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堕楽した快落

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弱者

文学人とは、感動の使者である。
感動とは、人間の本能を揺さぶりかねないものであり、毒であり、薬である。文学人は、その感動を毒へとはさせず、薬として扱う感動の薬剤師なのであり、私たちは一切の妥協を許されず、表現し尽くさなければならない。自然や芸術、音楽などからくる感動を、例え言葉では表現しにくい感動や感情が芽生えたとしても、「言葉では表し切れない」、などという甘ったれた妥協は許されない。感情や感動などの抽象的なものを挽き、言語化し、持てるだけの語彙力を以てして、一つの形と成さなくてはならないのだ。それは、この世に数多存在する芸術とその表現者への感謝であり、同時に、私たちも文字を描く芸術的表現者であり、その感動を伝えるための使者なのであり、芸術を作らなくてはならないのである。
例えば私が、一寸先の見えない暗闇の洞窟に入れられたとしても、私はその状況を一切の妥協なく伝えねばならない。それは、私は視覚が奪われたとしても、たった視覚が機能しないだけに過ぎず、聴覚、触覚、味覚、嗅覚があるからして、それら全てから得る情報を敏感に傍受し、即ち、土に住まう生き物の鼓動を聞き、洞窟内の空気の揺らぎを察し、洞窟内に存在する全てを口にし、洞窟内に漂う僅かな匂いの違いを感じとり、妥協のない闇の中であろうとも、手探りで文を綴り、塵すら見えない洞窟の中から、僅かな光を察知し、生きてこの事を伝えなくてはならないのだ。
例えば私に、この世のありとあらゆる場所を見通せる能力があるとして、私はその感動の一切をインクに落とし、千里を超えてまだ、その感動の全てを書き終えられないのなら、私の指が擦り切れるまで書き、利き手のペンダコがすり潰れ骨まで見えたとしたら、その逆の手が擦り切れるまで書き、両手が使い物にならなくなってもまだ書き続けなくてはならないのなら、両足の指を以てしてペンを握り、書き続ける。それでも、それでもまだ、全ての感動を書き表せられないのなら、己の四肢が擦り切れたとて口でペンを持ち、綴り続けるだろう。インクがなくなれば、私は自らの血をインクとし、書き続けるだろう。しかし、私は、私の寿命尽き果てるまで時間を用いたとしても、この世の感動の全てを書き表すことは不可能であり、それが不完全なまま死ぬのを非常に心苦しく思うだろうことを知っている。それでも私は、その感動を書き表さないわけにはいかず、例え夢半ば死のうとも、夢に生き、夢に死ぬ方が良いと考えるであろう。
そして、例えば私を、感動の坩堝に落とし込むことが出来る音楽に出会ったとしても、私はその坩堝から這い上がり、身を思って味わったその業火すら―――。
私は幸せだ。芸術、感動、幸福、それらに対し最も近い場所にいる。
私は不幸だ。それらを表現するには、私はあまりにも盲目であり、貧相であり、未熟だった。
ピアノの戦慄で耳が喜び、インクが愉快な小躍りを見た。大自然の壮大さに身が震え、芸術の叫びを聞いた。それら全てに甘美な幸福の味を覚えてしまった私は、その根本を過信し、信仰し、その身全てがしんすいし切っていた。
弱い、弱すぎる。
打ち負ける脆く柔い心と、継ぎ接ぎだらけの魂を以てして、私のそれを治すには、程なく未だ頑丈で、壊れ切るには弱かった。中途半端な脆弱さを持ち、混沌とし、しかしその一切の妥協を許さない弱さと、妥協が出来ない強さと、すくえ切れない自分への期待と、他人への不信感を、文学に落とし込み切ることが出来なかった。
感動を、芸術を、幸福を、余すことなくその全てを伝えなければならない。魂の叫びを、己の本能の全てを、人間の五感を以てして、戦慄し、感情を鷲掴みにし、感動へと収める。
それらが弱さなのだ。これこそが人としての弱さであり、弱みであり、その弱みにつけ込まれたものは、自覚をし、己を見定め、天国へも地獄へも堕ちれやしない。あまりにも不幸であり、しかし幸福だった。幸福であることが不幸だった。その愉悦を抜けださなくてはならない、その悪魔の甘さから、怠惰程甘いそこから、脱出せねばならなかった。それらを甘受してくれる、周りに優雅に浮く綿雲のような、曖昧な周りの環境に、私は本来逃げ出さなければならなかった。弱さ故、幸福を受け止めた。
作品名:堕楽した快落 作家名:茂野柿