Hydra
柳岡は目を開けた。青みがかかった涼しげな視界の先には、いつも通りの海。家から二時間。毎年恒例の、海の絵。そこに落とし込まれる、二人の男女の後ろ姿。それは宮下先生と相楽のときもあれば、浜梨と木戸のときもある。毎年、あの呪われた年に自分の周りにいた人間を選んでは、そこに描き足している。自分を描き込む勇気はない。そして、今日のように明らかに対象物がいるときは、そのままを描く。SNSに投稿すれば、また色々とコメントがつくだろう。天利なら、すぐにそれが誰か理解できるはずだ。
真っ青な美しい海と、そこに手を合わせる二人の男女。浜梨祐樹の両親。何年か前に見たときよりも、その姿勢は前かがみになり、年々暑くなる気候の中では、直射日光が差す海辺自体にいること自体が、辛そうだ。迷惑極まりない英雄へ律儀に手を合わせる、滑稽な後ろ姿。二人の記憶の中では、浜梨はどう生き続けているだろう? 増えることのなかった賞状の陰には、それに人生を狂わされた人間がいる。二人はそんなこと、想像すらしていないだろう。あの日、海の底で天利が待っていて、その真相を知るもうひとりがまさに今、こうやって後ろから見下ろしていることも。自分の人生の一部と思いたくないぐらいの、酷い思い出。それでも天利に言いたいのは、今になってここから見下ろす景色は、それほど悪くないということ。そこには意地悪な笑いも、涼しい青色に染まった郷愁も、わたし達が共有できそうな全てがあるから。
過ぎ去った今だから、やっと言える。
あなたと一緒に、大人になりたかった。