火曜日の幻想譚 Ⅲ
329.地縛霊師匠
ろうそくの火を動画でずっと見ていた。なんでもリラックス効果があるらしい。
キャンプファイヤーの火を見るだけ、なんて動画もあったような記憶があるので、この手のものは結構、需要があるのだろう。半信半疑で私もやってみたが、何かをしながら常に考える癖があるせいか、あれこれと面倒なことが頭に浮かんできてしまう。リラックスはできたかもしれないけれど、それ以上に考え方の改善をしたほうがいいのかもしれない。
ところで、ずっと何かを見続けられるとすれば、何を見ていたいだろうか。愛する人? 家族? 組織の行く末? いろいろ思うことはあるけれど、究極的にはこの世界を眺めていられたらなあと思う。どんな喜ぶべきことも、どんなに悲しむべきことも、重大な秘密や、ときに残酷なことすらも、第三者としてその場で傍観していたいという欲望にかられる。
定点での視点で構わない。それがふかんならなおいい。なんとなく、ただ単に、くちばしも挟まずに、人類の日々の営みを、栄枯盛衰を、ただただこの目に焼き付けていたい。
これって、ある種の地縛霊の視点に近い気がする。命を捨て去ってその場に半永久的に留まり、何かをじっと見つめ続ける。まあ、ときには干渉してくる悪い輩もいるようだけど。
誰かに恨みを持ったわけではなく、こんな考え方で地縛霊になった方は今までにいないのだろうか。いるならばぜひ話を聞いてみたいし、ちょっと弟子入りもしてみたい。
できれば、文章などが残せるとなおいいのだけど、そこまで虫はよくないか。あの世にパソコンやスマホがあるなんてことは寡聞にして存じ上げないしな。