Evasion 1巻 和洋折衷『妖』幻想譚
そこは、城の敷地の端にある、以前太鼓櫓として使われていた小さな櫓だった。
葛原は自身が改造させた重い鉄製の扉を閉めると、内から打掛錠を下ろした。
重い金属のぶつかり合う音が、狭い櫓に響く。
床には大きな麻袋が一つ転がされている。
そばには葵が控えていた。
葛原は麻袋へと歩を進めながら確認する。
「これが菰野の女だな?」
「はい」
と答えて、葵が続ける。
「薬を嗅がせていますので、しばらくは目覚めないものと思われます」
「そうか」
葛原はその答えに、ほんの少しだけ満足げに目を細めた。
袋を開くと、見た事もないような明るい黄色が目に入る。
(ん?黄色い……これは、髪か……?)
見たことはなくとも、異国の人々は髪色が様々なのだと、葛原は知っていた。
まさか、菰野が隠れ逢っていたのは異国の女なのだろうか、と疑問に思いながらも、葛原は麻袋を完全に取り払う。
(こ、これは……!!)
想像をこえた異質なその姿に、葛原は目を見開いた。
葛原は息を呑むと、側に黙って控えている小柄な隠密を見る。
「……葵。お前、目は全く見えないのか?」
全く動じる様子もなく、葵は答えた。
「はい、城仕えの隠密は皆目を潰しておりますゆえ……」
「不相応なものを見ない事も仕事のうち……か」
「はい」
変わらぬ調子の答えに、葛原は口端を弛ませる。
「くだらん風習だと思っていたが……、意外と役に立つものだな」
その言葉に、ようやく葵が動揺する。
「お前が連れてきたものが何なのか教えてやろう」
葛原は、横たわる黄色の髪の少女を見下ろしながら、どこか楽しそうに告げた。
「こいつは紛れもない本物の妖精だよ」
葵の伏せたままの顔が、驚愕に歪む。
葛原は、自分と全く違った形をしたその耳に触れてみる。
それは思ったよりもずっと柔らかく、ひやりとして心地良かった。
「加野叔母様の話は、真実だったと言うことか……」
小さく呟かれた声には、どこか懐かしげな響きが混ざっていたが、それに気付く者はここには居ない。
「よ……、妖精というのは……その……死の呪いをもたらすと言う……」
葵の戸惑いと怯えの混じった声に、葛原は思わず嘲笑を漏らす。
「お前まで、その話を信じているとはな」
(え……?)
驚きに言葉を失っている葵を余所に、葛原はあの頃の菰野を思い出す。
今よりも柔らかくもちもちとした頬に、明るくあたたかい、父上と同じ栗色の髪と瞳。
人懐こい笑顔を振りまいて、私の後ろをどこまでもついてくる、可愛い可愛い義弟……。
(菰野はすっかり信じていたようだったが……)
葛原は、懐かしさと愛しさに弛んでしまった眼差しを引き締め直すと、床に横たわる菰野と同じ歳頃の少女をじっくりと眺める。
ふと、その大きく開いた服の背を隠すように挟まれた布に気が付いた。
気を失ったままの腕を掴み、ぐいと引くと、流れるような髪の合間から、隠されていた背が露わになる。
……翅を隠しているのか?
もしかして、この妖精は、正体を隠して菰野に会っていたのだろうか。
姿を偽って……?
耳はどう隠していたのか分からなかったが、よく見れば触角のような物も、同じく隠されているようだった。
葛原の胸が躍る。
菰野は騙されていたのだ。
あの、人の良い義弟は、この妖精に欺かれていた……。
それを知った時、菰野はどんな顔をするだろうか。
「目覚める前に、頑丈な鎖でしっかり繋いでおけ」
言われ、葵は慌てて答える。
「はい」
「くれぐれも目を離すなよ」
「はっ」
葛原は、サラサラと床に広がる長い金髪を指で掬う。
張りのある生き生きとした髪は、手の中で光を返し元気に跳ねた。
(この妖精がいれば、たとえ城内で菰野を片付けようと、十分話が通る……)
期待に、葛原は知らず笑みを浮かべていた。
敬愛する父の為、父に喜んでもらえるその日を待ち望むその顔は、普段の彼の険しい表情しか知らぬ者が見れば驚くほどの、純粋な笑顔だった。
(父上……、もうまもなくです……)
作品名:Evasion 1巻 和洋折衷『妖』幻想譚 作家名:弓屋 晶都