倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」22/津・四日市
4年前、名古屋から四日市と津を通過して伊勢神宮まで行ったことを思い出します。その時が初めての三重県でしたが、私の中では当然のように四日市と津にも寄らなければ…全国を巡ることにはなりません。
今回は岐阜市に寄った後、尾張一宮駅から名古屋駅に戻り、関西本線に乗り換えて津駅に向かいました。
途中の四日市駅に到着する10分ほど前に、車内放送で意外なことをアナウンスしています。
「ICカードご利用のお客様、四日市駅から先は使えません。通りがかりの車掌へ清算をお申し付けください。」つまり津駅に行くのにICカードが利用出来ないので列車内で清算するようにとのことで、ちょっと驚きました。
前年、東北に行った際、盛岡駅を含めて青森方面へ行くのにICカードが使えないことを知りました。
しかし津駅と言えば名古屋駅からそんなに離れていないはず…との感覚があり、せめて津駅まで使えんかな…などと一人でブツブツ思っても仕方ない。
通りかかった車掌さんに行き先を伝えてICカードを渡すと、彼は手持ちのカードリーダーで内容をチェック、「尾張一宮から乗車ですね、津まで1,690円です。」
「尾張一宮から四日市までの料金払い戻しは、今買われた切符とカードを駅員に渡すと、一宮駅から乗車した分を削除してくれます。」
まあ何とも面倒くさいと言うか、津駅まで使えるようにすれば、車掌さんの業務も多少は減るでしょうに。
車掌さんに、同じような路線を運営している(大体並行して走っている)近鉄を利用すればICカードは使えるかどうかどうかを尋ねたところ、「あちらは使えます。」とスムーズな返事です。
ここの路線に限らず、全国のJRを利用する場合、少し幹線から離れるとICカードが使えないことも多いようです。盛岡から北へ向かう時もそうでしたし、我が佐賀も西へ向かう時は使えないのです。
ところで三重県そのものの先進性は、写真などで見る四日市の工場群や伊勢神宮周辺、伊勢志摩国立公園に代表されるレベルの高い自然など、中京圏でも他県に遜色はありません。
また、明治時代の初期には三重県の半分くらいは度会(わたらい)県となっており、その前の江戸末期から明治元年まで全国に9ヵ所あった「府」の中に入っていて「度会府」として明記されています。
私たちには全く馴染みがない名称ですが、「府」は江戸幕府の直轄地で、この地域も国にとって重要な場所であったことが偲ばれます。伊勢神宮があったからでしょうね。
三重県を訪れる1ヵ月ほど前、明治維新後に関する本を見ていた際、東京府をはじめとした「府」の中に「度会府」の名称を見て、それまであまり気にしていなかったのでせめて名称だけは覚えようと思ったものです。
その後、三重県と言う名称に固定するまで県の名称が数回変更され、それに伴い県庁所在地も数回変更されたようですが、その間の数年間は「度会県」の県庁所在地も何回か変わっているいたようです。
……………………………
◆津市【人口 約28万人】
そんなことを思いながらも四日市駅を通過して約20分で津駅に到着、ICカードを使えなかったことを津駅の観光案内所でぼやいていたら、「津駅は関西本線ではなく紀勢本線なのでやりにくいんでしょうね。」とは案内所の女性の弁。
そう言えば、四日市駅を通過する頃から線路が単線になったり複線になったり、更に紀勢線とは別の路線があったようで、よく分からんが何だか不思議な線路だと思ったものです。
どうやら近鉄以外にも伊勢鉄道と言う私鉄があるようなので、四日市付近は路線が重なっているようです。
津駅の観光案内所で手に入れた三重県の地図を改めて広げてみると、JR関西本線は四日市駅を過ぎて紀伊半島側に大きくカーブしています。
いくつかの駅を過ぎた亀山駅を起点にして、紀勢本線が伊勢湾の方向へ向かっているではありませんか。確かにJRの津駅はまぎれもなく紀勢本線沿いでした。
てっきり津市は関西本線沿いと思っていた私の認識不足でしたが、もしかしたら関西本線のまま奈良方面へ乗って行ったらICカードは使えたかも知れません。
さて、そろそろ夕刻になって来たので、とりあえず予約していた駅前のホテルにチェックイン。まずは一日歩いた汗を流すためにシャワーを利用しようとしたら部屋にシャワーはあってもバスタブがありません。
そのホテルは「温泉大浴場が売り」のビジネスホテルチェーンですが、部屋にシャワーだけしかないのは初めてでした。
当然、お風呂は大浴場を利用しても構わないのですが、面倒くさい場合もあるでしょうに。
予約するときのネットに載っていたかも知れませんが気付きませんでした。
まあそれでもスッキリと汗を流して、薄暮の街中(駅周辺)へ食事に出かけた際、大衆居酒屋風の店の前で入るかどうか迷っていると、「おっちゃん、どっか探してはるんでっか?」と通りがかりらしい20代の若者3人グループが声をかけてきました。別に客引きでもなさそうでしたが、随分と馴れ馴れしいものです。
おっちゃん?…そうかここは関西なのか、う〜ん三重県でも関西弁なのでしょうかね。もしかしたら彼らも地元の人間ではないかも知れん、などと思いながらそのままお店に入り、1時間ほど一人で美味しく味わいました。
さて翌朝、JR・津駅に隣接している(帰りは近鉄を利用するので)近鉄・津駅のロッカーに荷物を預けて高架になっている駅の階段を降りました。
たまたま同時に駅から降りて来た20人ほどの男女高校生たちと一緒に並んで歩いていると、自分もそんな年齢の時があった…彼等の登校路から外れるまでの5〜6分間は何となく若返った気分になりました。(おっちゃんが一人混ざっていましたが!)
