Thorntail
「もう一周しろ」
高城が言うと、戸田が耳から聞いたまま手に伝えるように、ハンドルを回した。巨大な送電塔の真下を周回する雑草だらけの道路。高城は、空を見上げた。空気自体が電気を帯びているように、頭がくらくらする。三十秒前に見たばかりの景色が繰り返される。高圧注意の看板も、折れ曲がって横たわった廃車の原付も、二度と見たくない。しかし、仕事は終わっていない。戸田が一速でゆっくりとシルビアを進めるのに合わせて、高木は再び窓を下ろした。戸田が質問するより先に、その答えを言った。
「もうひとりいた」
路上駐車された白のセルシオ。その窓は全て割れている。高城は、助手席から三八口径のイングラムを突き出した。ついさっき二十発近く吐き出したばかりのサプレッサーからは、まだ細い煙が上がっている。運転席でシートベルトに引っかかっているのは、弾を食らったばかりで体のあちこちから血を流し続けている死体。その後ろで影が動いた。高城は体をできるだけ突き出して、引き金を引いた。影絵のようなもうひとりは、リアシートと一緒に蜂の巣になった。高城はシートに再び体を預けた。車から降りるのだけは、ごめんだった。戸田は、おれのことを待っていないだろうから。
「二人いたって、誰に言えばいいんです?」
そう言う戸田は、神経質な手つきでハンドルを回し、ヘッドライトを点けるのと同時にアクセルを踏み込んだ。雑草と砂利を踏んだリアが一瞬外に膨らみ、高城はドアグリップを掴んだ。
「お前、ぶつけてみろ」
「すみません」
最終型のターボ仕様は、二五〇馬力を全て後輪に伝える。前輪駆動に慣れた戸田からすれば、扱いづらいだろう。そう思った高城が何気なく送電塔を振り返ったとき、垂れ下がってきたみたいな雲の中で稲光が走った。深夜一時。予報はこれから朝方まで猛烈な雨。戸田はシフトゲージの隙間に挟まった三八〇ACPの薬莢をつまみ上げると、ドアポケットの中に置いた。
「薬莢、どうしますか」
「その辺は、カラスがやってくれるよ」
高城と戸田は、意味を問うことなく人を殺せるよう、様々な『教育』を受けた。高城の初仕事は十七歳のときで、七年続いている。二年前から組んでいる戸田は二歳年下で、高城はその経歴については詳しく知らなかった。ただ、若手同士が仕事で組むのは、珍しいことだった。
『お前、向いてるよ。自信を持て』
銃のどこを持てばいいか、そんな基本的なことから教えてくれた、福住の言葉。高城は、頭の中でその言葉を繰り返した。認めてもらえたのは有難いが、その福住は去年、仕事終わりに心臓発作で死んだ。単独行動が好きで、まとめて『モズ』と呼ばれることを嫌っていた。イングラムのグリップの形が乗り移ったような右手を一度大きく開いてから軽く固めると、高城はミラーに集中した。仕事は終わっていない。二周したから、その分出くわす確率は上がった。事前に聞いている情報では、この周辺を黒のメルセデスが巡回している。少し古い型のMクラスで、サプレッサーで押し殺されているとはいえ、イングラムの銃声を聞き逃すことはないだろう。何もなかったミラー越しの空間に突然現れた光源を確認した高城は、戸田に言った。
「来るぞ」
仕事の仕上げ。それは、銃撃犯が乗る白のシルビアを『目撃』させること。もちろん、捕まってはならない。戸田はアクセルを踏み込んで一気にシルビアを加速させると、駐車場のように広い交差点を鋭く左に曲がった。戸田には、『もしブレーキが壊れたら』という発想はない。Mクラスが大きく車体を傾けながら曲がろうとして、交差点の反対側に衝突する寸前で停車したのが、ミラー越しに見えた。相手はシルビアの後ろ姿を頭に刻んだだろう。高城は、戸田の肩をぽんと叩いた。これが何を意味するのか。戸田はもちろん、高城も理解していない。知る必要があれば、指示内容に含まれるだけのこと。この仕事は、単純に考えたほうが長生きできるようになっている。
戸田がハンドルを切ってさらに狭い路地に入り込み、電柱にミラーをひっかけるすれすれで一本隣の大通りに抜けたとき、高城は言った。
「高速に乗れ」
高速道路というのは、追われる立場としては便利な代物だ。周りに車が一台もいないということは、ありえない。目撃者を残さずに人を痛めつけるのは不可能だ。戸田が五速にギアを上げたとき、途切れ途切れに小さく鳴っていたラジオが、息を吹き返した。それがチャットモンチーの『こころとあたま』だと高城が気づいたとき、戸田が言った。
「もう追ってきませんね」
高城はうなずいた。十分ほど走り、ミラー越しにヘッドライトの光が一切見えないことを確認してから、出口を指差した。
「降りろ」
これから一時間かけて向かうホテルは、いわゆるお膝元で、様々な立場の人間が出入りする。いわば、見極められる場だ。隙のある行動は記録され、不用意な言動は積み重なっていく。モズの一員になった当初はホテルに住み込みのような状態だったが、すぐに離れて、去年までは西の方で仕事をやってきた。七年間で、様々な人間を葬ってきて思ったのは、これが天職だということと、もっと楽な仕事は海外に溢れ返っているということ。ただ、一度出てしまえば、戻っては来られない。四年前にも、一度そのことを考えた。天職だからといって、ストレスがないわけじゃない。
