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Evasion 1巻 和洋折衷『妖』幻想譚

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「ふーっ。食った食った! やっぱリリーの飯が一番だな!!」
 草の上に座るクザンが、いっぱいになった腹をさすりながら後ろへ手をついた。
 久居も「御馳走様でした」と手を合わせながら、久方ぶりに混入物の心配をしない食事をとれた事を有り難く感じていた。
 食器を片付けようとする久居に「そのままでいいわよ」と声をかけて器を受け取りながら、リリーはその腕の中の我が子を見る。
「それにしても、リルったら全然起きそうにないわねぇ」
 どうしたものかと考える様子のリリーに、クザンが声をかけた。
「あ、俺、夜が明けたらすぐ行くな」
「え?」
「じーさんのとこ、行きゃいいんだろ?」
「ええと……その事なんだけれど……」
 リリーは片手に食器をまとめると、指先を自分の顎に当てて言葉を探している。

「どうか、私も共に行かせてください」
 久居の真剣な声に、クザンが振り返る。
「ああ? 無理無理。俺地下通ってくから。連れてってやろうにも無理だ」
「そ、その事なんだけどね」
 リリーがそこへ、言いにくそうに言葉を挟む。
「リルに……行かせてはどうかしら」
「はぁ!?」
 クザンは全力で聞き返した。
「この子……ちょっと甘やかし過ぎちゃったみたいだから」
 リリーは答えながら、弟に言われた言葉を思い返す。
 弟であり、妖精の隠れ里の長でもある彼は『リルを村から出してもらえないか』と言った。
 これ以上、村にリルを置いておく事は、許されなかった。
「クザンに何年か鍛えてもらえたらって、思うんだけど……」

 リリーの言葉にショックを受けたのは久居だった。
(それでは、菰野様は何年もあのままなのですか!?)
 青ざめる久居を置いて、クザンは気軽に返事する。
「何だ。そういう事なら帰ってからしごいてやるよ。ビシビシな」
 難しい顔をしてしまったリリーへ、クザンは続ける。
「とりあえず、今回は俺がサクッと行ってくるから……」
 その言葉にホッとした久居だったが、リリーの次の言葉にハッとする。
「でも、それですぐ凍結解除したって、クザンだけであの子の治療が間に合うの?」
 言われて、クザンも痛い所を突かれた顔をした。
「あ゛ーーー〜〜……。それはまあ……誰か他にも術者を用意して……だな……」
 そんなクザンに畳み掛けるように、リリーは笑顔で言う。
「リルを鍛えながら、久居君に治癒術を教えてあげたらいいのよ」
「お、おいおい、こいつは人間だろ!?」
 クザンは慌てて久居を振り返った。
「あら、人間にだって術者はいるわよ?」
「いや、しかし、治癒は向き不向きの問題がなぁ……」
 渋るクザンを遮るように、リリーが太鼓判を押す。
「大丈夫。久居君ならできるわ。絶対」
 その言葉に、久居は縋り付いた。
「どんな修練もこなします!!」
(菰野様の為なら……!!)
 自分に何か、まだ菰野の為にできることが残っているなら、久居は何だって構わなかった。
「どうかご指導ください!!」
 ガバッと土下座に近い勢いで頭を下げられて、クザンがその勢いに気圧される。
「う、うーん……。教えるのは構わねぇが、先にじーさんのとこ行って話聞いてか……」
 クザンの耳が、リルのようにピクリと小さく跳ねた。
「クオオォォォォォォォォォン」
 と、クザンの耳に遠くの雄叫びが届く。

(今の鳴き声は……まさか……)
 クザンは手近な木を駆けのぼると、一瞬でてっぺんまで到達する。
 ひょいひょいと木を渡り、そこらで一番背の高い木から、声のした方を見る。
 すこぶる視力の良いクザンには、遙か彼方からこちらへ向かって飛び来るそれが分かった。

(竜!?)

 大きな毛だらけの翼をバサバサと羽ばたかせて、それはやってきた。
 毛に覆われた体には、太い前脚と後脚が見える。
 嘴のような硬い口から覗く牙。額には角も四本生えている。
 長く伸びたうさぎのような耳に、小さな瞳。
 馬のような首にはたてがみのようなものが、顔から背までを繋いでいた。

 そんな、まるで見たこともないような生き物が、信じられないほどの大きさで空を覆う。
 フッと月を遮られ、突然暗くなった森で顔を上げた兵達は、その異様な光景に仰天した。
 葛原の命通りに、不気味な森で、戻らぬ皇を待ち続けていた兵達には、異形の塊のような姿は、恐れていた恐怖そのもののように思えた。
「うわああああああ!!」
 一人が逃げ出すと、それにつられて次々に走り出す。
 結局は、全員が持ち場を放棄し城へと駆け出した。
 止める者は、誰一人いない。
「クオオォォォォォォォォォン!!」
 逃げ惑う兵達に追い討ちをかけるように、竜は月に向かって爆音で雄叫びをあげる。
 そのビリビリと地が揺れるほどの音に、地に伏していた葵もピクリと反応した。

 竜は兵達を散らした山の入口を過ぎ、久居達の真上まで来ると、降下を始める。
 バサバサと羽音を響かせながら降りてくる竜の姿に、久居が驚きを隠せずにいると、スタッとクザンが地上に降りた。
「じーさんの方からコンタクトってのは、どーゆー事だ」
 クザンは顰めっ面を隠す風もなく、舌打ちする。
「嫌な予感しかしねぇな」
 腕組みをしてこちらへ降り来る竜を見上げているクザンに、リリーが宥めるように言う。
「手間が省けて良かったじゃない」
「ぜってぇ余計な手間増えんだろ」
 嫌そうな顔のクザンの頭上で、竜は見る間にその姿を小さく変えてゆく。
 シュルシュルと縮んでゆく不思議な生き物に、久居はただ目を丸くするしかなかった。
(姿が……!?)
 城の上半分ほどもあった巨体は、少しずつ形状を変えながら小さくなってゆく。
 長い首は短く縮み、体に対して小さかった頭は、体の半分ほどの大きさになる。
 腕の中にすっぽり収まるほどの大きさまで小さくなったその姿は、野うさぎほどの体格に、ふわふわとした翼と長い尻尾、額からは小さな角が生えた、大きな瞳の愛らしい外見をしていた。

「キュイッ」と体格に見合った可愛らしい鳴き声を一声発して、その生き物はどこから取り出したのか、一通の手紙を口元に咥え、差し出した。
「じーさんから手紙か……」
 クザンが、渋々といった風に受け取る。
 手紙を渡した小さな竜が「キュイー」と答えた。

『お前の息子が十七歳になったら、そこの青年と二人だけでワシの所へ来い。それ以外の方法では解除法は教えられん。空竜は好きに使え』
 クザンはその手紙に目を通す。
 手紙を持つ手が、小さく震える。
「おいおいおい!! 何だこれ!!!」
 クザンは叫んだ。
 空竜の姿を見た時点で、クザンにももう分かってはいたが、分かる事とそれを受け入れられるかは別だった。
「あのじーさん全部わかっててこんな――」
 振り返れば、そこには辛そうに俯くリリーが居た。
「……ごめんなさい」
「……――っ!!」
 クザンは、妻までもが、自分の味方でなかったことに気付く。
「お前はそれでいいのかよ!!」
 リリーは返す言葉を持たなかった。
 クザンは叫んでしまってから自身の失言に気付いたが、口に出してしまった言葉はもう戻らない。
「くそっ!!」
 怒りを込めて、クザンは力任せに側の木を殴りつけた。