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桐生甘太郎
桐生甘太郎
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元禄浪漫紀行(29)~(33)

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第二十九話 期待






翌朝目が覚めた時、俺はまず、“どうしたらいいんだろう”と考えた。

おかねさんは昨日、大家さんから「好きに生きなさい」と言われ、ただ、「そうですか」と返事をしただけだ。

彼女はまだ、俺を恋人にするとも、亭主に持つとも言っていないし、そもそも俺は、「惚れた」だの「好いた」だのと言われたわけでもない。

だとするなら、俺はまだ彼女から何も告げられていないことになる。

でもやっぱり、おかねさんが言った、「お前さんにこの傷を嫌がられやしないかと思って」というのは、恋心のようなものには違いないんだろう。

俺がそう考えている時、衣擦れの音がして、俺の横でおかねさんがむくりと起き上がった。

「あっ…!」

俺は、“おかねさんが俺に恋しているかもしれない”なんていうことを考えていたので、慌てて声をあげてしまった。それに、なんだか恥ずかしくて顔を上げられない。

「お、おはようございます…」

俺は、彼女がこの朝に何を言うのかを考えていた。“まさか「おはようございます旦那様」なんて言いやしないだろうけど、何がしか俺への優しい言葉があったりはしないか”と、やっぱり期待していた。

「おはよう。水を汲んで、お米を炊いておくれな」

はっとして顔を上げると、おかねさんはどこか怒っているような顔をしていた。でもそれも一瞬見せただけで、彼女はさっさと起き上がって布団を畳み、井戸へ行くために家から出て行ってしまったのだ。


「…あれ…?」






言われた通りに俺は桶を持ってあとからついていって、井戸で洗面と歯磨きを済ませたら水を汲み、お米を炊くために竈に火を入れた。

その後ろでおかねさんは、今日稽古に来るお弟子のおさらいは何なのか、書きつけた帳面をめくり直したり、お米が炊ける頃合いになると、棚の中からお気に入りのたくあんを出したりしていた。

「いつもの通りに切っとくれ」

竈の様子を見ている横からたくあんを差し出され、「はい、わかりました」と受け取る。うちはいつも朝はおかずはたくあんで、俺が二切れ、おかねさんは三切れだ。

そして俺はたくあんを包丁で切って小皿に盛り付けると、そのあとでごはんを茶碗によそった。

“そうだ。そういえば今朝は、お膳はどこに…?”

俺はちょっとおかねさんを振り向く。おかねさんは俺を見ていなかったけど、ごはんができあがるのを待ち切れないで、いらいらしている様子だった。

「あの、おかねさん…お膳はどこに置きましょう…」

すると彼女は、こちらを振り向き、俺を睨む。

「何言ってんだい、いちいち聞くんじゃないよ。お前さんはそこ、あたしはここだろう!」

おかねさんが「そこ」と指さしたのは、俺が元々膳を据えていた、土間からすぐの畳だった。


ええ~っ!?昨日のあれ、なんだったの!?


でも、動揺を見せるわけにはいかないしと思って、俺は「はい、すみません」と返し、膳を元の通りに据え、皿と茶碗を置いた。そして俺たちは「食べよう」、「そうしましょう」と言って食べ始めた。

ここで一つおことわりだが、江戸中期には「いただきます」と「ごちそうさま」は、まだ一般的ではなかったようだ。

俺が前に一度だけ「いただきます」を言った時、「なんだいそりゃあ」とおかねさんにいぶかしがられたので、あわてて「なんでもありません、ひとりごとですよ」と訂正したことがあった。






そして俺が膳を片付けるころになると、おかねさんはまた帳面をめくって、今日の稽古のための準備をしているらしかった。

「ここがね…ここも、もっと…もう少しきつく言ってやらなけりゃだめかね…」

おかねさんはぶつぶつと言いながら、きりりと眉を吊り上げている。俺はそれを後目に、甕の水で食器を洗った。