バレずに済めばいことだもの
02
きみはまあどこにでもいる普通の男だ。だから今度のことにしても、ちょっと運が悪いだけだ。そうだな。元はというならば、きみが結婚する前に今の妻に呼び出され、「出来ちゃった」と告げられた――その時からツイてない。
その時にも言ったんだっけ。「それがホントにオレの子かどうかわかったもんじゃない」とかなんとか……うん、まったくきみはどこにでもいる普通の男に違いないよ。
とにかく出来ちゃったもんはしかたがなかったねえ。それが生物、男と女というもんだ。きみは父親になったのだった。鳥のように巣で待つヒナにエサを運ぶのが仕事だが、まず最初は奥さんだ。
みるみる腹が丸く膨らんでいくんだよ。ヒナはヒナでも、まるでカッコウのヒナみたいだ。必死になって空を飛び回る自分より家でグータラしてるやつが太ってく。なんの義理があるんだろうと思うよな。ううむ、こいつはカッコウというより、サギに遭ったみたいなもんだと。
そしてだんだん巣に帰りたくなくなって、だからきみは、つまり、その、まあ、なんつーか、やっちゃった。ついフラフラと、出来心さ。別にたいしたことじゃない。誰でもやっていることだ。そうしてまたある時にきみは浮気の相手の女に呼び出され、こう言われたわけなんだ――「出来ちゃった」と。
笑って済ませることではないぞ。学習能力がないのかきみは――って、あるわけないよなあ。これから人を殺そうとしているやつに人の命の重さを問うのもナンセンスだろうなあ。
きみという人間はいつもそうしてやってきた。何かあるとすぐ逃げる。ごまかしてなかったことにする。問題があると先送りして、臨界超えて爆発するまでほっておく。そしていつでもドカーンだ。人に迷惑かけながら反省するということがない。だから何度でも繰り返す。
どういうわけか世の中には、きみみたいなダメ男に惹かれる女がいるんだね。ある種のタイプの女性の脳には〈ダメ男レーダー〉とでも呼ぶべきアンテナがあって、電波でピコーンピコーンと常に索敵してるんだ。で、ターゲット・ロックオン! 捕まえたら離さないわ!
かくして事はカタストロフに至るのだ。破滅に向かって進む列車を誰に止めることができようか。きみが真実を言えないままに挙式の準備は整っていった。
式場の予約に披露宴の打ち合わせ。新婚旅行に引き出物選び。それらのすべてに彼女は目を輝かせた。きみはそれらに付き合いながら、拷問にかけられている気分だった。
人生のあらゆる嫌な場面から逃げ続けてきたきみが、この最悪の状況で、今度ばかりは逃げるわけにいかないのだ。式当日にすべてがバレて空が自分に落ちてくるのがきみの豆腐頭でさえもわかっていた。体は震え、足はもつれ、恐怖のあまりに喉がふさがりまともに息もできなかった。
この十日ばかりの間、きみは気が狂いそうだった。これで人生おしまいだ。なんでオレだけがこんな目に。仕事はクビだ。未来はパーだ。なんでなんでオレばっかり、いつもいつも「お前なんか死んじまえ」と人に怒鳴られるんだよう。
――と、そこで見たのがさっきのテレビのニュース。あれこそ神の啓示である! そんなわけできみは今、時速百キロを超える速度で彼女の元へクルマを走らせてるわけだ。
酔っ払いは無茶な運転するよなあ。夜道を照らすヘッドライト。ビュンビュン後ろに流れ去ってく風景。視界がなんかグルグルしてて、空にUFOみたいなものがジグザグ飛行しているなと思ってよく見てみると赤だか青の信号だったりするけれど、別にそんなの気にならないから行け行けゴーゴーだ。
スピードを感じているとゾクゾクしてくる。体が熱くなってきて、興奮のあまりに叫びたくなる。むろん酒のせいばかりじゃないのさ。彼女を殺すと決めたからだ。ひゃっほうオレはやったるぜ! もうこうするしかないもんな! あのテレビもさっきなんか言ってたよな。〈被害者の女性が心に受ける痛手は計り知れない〉とかなんとか――。
そうさ。そうだよ。そうだよなあ。一生苦しみ続けることになるなら、何も知らない今のうちに死ぬのが幸せってもんだろう。生まれる子だってかわいそうだ。だからここで死なせてやるのが母子のためなんだよな。
オレがこれからやることは慈悲の心でやることだから、つまり愛の行為なわけよ。うーん、なんかグッときちゃうな。自分に惚れ惚れするっつーか、男はかくあらねばならんというか。天国でふたりがオレに手を振る光景が今から眼に浮かんじゃうな。ありがとう、あなた。ありがとう、パパ。いいんだ、お前達、いいんだよ。オレはただお前らが幸せならいいんだよ。
これは感動の嵐だなあ。魂を揺さぶる贖罪のドラマだなあ。かつてこれほど美しく悲しい愛があったろうか? 果たして無能な警察にこの完全犯罪の謎を解くことができるだろうか?
フフフ、解けるわけがない。凄えぞ、オレは天才だ! そうとも。刑事の誰にでも、これからオレのやる事の謎をほどけはしないのさ! 「ああ、わからん、動機はなんだ。まるで犯人の見当がつかない!」そう叫んで壁に頭をガンガンぶつけるやつらの姿が眼に浮かぶぜ! フフフフ、愚かな凡人どもが。一生悩み続ければいい!
――って、よくまあそこまで物事を自分の都合のいいように考えられるもんだなきみは。そのあきれた浅薄思考に感服つかまつっちゃうよ。実際、殺しをやるやつなんて大抵こんなもんだろうけど。
きみさ、せめてもう少しスピードを落とすわけにはいかんのかね。そんなんじゃ彼女の家に着く前に衝突事故でお陀仏だぞ。シートベルトもしてないしな。エアバッグなんか効きゃしないぞ。
そうだ、いっそ死んじまえ。きみみたいなやつは死んでいいんだ! それが世のためなんだ! きみがここで死にさえすれば彼女の苦しみもやわらぐってもんだぞ! ちょっとハンドル切り損ねればいいことなんだよ。ほら、電柱にぶつかっちまえ!
あ、バカ野郎。避けんじゃねえよ酔っぱらいのくせに! 警察も一体何してやがるんだか。こんなやつが無謀運転しているのに、肝心な時に役に立たねえ。税金泥棒が。だから犯罪がはびこるんだろう!
ここでこいつを止めないと、罪のない女とお腹の子が死ぬんだぞ! ダメ男は別に生きていなくていいんだ! さあ死ね、あの世に行ってしまえ! 対向車にでもこの際ガツンと激突しちゃえ! きみをこの世から消すためならば、ひとりやふたり尊い犠牲というもんだ! ガソリンの火に包まれて焼けちまえ! 黒コゲになって地獄へ行くんだ!
さあ前からクルマが来たぞ。そこだ、ぶつかれ! あ、向こうが
作品名:バレずに済めばいことだもの 作家名:島田信之