火曜日の幻想譚 Ⅲ
326.寿司
すしが食べたくなった。
だが、先立つものがないので、ATMに金を降ろさないと。そこで、最寄りの銀行へと足を運び、ATMで貯金を下ろす。すると、どうしたことだろう、お札の代わりにすしがそこにあった。
どういうことかと困惑していると、警告音が鳴り始め、早く取るようにせかしてくる。周囲の人々の視線が、一斉に自分に集まってくるのが分かる。仕方がない。僕は警告音の鳴り響く中、すしをATMから取り出した。とはいっても、まぐろ、いか、えび、サーモン、いくら……、大体そろっている。すぐに全部は取れない。まごまごしながら一個ずつ取り出すが、当然、すしは財布には入れられない。あっという間に手はふさがるし、ATMにも酢飯がこびりつく。進退きわまった僕は仕方なく、手にしたすしをそのまま口に運んでそしゃくする。うん、うまい。だが、何か複雑な気分だ。
何とか全てのすしを飲み込み終えると、ATMは閉まり警告音も止んだ。僕は安心して、その場を立ち去ることにする。
家に戻った後、つらつらと考える。今回のこのできごと、一体何だったんだろうかと。
僕は、論理や効率を重視する合理主義者だ。そして、自分と正反対の、情緒や感情を重視する人間を何度もやり込めてきた。先日も、見知らぬ男と意見を戦わせ、彼をコテンパンしてやった。もしかしたら、彼の仕業なのではないだろうかという気がしてきた。
だが、彼の仕業だとしても疑問が残る。
まず、僕のすしを食いたいという思いにどうやって気付いたのだろうか。しかし、これはどうにかなりそうだ。僕はわりと普段からすしを食べるし、普通の日本人は大体そうだろう。もしかしたら、僕が寝ている間に部屋に忍び込んで、酢飯の匂いを嗅がせるなんて芸当も不可能じゃない。
次、なぜ僕があのATMを使うことが分かったのか。これもそれほど難しくない。僕はいつもあのATMを使っているし、ちょっと僕の生活を見ていればすぐ分かる。
すしの調達もそれほど難しくはないはずだ。僕はそこまでグルメではない。近所のスーパーやすし屋で買ってくればいいだけの話だ。
最後、これが難題だ。ATMにすしを入れておく仕掛け。レシートなどの異物を検知しただけでも動作が止まるほどデリケートなあの場所に、すしを入れておくことなどできるわけがない。
「そこがおまえの甘いところだ」
ふいに脳内に染み込むように声が聞こえてくる。忘れもしない。先日の男の声だ。
「合理的に考えていたら、分からないことだってある。非合理的に考えれば、ATMからすしを出てきたっておかしくはない」
「いや、そんなことは……」
たじろぐ僕を押さえつけるように、声のボリュームは大きくなる。
「どっちにしろよかったじゃないか、すしが食えたんだから。合理的なおまえにお似合いだ」
声はやみ、結局、ATMからすしが出てきた謎も、声が脳内に響いてきた理由も分からずじまいだった。