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眼鏡綺譚

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1:大石先生



 小学生になった春。僕は、恋をした。

 入学式を終え、教室へと移動していた僕。急な階段を登り、慣れないランドセルが肩に食い込む中、どうにか自分の教室を見つけ出す。そして、その開きっぱなしの扉をくぐったときだった。
「はい。自分の名前が貼ってある、椅子に座りましょう」
教卓で僕たちに指示をしてくれたのが、担任の大石先生だった。

 まとめ上げた髪。キリッとしたスーツ。りりしい顔立ち。大石先生はとてもきれいだった。特に、美しい目を覆っているこれまた美しい眼鏡が、整った顔立ちと相まって、上品な知的さを醸し出していた。
 僕は先生を見て、思わずうっとりしてしまう。よく分からない、言葉では言い表し難い気持ち。大人になった今なら、憧れだの恋だのという言葉も思い浮かぶのだが、当時の僕には分かりっこない。ただ、ひたすらに激しく揺さぶられる感情に身を任せ、そこに立ち尽くすしかなかった。だが席に座らねばと思った僕は、その気持ちを押さえ、どうにか自分の名前のラベルが貼ってある席に座る。でも、僕の先生を見つめる目は止まらない。僕は比較的早く教室に着いたので、クラス全員がそろうにはまだまだ時間があった。先生は、ちょうど今、来た子に指示を出したり、まだ来ていない子を名簿で確認したりしている。そんな先生を熱い目で見つめられる時間はとても幸せだった。

 やがてクラス全員がそろう。先生は、黒板に大きく字を書いた。
「先生の名前はおおいし ゆかりといいます。大石先生って呼んでください。何か聞きたいことはありますか?」
何人かが手を挙げる。先生が一人の子を差すと、その子は元気な声で
「せんせいは、いくつですか」
と問いかける。
「先生は、27歳です」
笑顔で答える先生に、僕の胸はまた高鳴り始める。そうだ、これは先生とお話ができるチャンスじゃないか。僕は張り切って手を挙げるが、別の子が差されてしまった。
「せんせいは、けっこんしてるの?」
「結婚は、まだしていません」
先生の回答を聞き、僕はホッとする。当時は言葉にならなかったが、大好きな先生が誰のものでもないことが分かって、うれしかったんだろうと思う。
「はい。じゃあ、高石君」
ようやく指してくれた。僕は立ち上がり、先生を見る。このとき、血液型を聞こうとしていたのだが、眼鏡越しの先生の目と自分の目が合った瞬間、何もかもが吹き飛んでしまった。
「…………」
質問を待っている先生は、言葉にならないくらい美しかった。お母さんはもちろん、保育士さんや、友だちのお母さんにもこんなきれいな人はいない。僕はドキドキしながら先生を見ていたが、今は質問をしなければならない。
「あの……」
血液型を聞けばいいのだが、舞い上がっていて「血液型」という言葉を出てこない。そこで僕は仕方なく質問を変えたんだ。
「えっと、せんせいは、と、とてもめがねがにあってます」
しまった、これは質問じゃない。そう思った瞬間、みんながワッと笑い出す。僕は恥ずかしくなって下を向いたが、そのとき先生の声が聞こえた。
「そうなんです。先生、小さい頃から目が悪いので、眼鏡は結構似合ってると思います。高石君、ありがとう」
クラスのみんなは感心し、何人かが再び手を挙げる。窮地を救ってくれた大石先生に、もはや僕は完全にハートを射抜かれていた。

 翌日から早速、僕の先生への求愛行動が始まった。授業中、先生を熱っぽく見つめ、休み時間も先生につきまとう。お昼も、いつも先生の近くで僕は給食を食べていた。
 しかしこんなことをしていると、先生もちょっと問題視する。先生は真面目な顔で僕に聞いてきた。
「高石君、好きな女の子とかいないの?」
「大石先生が好き」
「……うーん」
僕の屈託のない様子に、先生は眉を寄せる。困っている先生もすてきなんだから、どうしようもない。
「でも、先生につきまとうのはやめなさい、ね」
「はーい」
もちろん言うことを聞く気はない。こうして、1年生はあっという間に過ぎ去っていった。

 1年生から2年生は持ち上がりで、クラスは変わらない。担任の先生も変わらないわけで、僕はもう一年、先生のクラスでいられることを喜ばしく思っていた。
 しかし、2年生になってから、先生の様子が変わり始める。以前より、どこかよそよそしいのだ。以前なら、笑顔で「やめなさい」だったのが、2年になってからは事務的で冷たい。それでもつきまとう僕を、以前はなんだかんだ相手してくれたが、近頃はやっぱり冷たく「みんなと校庭で遊んできなさい」だ。さらには、給食の時間もきちんと「みんな」と食べるようになってしまった。だが、それでも僕は先生へのアプローチをやめなかった。それぐらい先生が大好きだった。

 しかしその後、決定的なことが起こる。ある日の朝、教卓に立った先生を見て、みんなザワザワする。先生が眼鏡をかけていないのだ。
「先生、コンタクトにしました」
メガネをかけていない先生は、もちろんきれいで、今まで以上に快活に見えた。けれど、僕は眼鏡をかけていない大石先生を見て、気持ちが急速に冷めていくのを感じていた。

 結局、僕は眼鏡をかけた先生の醸し出す知性が好きだっただけなんだろう。先生が僕のために眼鏡を外したのかは今となっては分からないが、少なくとも、1人のませガキが自分を好いている理由が眼鏡でしかない、というのは十分よく分かっていたんじゃないかと思う。

 2年生が終わり、3年生になった。僕は大石先生のクラスではなくなってしまった。でも、既に気持ちの冷めきっていた僕は、それを悲しいとも思わなかった。
 それから半年ほどして、大石先生は結婚を発表する。その瞬間、僕の中で名実ともに大石先生は大石先生ではなくなってしまった。

 でも、先生につけられた刻印は僕の中にいまだにうごめいている。今でも、大石先生にどこか似ている、眼鏡をかけた、知的な香りを漂わせた女性が好きで好きでたまらない。
 それが、目の前の女性に大石先生の影を求めることが、とても失礼で、いけないことだとしても、やめられないんだ。


作品名:眼鏡綺譚 作家名:六色塔