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眼鏡綺譚

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2:2000



 みんなは覚えているだろうか。2000年の「2000」を形どった眼鏡の存在を。

 知らない若い人もいるかもしれない。「2000」の百の位の0と十の位の0にレンズを入れて、サングラスにした眼鏡があったんだ。西暦2000年を祝って作られたこの眼鏡は、ミレニアムの前後に少しだけはやったものだ。今日はこの眼鏡に関する話をしようと思う。あんまり、明るい話ではないけどね。

 時は1999年。
 ノストラダムスが記したあの月が、到来するっていうあの時期、俺は死にそうになっていた。ノストラダムスのせいで死にかけていたわけじゃない。とてつもなく大変な仕事を任せられていたんだ。
 これまた若い人には分からない話をして恐縮だが、当時、2000年問題というのが取り沙汰されていた。簡単に説明すると、コンピューター内で年号を下2桁で管理していると、1999年から2000年になった際、挙動がおかしくなってしまうというものだ。似たような問題は、昭和100年問題など今もそれなりにあるのだが、このときほど危機感をあおられたものはないように思う。
 当時の俺は、中小企業でシステムエンジニアとして働いていた。入社2年目。どうにか自分の仕事の範囲なら分かり始めた、そんな程度の実力。会社はそんな俺に、自社で抱えているいくつかのシステムに、2000年問題が起きるかチェックをする業務を命令した。
 今になって思えば、会社としても苦渋の決断だったのだろう。ただでさえ中小の零細。金にもならないこんな仕事に割く人員などいやしない。でも放っておけば取り返しがつかない。せいぜい動かせるのは、若手1人が関の山。そんな状況で、白羽の矢が立ったのが俺だったというわけだ。
 いい年になった今なら、会社側の事情も理解できる。だが、当時の俺にはそんなことは分かりゃしなかった。表には出さなかったが、何で俺なんだという怒り、上司に対する不信、システム全ての挙動を見て回る面倒くささ、ゆううつさ、そしてこんな時代になぜ生まれたんだという少しスケールの大きい後悔。そんなものを抱えながら、仕方なく仕事を引き受けたのだった。

 案の定、作業は難航した。試験項目を挙げ、環境を作成し、実際にシステムを導入する、そして時間を2000年以降にずらして動作確認を行う、というのが大まかな流れだったが、それを通常業務と並行して行わなければならない。当然残業になる。残業代=金よりも、遊びたい盛りだった当時の俺は早く帰りたかった。それがさらにストレスだった。
 作業を進めていくと当然、分からないことが出てくる。若手だし、仕方がない。分からないことを上司や先輩に聞きに行く。しかし、昔、納期に追われて作った古いシステムだ、開発した本人も記憶がおぼろげであまり覚えてはいない。資料を見ろと言われ確認するが、それも間違いだらけでよく分からない。そういう形で暗礁に乗り上げ、しかたなく手を付けた別のシステムも同様の理由で行き詰まる。もともとの士気の低さもあって、すっかり俺のやる気はうせてしまった。
 だが、時は待ってはくれない。ジリジリと締め切りである2000年は近づいてくる。この頃の俺は、ノストラダムスの記したことが現実になり、2000年なんか来なけりゃいいのにと本気で思っていた。しかし、「世界が終わるので、この仕事、やりません」なんて上司には言えない。俺は一人でこの面倒な恐怖の大王に立ち向かうしかなかったんだ。

 ここで俺は観念して、やり方を変えた。誠実にやろうとしていたのが間違いだったんだ。とにかく終わらせることに専念する。分からないところはもう置いとく。OSその他のバージョンの違いや、挙動がはっきりしない部分などはすっ飛ばして、とにかくやるだけやりました、格好つけました、と報告できるような作業方針に変えたのだ。
 この転換は俺の心を、再生が不可能なほど痛めつけた。誠意のある作業を行えない。これでは上司に怒られてしまう。上司だけでない、実際に2000年がやってきた時、システムが動かなくなって、多数のお客様に迷惑をかけてしまう。鳴り止まない電話。その中で叱られる俺。そんな惨めな光景が頭の中に思い浮かんで仕方がない、それでもこうしないと作業は進んでいかない、板挟みで一時は死を考えたほどだった。今になって考えれば、先述のように会社側の事情が分かっていたとしても、こちら側も少しは物を言っていい状況なのだが、既にネガティブな妄想で縮み上がってしまい、怖くて物など言えやしない。そんなわけで、がらがらと壊れていきそうな心を無理やり鼓舞しつつ、やっつけ仕事でどうにか逃げ切ってしまったのだった。

 年が明けて2000年。街にはミレニアムを祝う「2000」眼鏡をかけたやつらが、大挙して浮かれまくりだ。そんな光景をテレビで見ながら、俺は一人浮かない顔。これから地獄が始まる。自分だけじゃなく、お客様にも迷惑がかかるだろう。状況次第ではクビになるかも。既に正月気分じゃない。怖さを紛らわすためのやけ酒、やけ食いだ。このときほど、テレビの向こうの浮かれてる連中に殺意を抱いたことはない。その浮かれてる連中の象徴が、「2000」の眼鏡だったんだ。
 ……要するに、この眼鏡がはやっている最中、俺はとてもつらい思いをしていた。それだけの話なんだ。けれど、逆に言えばこの程度で、人間は何かを嫌いになれるし、殺意を抱けてしまうんだ。

 で、2000年問題のほうはどうなったかって? びっくりするぐらい何にも起きなかった。あれだけ悩んで悩んで悩み抜いて、死のうとすら考えたのが恥ずかしいくらいにね。確か数件ほど、問題が起きたところがあったけど「2000年だし、仕方ないっすよね」みたいな感じで、お客さんも寛容だった。むしろ、話の種や記念になって喜んでた節もあったくらい。
 助かった反面、物事を真面目に捉えすぎるのもどうかと思ったね。もしかしたら俺、「2000」眼鏡をかけるくらい、浮かれるほうがいいのかもしれないな。


作品名:眼鏡綺譚 作家名:六色塔