マイカ4×4(フォーバイフォー)
01
久しぶりに店長から電話があった。お前にやるものがあるから来いと言う。店長というのはぼくが以前バイトしていたファミレスの店長だ。だから今でも店長と呼んでる。店長も今では別の仕事をしてるから、実は言葉のどんな意味でももう店長じゃないんだけれど。
住んでいるのは近所だから昔は何度か家に遊びにも行ったけど、店長が結婚してからは道で挨拶するくらい。だから、ずいぶん久しぶりだ。
行ってみると、カメラだった。旧(ふる)い二眼レフだ。また、やけに小さい。
「ベスト判じゃないですか」
「なんだ、そりゃ」と店長。「もらい物なんだけどな。どうも全然わからない。お前、こういうの詳しいだろ」
で、くれると言う。うーん、と思った。正直、こんなのをもらってもな。
シャッターをチャージして、レリーズしてみる。切れた。一応。ちゃんと正確に動いているかどうかは知れない。でもシャッターが切れるってことは、使えるってことだ。とにかくは。
使えないのは、
「これ、フィルムがないんですよ。もうとっくに造られてない。ひょっとするとマニア向けにどこかで造っていたりするかもしれませんけどね。でも手に入れようとするとかなり高くつくんじゃないかな」
「フィルムならあるぞ。これでいいのか」
細長い小さな箱をいくつか出した。開けてみる。フィルムを巻いたスプールが箔にくるまれて収まっていた。大きさは単三の乾電池ほどだ。
「やけに細っこいな。なんなんだそれ」
「そういうフィルムなんですよ。普通のパトローネ式のやつと違って、巻いて巻き戻すってことをしない。同じスプールをもう一個使って、それにきっちり巻きつける。隙間がないから細くなるんです。画面自体は大きくてもね」
「何を言ってるかサッパリわからん」
実物で説明しようとしたが、頭が痛くなるからやめろと言われた。まあそれが利口かもしれない。ひとつひとつ説明してたら日が暮れちまう。
旧いカメラは値打ちが出るものと思ってる人が多いらしい。テレビなんかでよくそんな話をやるが、とんでもない大嘘だ。カメラというのは精密機械だ。古くなればどうしたってガタがくる。骨董的な価値はない。
とりわけフィルムも現像代も高くなってしまった今に、こんなもの中古カメラ屋に持って行っても言われるのはこうだろう、「これはお持ちになっていた方がよろしいですよ」。いつか値打ちが出るからじゃない。ゴミは買い取れないからだ。
それにしても、
「これ、なんてカメラなんです」
「さあ。お前にもわからないか」
わかるわけない。銘板がないのだ。つまり普通ならおでこのところに造った会社の商標を記した板が付けられているわけだ。けどこいつにはそれがない――ないというか、取れてなくなってしまっている。
それがあったはずのところにネジ穴がふたつ残っているだけ。気の毒に。こいつは名無しのゴンベエだ。
あちこちためしすがめつしてみた。レンズの鏡枠の文字とか横の刻印とか。けれどわかったのはこれがメイドインジャパン、日本製ということだけ。
「こりゃあきっと〈AからZまで〉って時代のやつだな。名前はお手上げだ」
「AからZ?」
「ええ、まあね。こういう二眼レフっていうのは構造がすごく簡単なんですよ、カメラとしては。だから戦後の復興期、造る会社がずいぶんたくさんあったんですって。ちっちゃなもんでしょ、カメラなんて。クルマとかピアノとかに比べたら……でも結構お金になるというわけで。だからそんなメーカーの名をアルファベット順に並べたら、AからZ全部揃うんじゃないかと言われたんだとか」
「ふうん、なるほどねえ」
「でもそれにしちゃ、これ結構いいカメラかもですよ。レンズ、カビが生えてるけど。もらっちゃっていいんですか」
「何? カビが生えてるだと?」
ぼくはカメラの裏蓋を開けて――やり方がよくわからずに苦労した――絞りを開放にした。シャッターをバルブにして開け、蛍光灯の光にかざす。
「いいですか。こうやって覗く」
「うわっ、ひでえ」
ぼくも覗いてみた。白く小さなカビが見える。店長にどう見えたかしれないが、そうたいしたものじゃない。写りにはさして影響ないだろう。
「なんでガラスにカビなんかが生えるんだよ」
「押入れなんかに長い間入れとくとね。湿気があるでしょ」
「だって、レンズの中じゃないか」
「だから余計。隙間から入って巣くっちゃう。一度入ったら出らんないでしょ」
ぼくはもう一度、本当にもらっていいのかと訊いた。
「最初っからやるつもりだから、別にいい。お前こそいいのか。そんなやつ」
「まあ、こんなのは普通です」
「よし。持っていけ、泥棒」
こうしてカメラはぼくのものになった。
店長は言う。「それな、もともとウチのやつがもらってきたんだよ。友達んとこのじいさんの持ち物だったらしいんだけど」
ずいぶんとタライまわしにされるカメラだ。「へえ、なるほどね。おじいさん」
「うん。最近死んだんだって」
作品名:マイカ4×4(フォーバイフォー) 作家名:島田信之