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眼鏡綺譚

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5:視力検査



 警察署で運転免許の更新をしようとしたら、視力検査に引っかかった。

「大沢さん! 視力が足りません! このままでは免許の更新ができません!」

 警察署のおじさんは厳しい表情で、所内全体に響き渡る大声で僕を怒鳴りつける。その声のおかげで、周りの人々の目が一斉に僕に注がれ、僕は気まずい思いをするしかなかった。

「もう一回だけチャンスを与えますが、それでも駄目だったら本当に免許は差し上げられません!」

相変わらずの大声だ、おじさんと僕の距離は1メートルと離れていないのに。決まりの悪くなった僕は、周りの人々の好奇心にさらされながら、おずおずと返答をする。

「……新しい眼鏡で、また出直してきます」
「はい? 眼鏡を作って、また後日、来るんですね?」

周囲の視線のおかげで、体中から流れる冷や汗が止まらない。なのに、一刻も早く立ち去りたい僕の気持ちをもてあそぶかのように、おじさんは再度確認をしてくる。

「はい。また来ます」

どうにか開放され、僕は出口へと歩いていく。周囲の人々は僕が出ていく道を開けつつ、ヒソヒソと話をしている。こんなの、屈辱以外の何物でもない。

 結局、警察署を出ても冷や汗と体の震えが止まらなかった。


 確かに、最近視力検査を怠っていた。それに、どうにもパソコンの文字が見にくい気がしていた。非は僕にあることは確かだ。だが、あんなに大きな声で注意する必要はあるだろうか。僕はペーパードライバーなので、視力が悪い中、運転していたわけじゃない。それに、何も法を犯したわけでもない。人に多大な迷惑だって、かけたわけじゃないのだ。なのになぜ、衆人の耳目が注がれている中、大声で怒られる屈辱を味わわねばならなかったのか。
 帰り道、怒りは増すばかりだったが、相手はさしもの国家権力。無力な1市民にあらがう術はない。結局その日1日ふさぎ込んで、翌日、眼鏡屋さんへと足を運んだ。

 翌日。
 行きつけの眼鏡屋に行き、視力検査を受ける。
「確かに悪くなっていますね。もう少し早く来てほしかったかなあ」
ここでもやんわりとだが、注意される。僕はそれに生返事で答え、とにかく免許の更新をするから何とかしてくれと言い募った。その結果、新しい眼鏡を作ってもらい、安くはないお金を払う。
 しかし、警察で怒られ、眼鏡屋でも怒られ、高い金を払わされる。目が悪いということはそんなに罪悪なのだろうか。まあ、罪悪なのだろう。諦めの中、トボトボと帰途につく。

 家に帰ってからも、イライラは収まらない。警察や眼鏡屋さんに対する怒りや、高いお金を払うことになった苛立ち。だが今度は、それらの怒りとはまた別の、不安というものが襲ってくる。そうだ、眼鏡ができたら、もう一度警察署で視力検査を受けなければならないのだ。その時にまた引っかかったら、再び衆人環視の下でつるし上げられるのではないだろうか。しかし、いまさら慌ててみてももう遅い。新しい眼鏡のレンズは、今日、作ってしまったのだ。確か、視力検査に合格するには両目で0.7以上が必要なはず。店員は、このレンズなら両目で0.8は見えるので、間違いなく通るはずですとは言ったが、その余裕は0.1しかない。この0.1の余裕がどれほどなのかはよく分からないが、僕がちょっと穴の開いている位置を勘違いしたら、またあの悲劇の再来ではないだろうか。しかも1週間という短期間じゃ対策も練れやしない。もう、眼鏡屋さんが作るレンズを信用するしかないのだ。
 こうなると不安で眠れない。目をつむっても、良からぬことばかりが頭に浮かんでくる。仕方ないので、スマホで「視力検査 対策」なんて言葉で検索する。いくつかの有用そうな知識を仕入れることに成功はするが、結局、実践が伴わないので不安は募っていくばかり。そうやってジリジリしているうちに、空が明るくなってきてしまうのだ。


 そんな夜を何日か過ごし、新たなメガネを手に入れた僕は、重い足取りで警察署へと向かう。せめて、前回のおじさんじゃない人がいいなと思い、受付にそっと目をやるが、悲しいことに同じおじさんがそこにいる。彼を見た途端、心臓がギョクンと跳ね上がり、いきおい、動悸が止まらなくなる。怖い。いっそ帰ろうかと思ったが、足がすくんで動かない。まごまごしているうちに、自分の番がやってきてしまった。
「はい。次の方」
僕は、おじさんにおずおずと書類を渡し、先日、視力検査が通らなかった旨を伝える。
「ああ、こないだの。眼鏡、代えてきたんですね」
完璧に覚えられている。もう消え入ってしまいたい気分。
「じゃ、こちらをのぞき込んで、円の開いている位置を教えてください」
 恐ろしい視力検査が始まり、カシャンという音とともに眼前の画面が切り替わる。
「……!?」
見えない。なんにも見えない。目の前の景色は真っ白だ。開いている場所どころか、円それ自体、見えやしない。
「どうしたんですか。見えませんか?」
体中から吹き出る脂汗、荒くなっていく呼吸。限界状況の中で眼鏡を機械に押し付けて食い入るように中をのぞくが、やはり、そこには何の景色も見えない。
「……見えませんかぁ? じゃあ、やっぱり免許は更新できませんねえ。アッハッハッハ」
おじさんは大声で笑い出す。それにつられて、周囲の職員も、更新に来た人までもが僕を笑い出す。
 その笑い声に包まれながら、それでも機械に眼鏡を押し付け、何とかして見えない円の開いている場所を見ようとしていた……。


 ハッと意識が戻る。目の前にはスマホ。そこには、何度も見た「視力検査 対策」の検索結果が表示されている。
「夢、か……」
つかの間、安どする。だが、スマホの日付を見れば、今日は作った眼鏡の受取日だ。眼鏡を受け取ったら、検査を受けに警察署に行かなければならない。
「……いっそのこと、免許返納しようかなあ」
でも、まだまだ若いのに返納したら、また笑われるのだろうか。でも、返納のとき、一回笑われるだけですむのなら、数年おきに一回視力検査をするよりはいいかもしれない。

 視力検査一つにそこまで追い詰められた僕は、まだ眠気の取れない顔で眼鏡屋へ眼鏡を取りに行く準備を始めた。
作品名:眼鏡綺譚 作家名:六色塔