Evasion 1巻 和洋折衷『妖』幻想譚
それから数日後の、静かな静かな森の中。
「ってねー、フリーが怒るんだよー? 本当の事言っただけなのに……」
リルが、その時の事を、納得のいかない様子で訴えている。
「そうですか……」
話を聞いていた久居は、フリーが何に心を痛めたのかが理解できた。
(それは、おそらく……)
考えつつも、久居が後ろ手で自身の髪を括り終えると、リルがぱあっと破顔する。
「できた!?」
その期待に満ち満ちた表情に、久居は少し照れながらもそれを披露した。
「はい、一応できましたが……、こんな感じで良いのでしょうか……」
久居の髪は、いつものように後ろの高い位置でひとつにまとめられていたが、よく見れば、リルが丁寧に編んでいた長い飾り紐で括られている。
紐の端には小さなガラスビーズが二つずつ通っていたが、目立つほどの物ではなかった。
一応、久居が城勤めの最中でも身につけていられるよう、リルなりに考えての事だったようだ。
「装飾品など初めてなもので、よく分からないのですが……」
「久居、とっても似合ってるよっ!」
リルの嬉しそうな声に、久居の胸は締め付けられる。
「ありがとうございます……リル……。……一生大切にしますね……」
「え? それはちょっと大袈裟な気が……」
久居が、口の中で小さく小さく付け足した言葉は、リルには十分聞こえてしまったらしい。
リルの胸元では、濃紺色の石が揺れてキラリと光を返す。
久居はほんの少し躊躇ってから、口を開いた。
「リル……」
「うん?」
もうここへは二度と来ないと、今日、彼に伝えるならば、これは今伝えなければならないはずだ。
そう自身を説得して、久居は切り出す。
「リルの周りの方が黙っている事を、私が言うのもどうかと思ったのですが……」
久居の言葉は、リルへと静かに降り注ぐ。
「その石は、これからずっとリルの物なのですから、その代償が何であったのか、知っておくべきではないでしょうか……」
「うん……?」
リルは、胸元に下がっている石を手に取る。
どこにも角の無い、ぺたんとした石。
「おそらく……の話ですが、その石はお母様の髪と引き換えに手に入れたもので……」
そこではじめて、リルの顔色が変わる。
「フリーさんはその事に気付いていたようですね……」
リルは手の中に収まるひんやりとした石を握りしめる。
その石は、リルの手にしっくり馴染んだ。
「そ……そう……なの……?」
俯くリルに、久居は目を伏せて「おそらく……」と答える。
「え……じゃあ、ボクの封具を作らなければ……お母さんの髪は、今も長いままだったんだね……」
しゅん……と凹んでしまったきり顔を上げないリルに、久居が責任を感じて、おずおずと手を伸ばす。
初めて会った頃よりも、少し伸びてきたリルの後ろ髪は、襟を通り越し、肩へとかかっている。
途端、リルは勢い良く顔を上げた。
「わかった!!」
その勢いに驚き顔の久居を置いて、リルはグッと拳を掴む。
「ボクも! 髪伸ばす!!」
「……いえ、そういうわけでは……」
「この辺が! チクチクして痒いけど! 我慢するっ!!」
「いや、それは……」
久居は、話が微妙にずれている事に気付きながらも、突っ込んでしまう。
「括ってしまえば良いのでは……?」
「え?」
そんなわけで、久居はリルの背後で、その髪を結っていた。
「櫛まで持ってるって、すごいねー」
「側付きは、身嗜みを整えることも仕事の内ですからね」
久居は、指一本分ほどの横幅の小さな櫛でリルの髪をまとめながら、自身にはない小さなツノを前に躊躇う。
「角には触覚があるんでしょうか……? 触れても良いものなのかどうか……」
そんな久居に、リルは「ないよー。触って大丈夫ー」とのんきに答えながら「久居の髪はいつもつやつやだもんね」と続ける。
「ああ、これは椿油を塗っているのです」
「え、そうなの? 久居は元々ツヤツヤなんだと思ってた」
「私の髪は、光を反射しない性質なので……」
答えながら、久居は紐を引き絞った。
「はい、できましたよ」
ふわりと囁くような言葉とともに、久居は小さな鏡を袂から出すとリルに差し出した。
「わぁーーーっ!!」
リルは、くるくると向きを変えながら、自身の後ろで揺れる小さな尻尾を右へ左へと揺らして喜んでいる。
「久居とお揃いだーっ。わーいわーいっ」
ふわふわと花を振りまくリルに、久居が申し訳なさそうに謝る。
「紐が私のお古で申し訳ないですが……」
「ううんっ、嬉しいよっ!」
久居を見上げるリルの、心の底から幸せそうなその笑顔に、久居は伝えるべき言葉を飲み込んでしまう。
(リル……。今日こそ、もう二度とここへは来ないと告げねばならないのに……)
久居は、拳を握り締めた。
作品名:Evasion 1巻 和洋折衷『妖』幻想譚 作家名:弓屋 晶都