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火曜日の幻想譚 Ⅲ

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348.朝の戦い



 南郷川手線、鳥屋駅上りホーム。先頭から2両目の真ん中の乗降口。その並んだ列の右側2番目で私は意気込んでいた。今日だけは座りたい、と。

 実は休日だった昨日、友人に誘われて草野球をやり、腰を痛めてしまったのだ。普段は座席など空いていれば座るという程度のスタンスの私だが、今日は本気で座りに行きたい、そのように考えて早めに駅にたどり着いていた。
 だが、私の期待とは裏腹に列には既に3人の人間がいた。私の左前にいるじいさん、私の前の学生。そして隣りにいるおばさんである。

 電車の到着時間は刻一刻と近づいてくる。私は3人の顔を見回しながら冷静に戦略を練っていた。

 まず左前のじいさん。かれは座席には貪欲だが、それほど怖くはない。彼は車両に乗り込むと、すかさず左側の席を求めに行く。今回、乗り込んで右側の座席を求めようとしている私にとっては無害な存在だと考えていいだろう。
 次に、目の前にいる学生服を来た少年。彼も先ほどの老人と同様、顔なじみの存在だが、若いせいもあって座席にはそれほど執着していない。健康なときの私と同様、空いていれば座る程度の振る舞いをする子だ。こちらも心配はないと思われる。
 その二人が私より有利な最前列に位置している中、ひときわ大きな存在感を放っているのが、隣りにいるピンクの服を着たおばさんだ。普段は全く見たことがないこのおばさん。色眼鏡で見て申しわけないが、おばさんという存在はとかく座席に貪欲なイメージがある。少しの隙間があろうものなら無理やり尻をねじ込んでくる、それがおばさんというものなのだ。このミッションにおいて、もっとも要注意な人物だろう。

 いよいよ電車がプラットホームに滑り込んでくる。私は非情になってでも座席を奪い取ると腹を決め、扉が開くのを待ち続けた。

「プシュー、ガタン」

 扉が開く。私は前の少年との距離を詰め、素早くスタートダッシュを決めようとするが、予想外のできごとが訪れた。降りる客が異様に多いのだ。普段は1人か2人程度なのに、どうやら知り合い5人ほどでハイキングにでも来たのだろう、老人がぞろぞろと降りてくる。
 予想外の待ち時間を食う羽目になった私は慌てた、ここの4人はドア前で止まっているからいいが、他のドアから乗客はぞろぞろと入り込んでいるのだ。苛立つがどうしようもない。……しかし、逆に考えれば、5人前後の人間が降りたのだ、しかも老人。彼らは座席に座っていた可能性が高いのではないだろうか。ハイキングに行くなら車内でも立ってろと言いたいが、今回だけは許してやる。そう思っていたら、ようやく最後の老人が車外に降り立った。

 私は少年の後ろについて電車内に入る。じいさんは案の定、左側の空席を取りに行った。私は右前方に空席があるのを認めると、スッと少年を追い抜いてその座席に座ろうとする。そのときだった。
 横から何かが猛突進してくるのが分かった。桃色の物体。そう。隣りにいたおばさん。彼女も私が見つけた空席を手中にするために、勢いをつけて突っ込んできたのだ。

 こうなったら、おばさんよりも先に席を取るしかない。私も素早く確保に走るが、やはり貪欲なおばさんには敵いそうもない。あっという間に座席までの距離を詰めていく。まずい。腰が痛いまま、通勤時間を立ち尽くさなければならないのか。ああ、神様、あなたはなんて無慈悲なのだ。そうつぶやこうとした瞬間、奇跡が起きた。

 空席の隣りに座っていたOLと思われるお姉さんが、尻をずらして空席のほうに納まったのである。どうやら端に近いそちらのほうが座り心地が良いと踏んだのだろう。

 それによって空席の位置は私のほうがぐっと近くなる。さらにおばさんはそのOLの行為によって勢いをそがれ、足取りが遅くなる。そのすきに私は、さっきまでOLのお姉さんが座っていた場所に滑り込み、無事に座席を確保したのだった。

 不満げなおばさんとちょっと気まずそうなお姉さん。彼女たちを横目に私はスマホを取り出す。やがてアナウンスが鳴り、電車はゆっくりと発車した。

 戦いは終わった……はずだった。

「……コホン」

 せき払いがしたので顔を上げると、そこにはじいさんがこれみよがしな顔で立っていた。恐らく、左側の空席を取り損ねたのだろう。

 私は心のなかでやれやれと思いながら、じいさんのために席を立つことにした。


作品名:火曜日の幻想譚 Ⅲ 作家名:六色塔