発注をする瞬間に、デュナのこちらへの集中力が足りなくなったのかと思ったが
「スペルキャンセル!?」
 と、デュナの驚愕の声が上がる。

「……障壁のコントロールを切り離しておけばよかったわ……」
 低く低く呻くデュナの声に、事態が相当良くない事を悟る。

 通路から姿を現した十四人目は、あのローブの男だった。

 紺のバンダナをした男が立ち上がる。
 ローブの男はそちらに一瞥をくれると、石の床を蹴り一直線にこちらへ向かって来た。
「っ構成を実行!!」
 デュナの放った水流が、ローブの男を真芯で捕らえた。かに見えたそれを、つむじ風を纏った浅緑色に輝く剣が切り裂いた。

 自分でも驚くほどの速さで唱え終わった祝詞で、スカイの腕が僅かに軋む音を立てて繋がり始める。
 ローブの男が私達の目前へ迫る。
 その腕が、剣と共に大きく振り上げられる。
 水を放った次の瞬間には障壁の詠唱を始めていたデュナでも、これには間に合わなかった。
 緑の剣がデュナ目掛けて振り下ろされる。
 思わずギュッと目をつぶる。
「ねーちゃん!」
 スカイの声。

 今まで隣に居たはずのスカイの声が遠く聞こえたことに驚いて目を開くと、そこには誰の姿も無かった。
 スカイはデュナを抱えて横へ飛んでいた。
 それを追ってローブの男が低く地を蹴る。
 空を凪いだ緑の風が、もう一度その切っ先をデュナに向け襲い掛かる。
「実行!!」
 デュナの伸ばした指に届きそうなほど近付いた剣の刃が、耳障りな音を立てながら見えない壁の上を滑る。

 弧を描くように滑り落ちた剣から、ふっと色が失われる。
 ふらふらと、疲れた様子の精霊が瓶に戻ろうとしている。
 あの幼い子では、この場所で長時間属性付与は出来ないだろう。

 ローブの男がふいにこちらを見る。

 え?

 次の瞬間、目の前に紺のバンダナをつけた男の背中があった。
「わ」
 と、一声の悲鳴を残して、その一瞬後には部屋の隅、フォルテの少し手前に立たされていた。
 マントの襟首をバンダナの男が掴んでいる。

 え? えーと……な、何が起こったんだろう……。
 まるで瞬間移動でもしたかのように、私は数メートルの距離を瞬く間に移動していた。

 ……瞬間移動?
 そういえば、スカイが今覚えてる技がそんなのだって言ってたっけ……。
 そっか、これの事なんだ……。
 私の首に腕を回してたバンダナの男が、視界の端に鋭利なものをちらつかせている。
「動くな! こいつがどうなってもいいのか!!」
 頭の後ろでそう怒鳴られて初めて、自分が今、人質として捕まったのだという事を理解した。
 ピタリと頬に当てられた刃に、みるみる体温が奪われてゆく気がする。

 私を見て、スカイとデュナが動きを止める。
 と、同時にローブの男も動きを止めた。
 私の背後、バンダナの男を見上げ、軽く肩をすくめると、流れるような動きで剣を鞘に収め、出入り口側の壁にもたれるローブの男。
 人質を取った今、自分の出番は無いという事なのだろうか。
 バンダナの男を見上げたその目には、嫌悪感すら宿っていたようにも見えた。

 最初に叩きつけられたうちの残り二人も、ようやく目を覚ましたらしく、瓦礫と、自分達に折り重なる仲間を掻き分けて出てくる。
 通路から一人ずつ飛び出してきた敵は、一人につき一本の水流で確実に仕留めていたものの、最初の三人は一本で三人とも薙ぎ倒したせいか、回復が早いようだった。

 バンダナの男は、這い出てきた仲間に私の番を任せると、部屋のほぼ中央にいるデュナ達に近付いて行く。
 男が、デュナの正面に広がる見えない壁をノックして見せると、渋々ながらデュナが障壁を解いた。

 キッとバンダナの男を睨み上げるデュナ。

 男は、ヒールのあるデュナよりもさらに頭一つ分ほど背が高く、間近で見下ろされると威圧感がありそうだった。