火曜日の幻想譚 Ⅲ
315.鼻血
最近、鼻血を出していないなあと思った。
もちろん鼻血はけがなので、出していないことはむしろいいことなのだが、なんとなく寂しい気がする。なんでだろうと理由をよくよく考えてみると、思い当たることがあった。鼻血を出したときの周囲のリアクションだ。
鼻血を出した時は、みんなとても優しい。やれ上を向けとか、首の後をたたいてやるとか、ティッシュを持っているとか、その他、血が止まる方法をみんなが持ち寄ってくれる。そう、みんな、奇妙なほど優しくなるのだ。そんなふうに優しくされると、どうも自分の立場がどこか特別になった気分になる。誤解を恐れずに言えば、幼少期の私は、鼻血を出すことで承認欲求を満たしていたのだ。
一方、大人になった今は、もうそんな欲求を満たせるような場所は用意されていない。ネット上で構ってもらうためにいろいろするのは、個人的には浅ましいと考えてしまうし、リアルでは言わずもがなだ。他人に認められるという欲求は、久しく満たされていない。
いっそ、鼻をぶつけて鼻血でも出してやろうかと言う考えが、一瞬、頭をよぎる。だが、すぐに打ち消した。鼻血を出して、周囲の人や家族の誰もが構ってくれなかったら、もうそこに残るのは絶望しかない。
私は今後、何回鼻血を出すのだろうか。大病などをしない限り、多分、それほど鼻血を出さずに生きていくだろう。事によったら、生涯、鼻から血を出さない事も考えられる。その理由は鼻血を出すのが怖いわけじゃない。鼻血を出しても誰も構ってくれないのが怖いからだ。