高城が言うと、戸田が耳から聞いたまま手に伝えるように、ハンドルを回した。巨大な送電塔の真下を周回する雑草だらけの道路。高城は、空を見上げた。空気自体が電気を帯びているように、頭がくらくらする。三十秒前に見たばかりの景色が繰り返される。高圧注意の看板も、折れ曲がって横たわった廃車の原付も、二度と見たくない。しかし、仕事は終わっていない。戸田が一速でゆっくりとシルビアを進めるのに合わせて、高木は再び窓を下ろした。戸田が質問するより先に、その答えを言った。
「もうひとりいた」
路上駐車された白のセルシオ。その窓は全て割れている。高城は、助手席から三八口径のイングラムを突き出した。ついさっき二十発近く吐き出したばかりのサプレッサーからは、まだ細い煙が上がっている。運転席でシートベルトに引っかかっているのは、弾を食らったばかりで体のあちこちから血を流し続けている死体。その後ろで影が動いた。高城は体をできるだけ突き出して、引き金を引いた。影絵のようなもうひとりは、リアシートと一緒に蜂の巣になった。高城はシートに再び体を預けた。車から降りるのだけは、ごめんだった。戸田は、おれのことを待っていないだろうから。
「二人いたって、誰に言えばいいんです?」
そう言う戸田は、神経質な手つきでハンドルを回し、ヘッドライトを点けるのと同時にアクセルを踏み込んだ。雑草と砂利を踏んだリアが一瞬外に膨らみ、高城はドアグリップを掴んだ。
「お前、ぶつけてみろ」
「すみません」
最終型のターボ仕様は、二五〇馬力を全て後輪に伝える。前輪駆動に慣れた戸田からすれば、扱いづらいだろう。そう思った高城が何気なく送電塔を振り返ったとき、垂れ下がってきたみたいな雲の中で稲光が走った。深夜一時。予報はこれから朝方まで猛烈な雨。戸田はシフトゲージの隙間に挟まった三八〇ACPの薬莢をつまみ上げると、ドアポケットの中に置いた。
「薬莢、どうしますか」
「その辺は、カラスがやってくれるよ」
高城と戸田は、意味を問うことなく人を殺せるよう、様々な『教育』を受けた。高城の初仕事は十七歳のときで、七年続いている。二年前から組んでいる戸田は二歳年下で、高城はその経歴については詳しく知らなかった。ただ、若手同士が仕事で組むのは、珍しいことだった。
『お前、向いてるよ。自信を持て』
銃のどこを持てばいいか、そんな基本的なことから教えてくれた、福住の言葉。高城は、頭の中でその言葉を繰り返した。認めてもらえたのは有難いが、その福住は去年、仕事終わりに心臓発作で死んだ。単独行動が好きで、まとめて『モズ』と呼ばれることを嫌っていた。イングラムのグリップの形が乗り移ったような右手を一度大きく開いてから軽く固めると、高城はミラーに集中した。仕事は終わっていない。二周したから、その分出くわす確率は上がった。事前に聞いている情報では、この周辺を黒のメルセデスが巡回している。少し古い型のMクラスで、サプレッサーで押し殺されているとはいえ、イングラムの銃声を聞き逃すことはないだろう。何もなかったミラー越しの空間に突然現れた光源を確認した高城は、戸田に言った。
「来るぞ」
仕事の仕上げ。それは、銃撃犯が乗る白のシルビアを『目撃』させること。もちろん、捕まってはならない。戸田はアクセルを踏み込んで一気にシルビアを加速させると、駐車場のように広い交差点を鋭く左に曲がった。戸田には、『もしブレーキが壊れたら』という発想はない。Mクラスが大きく車体を傾けながら曲がろうとして、交差点の反対側に衝突する寸前で停車したのが、ミラー越しに見えた。相手はシルビアの後ろ姿を頭に刻んだだろう。高城は、戸田の肩をぽんと叩いた。これが何を意味するのか。戸田はもちろん、高城も理解していない。知る必要があれば、指示内容に含まれるだけのこと。この仕事は、単純に考えたほうが長生きできるようになっている。
戸田がハンドルを切ってさらに狭い路地に入り込み、電柱にミラーをひっかけるすれすれで一本隣の大通りに抜けたとき、高城は言った。
「高速に乗れ」
高速道路というのは、追われる立場としては便利な代物だ。周りに車が一台もいないということは、ありえない。目撃者を残さずに人を痛めつけるのは不可能だ。戸田が五速にギアを上げたとき、途切れ途切れに小さく鳴っていたラジオが、息を吹き返した。それがチャットモンチーの『こころとあたま』だと高城が気づいたとき、戸田が言った。
「もう追ってきませんね」
高城はうなずいた。十分ほど走り、ミラー越しにヘッドライトの光が一切見えないことを確認してから、出口を指差した。
「降りろ」
これから一時間かけて向かうホテルは、いわゆるお膝元で、様々な立場の人間が出入りする。いわば、見極められる場だ。隙のある行動は記録され、不用意な言動は積み重なっていく。モズの一員になった当初はホテルに住み込みのような状態だったが、すぐに離れて、去年までは西の方で仕事をやってきた。七年間で、様々な人間を葬ってきて思ったのは、これが天職だということと、もっと楽な仕事は海外に溢れ返っているということ。ただ、一度出てしまえば、戻っては来られない。四年前にも、一度そのことを考えた。天職だからといって、ストレスがないわけじゃない。