六人の住人【完結】
2話「時子の地獄」
俺たちを生んだ、主人格の「時子」。まずは彼女がどのように生まれ育ったかをここに書く。少し話は長くなる。
そこは、3LDKの公団だった。どの部屋にある物も規則正しく整頓され、寝室には眠りやすい高価なベッド、そしてダイニングキッチンには足載せ台のあるきちんとした椅子がある。そんな一見すると暮らしやすい環境は、時子にとってこの世の地獄でしかなかった。
「時子ー!」
けたたましい女の叫び声が、その頃13歳だった時子の名前を叫ぶ。慌てて寝室に居た時子はキッチンへ走った。
「何…?」
おどおどとしていながらも、時子はあまりそれを悟られないように、いや、弱みを見せないようにと努めた。時子の前には、何かプラスチックの部品のような物を持った女が、その手を振るわせながら立っている。
「あんたね!何度言ったらわかるのよ!排水口の封水を作らなくちゃいけないんだから、食洗機が止まったら、すぐに洗っていた部品を排水口にはめろって言ってるじゃない!」
排水口には、「封水」と言い、下から汚水の臭いが上がってこないように、水を貯める仕組みがある。そしてこの女は、「食器洗浄機から排水されたお湯でやるのが効率的だから、食洗機が止まったら部品を取り出して、排水が始まる前に排水口に戻してね」と、2週間前に時子に教えた。
ここまでの話でもうくたびれてしまった人も居るかもしれない。「そんなの水道の蛇口をひねればできるでしょ?」と思った人も居るだろう。俺だってそう思う。
「痛っ!」
その女は、排水口の部品で時子の頬を殴った。たった一つの言いつけを守れなかった子供に、自ら暴力をふるったのだ。
「もう十回は間違えてる!お前みたいな奴にはこうやって言い聞かすしかないんだよ!わかったか!」
そう叫びながら、その女は何度も時子の頬を殴り、時子の顔は真っ赤に腫れ上がった。
時子の家では、こんなことは当たり前のことだった。「食器の音をうるさく立てたから」と玄関に座らされて食事をさせられたり、理不尽なほど厳しいルールを守れなかった時、本来ならあるはずのない「罰」を甘んじて時子は受けた。
そしてついにその家から逃げ出す前に、時子の心はすでに俺たちを生んだ後でもあった。
7歳の「悠」が、俺たちの中では一番早くに生まれている。
奴は7歳の時に両親が離婚した時子が、その悲しみと分離に耐え切れずにしまい込んだ寂しさで、今でも出てくる度に、「ママは?」と言って周りを困らせるのだ。
時子の両親は、時子が7歳の時に離婚している。父親の方がよく我慢したと思う。子供を虐待している癖に、あの女はあろうことか「両親が揃っていた方が子供にとって環境がいいから」などとのたまい、離婚を引き延ばしに引き延ばした。
そして離婚の際に母親は、「この子を連れて行くなら、一千万払ってよ」と言い渡し、父親は、時子が成人する頃まで、その金を時子の母に払い続けた。
「ああでもしなきゃ、時子が死んじゃうからさ」と父親は言っていた。
両親が離婚してから、時子はすぐに母方の祖父母の家に預けられたが、知らない男と再婚したはずの時子の母が、新しく産んだ子供を連れ、そこへ戻ってきた。それから案の定家の中は喧嘩だらけのめちゃくちゃになり、「家の空気が良くないから」と、時子は父方の祖父母の家へまた移された。それは時子が12歳、小学6年生の頃だった。
時子は、転校に際しては何も言わなかった。学校でいじめを受けていたからだ。
これほどの粗末な扱いはないという育てられ方をした時子は、学校でもすっかり怯えていて、格好のターゲットだったのだろう。時子をいつも殴ったり蹴ったりする男子生徒まで居た。
そんな学校には別れを告げ、時子は新しい土地へ移った。しかしそこでも、母親から逃れることはできなかった。
「このままじゃおばあちゃん…頭がどうにかなっちゃうわ!」
ある日、父方の祖母がそう悲鳴を上げて泣いた。毎晩のように時子の母親から電話が掛かってきて、「時子は爪をちゃんと切れているのか」なんてことまで口出しをしてきたからだ。それに、「時子の暮らしに必要だから」と言って、逐一長い説明を電話でしながら、いろいろな物を送り付けてきていた。
父方の祖父母はとても優しい人たちで、荒れたところのない、和やかな家庭を時子に与えてくれていた。でも、時子の居る間に、祖父が癌に倒れて亡くなり、残された祖母と時子は、少しだけ話をした。
「時子ちゃん…これからどうする?」
祖母は涙を拭いながら、いつも綺麗に掃除のされた家の居間で、時子に向かい正座をしていた。
「私…お母さんが一緒に住もうって言ってるし、そこに行く」
すると時子の祖母は目を丸くして、「時子ちゃんは、ばあちゃんについてくると思ってた…」と、どこか悲しそうに言った。
その時、時子は自分の母親に振り回され続けた祖母を見つめていた。
そして、お腹の中で、“これ以上お母さんの犠牲者を出しちゃダメだ”と決め、自らを供え物にする決心をしていたのだ。
そして、13歳の頃から時子は母親と二人きりで住み、心を病んで攻撃的になり、人を支配して暴力や暴言を浴びせ続けるだけの母親と、地獄のような生活をした。
そして14になった頃には、時子はもう眠ることも、食べることもできなくなっていた。
「機械的にでもいいから食べなさいよ!」
怒鳴りつけるだけの母親のその言葉に、果たして愛はあったのだろうか。
ある日、時子は母親の家のベランダに居た。
“ここから、飛び降りる。そうすれば終る”
その時、時子はそれを強く感じて、自分でも押し留めることの出来ない闇に呑まれかけた時、家出をすることに決めた。もう戻らないつもりで。
“このままじゃ、絶対死んじゃう”
その朝は、寒かった。時子は母親が遅くまで起きてこなくても、自分が眠れないで夜が明けた時から、簡単な荷造りを始めた。そして、母方の祖母に電話を掛けて、駅までの車を出してもらった。
祖母は、大人であっても歯が立たないほど恐ろしい時子の母親をなんとか止めたいと願っていたので、喜んで車を出してくれ、東京へ向かった時子を「気をつけて」と見送った。
「お父さん、久しぶり。私、今日からここに住むから」
久しぶりに時子の姿を見た父親は、どう思ったのだろうか。きっと、時子がやっと逃げてきてくれたことにほっとしたに違いない。
俺たちを生んだ事情の前半は、こんなものだ。本当に長い話にお付き合い頂き、有難う。でも、今の話に戻るまで、あと一つ二つ、話していないことがある。