六人の住人【完結】
20話「生まれた猫」
その日の俺達は、この上なく不安定だった。理由はまたも、「死」だった。
時子は、他者の死に耐えられない。俺のような者がいる事からも分かる通り、人の死を乗り越えられないため、いつまでも悩み続ける。
その日の時子は、あるミュージシャンが没した事を思い出し、ひっきりなしに泣いていた。
深夜を超える頃には、俺「五樹」と、「彰」、「悠」が交代に現れた後で、時子はぐったりと布団に横になり、目を閉じていた。
時子の意識がゆっくりと埋められ、そこで心の中の視界は、急に俺に切り替わる。
俺は、「また自分が目覚める事になるのか」と思っていた。だが、足元にいた小さな何者かに目を奪われたのだ。
それは、羽根の生えた猫だった。
妙なものがいるな、俺だけの部屋のはずが。そう思っている内に、そいつは開け放たれていた俺の部屋から飛び出して行ってしまった。
「待て!こら!」
“部屋”から出た者には、平等に意識の外に出る権利が与えられる。羽根の生えた猫?そんなのアリか!
結論として、そいつはやっぱり猫だった。
「猫」が初めて現れてから2日経つが、夜の方が現れやすいようだ。
表に現れない時は、猫はずっと俺の部屋にいて、ほとんどずっと俺に向かって鳴いている。意識を探ってもそこに言語はなく、名前も分からなかった。
猫が表に出ている時は、鳴くだけだ。他は何もしない。目も開けない。指先を小さく丸め、寝転がっている。
鳴いている猫は、何らかの大きな負荷を感じているように思う。たとえば俺達が「痛い」とか「苦しい」と思う時のように。
だんだんと熱して悲壮さを増していく鳴き声は、赤ん坊が泣いているようだった。
猫が現れた日、俺が意識を取り戻してすぐに、カウンセラーに猫の様子などを、詳細なメールにして書送った。
その返事を要約すると、こうだ。
「動物的な人格は胎児の頃のトラウマと関係しているかもしれません。優しく、「生まれてきていいんだよ」と声かけをしてあげてみて下さい」
時子は、産まれる前に母が人工中絶を何度か行ったため、命の危機に遭っている事になる。そういう事は胎児にも理解出来て、防御のために身を縮めたりするものらしい。
俺は一度、自分が部屋にいる時に、猫に話しかけてみた。
「なあお前。お前は、生まれてきて、幸福になっていいんだよ。みんながそれを喜んでくれる。そうしなよ」
猫はそれを聞き、自信なさげに首をすぼめるばかりで、泣いたのは俺だった。でもそれは、俺の感情ではなかった。
目の前で寂しそうに下を向いている猫が泣いているのだ。それが俺の方に回ってきた。
“こいつはまだ泣く事が出来ないのかもしれない”と、俺はそう思った。
その後、俺は猫の出た夜に、注意深く様子を探っていた。
「んぁ…んにゃー…にゃー…」
喉に引っかかったような声は、次第に大きくなっていく。息がしづらいようで、苦しい。
俺は猫と意識を重ね合わせられたようで、猫が瞼の裏に見ている景色が見えた。
それは、目の前にいた胎児が、だんだんと引っ張られて見えなくなっていくというものだった。
猫が悲痛な声で鳴く。いや、泣いているのだろう。
胎児が取り去られる所を、隣にいた胎児が覚えているものかどうか。俺には分からない。
だが、たとえもはや想像にしか過ぎないような鮮明過ぎる映像も、起こった事とそんなに大きな違いがあるわけでもない。
この子は、自分が死ぬ所だったと今でも怯えている訳ではない。いなくなった片割れ恋しさに、泣いていたのだ。