さて、今にも雨が降りそうな曇天の中、午前中は津の市内を歩こうと思い、地図上では割と近かった県庁を目指しました。ところがそちらの方向へ歩いても、周辺は何となく古い住宅街の様相で県庁があるような雰囲気ではありません。
方向を間違ったかな?と思いながら歩くうち、先方の小高くなっている場所に何やら黒っぽくて横にだだっ広い7〜8階建ての大きな建物が見えます。
どう見ても薄汚れた(失礼)ビルにしか見えなかったのですが、近付くとまぎれもなく三重県庁の裏側でした。
こんなところに県庁が…と思いながらも正面に回ってみると玄関口のアプローチスペースは広々として樹木も多く、急に立派な建物に見えます。周辺には行政機関などの建物3棟ほど並んでいて、やっと県庁らしい趣の建物に見えました。
宿泊した駅の周辺が津市の中心エリアかも知れませんが、地図を見てもここら辺が中心かな?と、よく分からないままに市役所付近まで広い立派な国道(片側4車線)の歩道を30分ほど歩きました。
メインの道路だと思われる国道23号線(伊勢街道)は、街の規模に対して勿体ないほど整っているように見えました。歩いた時が日曜日、しかも小雨模様だったので交通量は少なかったのですが、いつもなら多くの車が往来するのでしょうね。そうなるともう少し都会的に見えるかも知れません。
今回は岐阜市に寄った後、尾張一宮駅から名古屋駅に戻り、関西本線に乗り換えて津駅に向かいました。
途中の四日市駅に到着する10分ほど前に、車内放送で意外なことをアナウンスしています。
「ICカードご利用のお客様、四日市駅から先は使えません。通りがかりの車掌へ清算をお申し付けください。」つまり津駅に行くのにICカードが利用出来ないので列車内で清算するようにとのことで、ちょっと驚きました。
前年、東北に行った際、盛岡駅を含めて青森方面へ行くのにICカードが使えないことを知りました。
しかし津駅と言えば名古屋駅からそんなに離れていないはず…との感覚があり、せめて津駅まで使えんかな…などと一人でブツブツ思っても仕方ない。
通りかかった車掌さんに行き先を伝えてICカードを渡すと、彼は手持ちのカードリーダーで内容をチェック、「尾張一宮から乗車ですね、津まで1,690円です。」
「尾張一宮から四日市までの料金払い戻しは、今買われた切符とカードを駅員に渡すと、一宮駅から乗車した分を削除してくれます。」
まあ何とも面倒くさいと言うか、津駅まで使えるようにすれば、車掌さんの業務も多少は減るでしょうに。
車掌さんに、同じような路線を運営している(大体並行して走っている)近鉄を利用すればICカードは使えるかどうかどうかを尋ねたところ、「あちらは使えます。」とスムーズな返事です。
ここの路線に限らず、全国のJRを利用する場合、少し幹線から離れるとICカードが使えないことも多いようです。盛岡から北へ向かう時もそうでしたし、我が佐賀も西へ向かう時は使えないのです。
ところで三重県そのものの先進性は、写真などで見る四日市の工場群や伊勢神宮周辺、伊勢志摩国立公園に代表されるレベルの高い自然など、中京圏でも他県に遜色はありません。
また、明治時代の初期には三重県の半分くらいは度会(わたらい)県となっており、その前の江戸末期から明治元年まで全国に9ヵ所あった「府」の中に入っていて「度会府」として明記されています。
私たちには全く馴染みがない名称ですが、「府」は江戸幕府の直轄地で、この地域も国にとって重要な場所であったことが偲ばれます。伊勢神宮があったからでしょうね。
三重県を訪れる1ヵ月ほど前、明治維新後に関する本を見ていた際、東京府をはじめとした「府」の中に「度会府」の名称を見て、それまであまり気にしていなかったのでせめて名称だけは覚えようと思ったものです。
その後、三重県と言う名称に固定するまで県の名称が数回変更され、それに伴い県庁所在地も数回変更されたようですが、その間の数年間は「度会県」の県庁所在地も何回か変わっているいたようです。
……………………………
◆津市【人口 約28万人】
