Evasion 1巻 和洋折衷『妖』幻想譚
「やめろぉぉぉぉぉ!!」
突如、横から飛び出してきた少年に刀が触れたと思った途端、耳障りな音と共に、刀はその刃紋から地までを失った。
「リル!!」
葛原は、急に軽くなった刀を反射的に引き寄せて、切先を見る。
「な……何だ……これは……」
刃は、どろりと溶け落ちていた。
硬い物を斬れば、それは刃こぼれもするだろうし、場合によっては折れることもある。
しかし、今この刀は目の前で溶けた。火もない場所で。
葛原の背を、冷たい汗が伝う。
「フ、フリーに手を出すな!!」
葛原の目の前で、十にも満たないであろう少年は、精一杯両腕を広げて妖精を守ろうとしている。
理解できない状況に、頭が付いてゆかず、思わず後退る葛原。
それを目で追ったリルの視線が、ハッと地に縫い留められる。
そこ……葛原の後ろでは、久居が頭から血を流しうつ伏せに倒れていた。
(え……。久……居……?)
リルの瞳が、動揺に大きく揺れる。
(そんな……まさか……)
ドクン。と心臓の音以上の大きな何かが、少年の体で脈を打つ。
リルの脳裏には、久居と過ごしたあたたかな時間がよみがえっていた。
ボクの話を優しく聞いてくれた久居。
髪を結んでくれた久居。
そっと抱きしめてくれた久居。
笑って髪を撫でてくれた久居。
(久居が――……)
チリッと胸の中で音を立てて、小さな炎が生まれる。
それはリルの胸の奥で、ゆっくりと、しかし大きく揺らめき、その幼い心を焼く。
葛原の目の前で俯いてしまった少年。
少年の頭には、黒茶の円錐のようなものが顔を覗かせている。
(角……なのか……? とすると、この子はまさか……!?)
葛原が、伝承でしか聞いたことの無い名前を浮かべようとする。
瞬間、目の前の少年から熱風が吹き上がった。
「何っ!?」
葛原は、あまりの熱気に顔を覆う。
炎は、リルの悲しみが怒りに変わると同時に、激しく渦を巻いて燃え上がった。
「ちょっと!! リル!? 私達まで焼けちゃうわよ!!」
フリーが必死に叫ぶも、その声はリルに届いていないらしく、少年は一歩ずつ葛原に近付いた。
「リル!!」
一歩。また一歩と近付く少年に、葛原が後退る。
「お前が……久居を……」
ゆらりゆらりと少年の周りで青白い炎が踊っている。
「お前なんか……」
葛原の全身から汗がふき出す。
「お前なんか……っ!」
葛原は必死だった。
今すぐ逃げなくては。分かっているのに、身体が動かない。
本能が告げている、このままでは危ない。と。
「死んじゃえばいいんだ!!」
葛原が動くより早く、リルが強く叫ぶ。
同時に、彼を包んでいた青白い炎が一斉に葛原へ飛び掛かった。
(な……!!)
一瞬の驚愕。
葛原は理解した。
自分は今、死ぬのだと。
聞いた事もないような音とともに、全てが溶けてゆく。
(……いけない)
父上から託された、この国を、あの城を、私が守ってゆかねばならないのに。
そうでなければ、何の為に今までずっと学問や剣術を学んできたのか……。
父上の第一子として、父上にとって恥ずかしくない世継ぎであるために、どれほど努力をして、虚勢を張って、今まで……。
(死ぬわけにはいかない……。死ぬわけには、いかないんです……、父上……)
国の紋が入った、首元の紋球が溶けて顔にかかる。
熱さはもう、全く感じなかった。
手足がどうなっているのかも、もう分からない。
葛原の視界は真っ白だった。
(あの世では、父上と加野伯母様が、菰野を迎えて楽しく過ごしているというのに……。そこへ私が行ってしまっては……)
葛原の心を、申し訳無さと不甲斐無さが埋め尽くす。
(父上は、私を見てどんなお顔をなさるだろうか……。あの城を……置いて来てしまった私を……どんな瞳で……)
葛原は、薄れゆく意識の隅で祈る。
(どうか、せめて……叱ってください…………)
(…………父……上………………)
作品名:Evasion 1巻 和洋折衷『妖』幻想譚 作家名:弓屋 晶都