Thorntail
高城がイングラムのグリップに集中力を戻したとき、斜めに切られたフラッシュハイダーが窓の隙間に現れた。最小限の露出で、銃口が走査する範囲は限りなく広く、無駄がない。部屋の九十パーセントは見通せただろう。最後の十パーセントは階段の踊り場。体ごと入り込んで上を向かない限り、視界には入らない。うんざりしたような動きで部屋の中に入ってきた運転手は、カラシニコフの銃口を左右に振った。高城は踊り場でイングラムの引き金を引いた。二発が頭の真上から穴を空け、運転手はよろめいて横向きに倒れた。手から離れたカラシニコフがフローリングの床を滑り、大きなひっかき傷を残した。高城はシャッターを下ろして、考えた。二人とも始末した。戸田は、外で撃たれている。だから、カラシニコフは外にあったほうがいい。
「早紀ちゃん、もう大丈夫だ!」
高城が呼ぶと、涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭いながら、早紀が下りてきた。高城はハンカチを差し出して、言った。
「シャッターを開けて」
逆回しの映像のようにシャッターが上がっていき、差し込んだ太陽の光に、高城は目を細めた。カラシニコフを拾い上げると、正面玄関から出て、元の持ち主の手元に返した。イングラムを戸田に握らせて中に戻ると、運転手の死体を探った。三八口径のベレッタ八四をホルスターから抜いてベルトに挟んだとき、振り返った早紀が言った。
「ありがとうございます。高城さんがいなかったら、殺されてるところでした」
高城は苦笑いを浮かべた。統計的には、おれが原因で死ぬことの方が多い。四年前、このテーブルの下に隠れてモズへの制裁をやり過ごしたときは、早紀と同じ立場だった。死ぬほど怖かったし、自分と同じように気まぐれな連中が早紀に手を出すようなことがあれば、殺してやるつもりだった。しかし、立場が変われば、労いの言葉も感謝の涙も、上滑りするだけだ。そうやって入り込まれないように、心に絶やすことなくワックスがけをしてきた。
早紀はコーヒーカップを三つシンクに浸けると、新しいカップを二つ取り出した。
「コーヒー、淹れなおします」
モズの慣習。白井家のコーヒーは断れない。それ自体が懐かしく感じるぐらいに、頭の中を開放感が満たしていた。新しいカップがテーブルの上に置かれ、高城が向かい合わせに座って温かいコーヒーに口をつけると、早紀が言った。
「わたし、来年からママを手伝うんです」
「医者になるのか。それも、ホームスクール?」
高城が言うと、早紀は湯気に目を細めながら小さくうなずいた。そこからしばらくの間、早紀は外科医としての心構えを語った。これ以上聞くと、引き金を引けなくなる。それに、コーヒーを向かい合わせに飲んでいて撃たれるというのは、不自然だ。そう思った高城は話の切れ目で立ち上がると、運転手の死体のところに屈みこんだ。早紀が興味を惹かれたように立ち上がり、コーヒーカップを持ったまま歩み寄った。飼いならされた猫のような、警戒心のなさ。
「怖くない?」
高城は、死体を見ても表情を変えない早紀をからかうように言った。覆面を引っ張ると、半開きになった口が見えた。早紀は笑った。
「これぐらいは慣れておかないと、手術できませんよ」
高城はさらに覆面を引き上げた。左手でベルトに挟んだベレッタを抜いて、早紀から見えないように背中側へ隠した。頭に二発食らわせている死体は、中々見慣れるものじゃない。死体に視線を向けた高城は、その顔を見て思わず呟いた。
「浜井……?」
驚いたように見開かれた目。頬に残る骨折の治療痕。間違いない。新人の浜井だ。咄嗟に持ち上げようとしたベレッタが手の中から滑り落ち、フローリングとぶつかって大きな音を立てた。早紀は意地悪をされた子供のような泣き顔で言った。
「どうしてなの……。家で待ってるだけでよかったんです」
高城は立ち上がろうとしたが、体のバランスを取れずに横倒しに倒れた。コーヒーカップからは、まだ湯気が上がっている。
「……、何を入れたんだ」
「戸田さんだけじゃないんです」
早紀が言い切れなかった言葉を、高城は自分で補った。両方が見張られていたのだ。外で死んでいるのは、馬淵で間違いないだろう。そもそも、あのメルセデスに乗っていた二人組は、最初から浜井と馬淵だった。ホテルは、モズの忠誠心を試す。アザミが『待て』と言ったのに、待たなかったらどうなるか。その結末を知って、生きている人間はいない。
「前は、わたしを助けてくれたのに」
早紀はスマートフォンをポケットを取り出しながら、納得がいかないように言った。高城は少しずつ動かなくなっていく体を捩り、早紀を見上げた。誰かと会話をしている姿は、貴美子とは似ても似つかない。困惑していて、顔は青白い。スマートフォンをポケットに戻した早紀の表情が、高城と目が合うのと同時に、笑顔に切り替わった。
「わたし、来年からママを手伝うんです」
高城は、意識だけがはっきりしている頭で、自分に言い聞かせた。いつから、笑顔だと思っていたんだ。その後ろにある感情とは、まったく一致しない。この業界に身を置く人間は、これから死ぬ運命にある人間が希望を語ったときも笑う。早紀が手術に使う部屋の扉を開くと、流れる水の音が部屋中に響いた。高城は、目だけで早紀の姿を追った。電話で、何を言われたのだろう。話した相手は、貴美子のはずだ。高城の疑問を読み取ったように、担架を引きながら戻ってきた早紀は、ペンライトを手に持って言った。
「ママは、スパルタなんですよね」
高城の瞼を開いて光を当てる早紀の仕草は、現役の医者のように研ぎ澄まされていた。その後ろで、幼さの残る口元が大きく開くと、笑顔に変わった。
「今のうちに、人間の体がどういう風になっているか、しっかり見ておきなさいって」