そんなことを思いながらも四日市駅を通過して約20分で津駅に到着、ICカードを使えなかったことを津駅の観光案内所でぼやいていたら、「津駅は関西本線ではなく紀勢本線なのでやりにくいんでしょうね。」とは案内所の女性の弁。
そう言えば、四日市駅を通過する頃から線路が単線になったり複線になったり、更に紀勢線とは別の路線があったようで、よく分からんが何だか不思議な線路だと思ったものです。
どうやら近鉄以外にも伊勢鉄道と言う私鉄があるようなので、四日市付近は路線が重なっているようです。
津駅の観光案内所で手に入れた三重県の地図を改めて広げてみると、JR関西本線は四日市駅を過ぎて紀伊半島側に大きくカーブしています。
いくつかの駅を過ぎた亀山駅を起点にして、紀勢本線が伊勢湾の方向へ向かっているではありませんか。確かにJRの津駅はまぎれもなく紀勢本線沿いでした。
てっきり津市は関西本線沿いと思っていた私の認識不足でしたが、もしかしたら関西本線のまま奈良方面へ乗って行ったらICカードは使えたかも知れません。
さて、そろそろ夕刻になって来たので、とりあえず予約していた駅前のホテルにチェックイン。まずは一日歩いた汗を流すためにシャワーを利用しようとしたら部屋にシャワーはあってもバスタブがありません。
そのホテルは「温泉大浴場が売り」のビジネスホテルチェーンですが、部屋にシャワーだけしかないのは初めてでした。
当然、お風呂は大浴場を利用しても構わないのですが、面倒くさい場合もあるでしょうに。
予約するときのネットに載っていたかも知れませんが気付きませんでした。
まあそれでもスッキリと汗を流して、薄暮の街中(駅周辺)へ食事に出かけた際、大衆居酒屋風の店の前で入るかどうか迷っていると、「おっちゃん、どっか探してはるんでっか?」と通りがかりらしい20代の若者3人グループが声をかけてきました。別に客引きでもなさそうでしたが、随分と馴れ馴れしいものです。
おっちゃん?…そうかここは関西なのか、う〜ん三重県でも関西弁なのでしょうかね。もしかしたら彼らも地元の人間ではないかも知れん、などと思いながらそのままお店に入り、1時間ほど一人で美味しく味わいました。
さて翌朝、JR・津駅に隣接している(帰りは近鉄を利用するので)近鉄・津駅のロッカーに荷物を預けて高架になっている駅の階段を降りました。
たまたま同時に駅から降りて来た20人ほどの男女高校生たちと一緒に並んで歩いていると、自分もそんな年齢の時があった…彼等の登校路から外れるまでの5〜6分間は何となく若返った気分になりました。(おっちゃんが一人混ざっていましたが!)
さて、今にも雨が降りそうな曇天の中、午前中は津の市内を歩こうと思い、地図上では割と近かった県庁を目指しました。ところがそちらの方向へ歩いても、周辺は何となく古い住宅街の様相で県庁があるような雰囲気ではありません。
方向を間違ったかな?と思いながら歩くうち、先方の小高くなっている場所に何やら黒っぽくて横にだだっ広い7〜8階建ての大きな建物が見えます。
どう見ても薄汚れた(失礼)ビルにしか見えなかったのですが、近付くとまぎれもなく三重県庁の裏側でした。
こんなところに県庁が…と思いながらも正面に回ってみると玄関口のアプローチスペースは広々として樹木も多く、急に立派な建物に見えます。周辺には行政機関などの建物3棟ほど並んでいて、やっと県庁らしい趣の建物に見えました。
宿泊した駅の周辺が津市の中心エリアかも知れませんが、地図を見てもここら辺が中心かな?と、よく分からないままに市役所付近まで広い立派な国道(片側4車線)の歩道を30分ほど歩きました。
メインの道路だと思われる国道23号線(伊勢街道)は、街の規模に対して勿体ないほど整っているように見えました。歩いた時が日曜日、しかも小雨模様だったので交通量は少なかったのですが、いつもなら多くの車が往来するのでしょうね。そうなるともう少し都会的に見えるかも知れません。
作品名:倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」22/津・四日市 作家名:上野忠司