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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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元禄浪漫紀行(1)~(11)

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「おそのさん、おそのさん。おかねです」

長屋の挨拶回りには、おかねさんが戸を叩いて回って、俺は損料屋で借りた羽織を着て、後ろでちょっと前かがみに待っていた。

「はい!はいはい、今開けます!」

からりと戸が開いて現れたのは、もういくらか整えた髪もほつれて、忙しい中を慌てて出てきたといった感じの、おかみさんらしき人だった。

「忙しい中すみません。今度うちに下男を置くことにしたので、ご挨拶に伺いました」

「まあそれはどうもご丁寧に…そちらの方?」

「ええ、秋兵衛さん、この方はおそのさん。今月の月番で、ご亭主は大工さんなんだよ」

俺は「月番」というのがなんなのかよくわからなかったけど、とりあえず頭を下げ、「秋兵衛と申します。どうぞよろしくお願い致します」と言った。

「まあまあ、これまたご丁寧に、はい、どうぞよろしくお願いします。それで?どこの方なんです?」

俺は頭を下げたままで、ぎくっと固まってしまった。でもおかねさんがおそのさんに頭を下げて笑う。

「まあまあ、それはまた今度の時に話します。このあと長屋じゅうを回らないといけないので、すみませんが失礼します」

「あらそう、はい、じゃあ」




「トメさん、トメさん、いるかい?」

中からはしばらく返事はなかったけど、しばらくして「なんだえ?誰かいるのかい?」と、おばあさんの声が聴こえてきた。

「トメさん、おかねです。ご挨拶したい人が居るので、連れてきました」

「お待ち、今そこを開けるから。どっこいしょ…アイテテテ」




大工さんのおかみさんのおそのさん、海苔屋のトメさん、それから小間物屋の銀蔵さんは商売で出かけていて居なかったようだけど、残るのはご浪人が住んでいるという、一軒だけになった。

「ご浪人さま、開けてくださいまし。おかねです、ご浪人さま」

すると、いきなりガラッと戸が開いて、質素な着物を着て、俺たちを睨みつけるような目のお侍が出てきた。

「あまり、浪人、浪人と表で叫ばないでいただきたい」

“浪人”と何度も呼ばれたのが気にくわなかったらしいその人は、すでにへそを曲げている。どうしよう。うまくいくかな…。

「まあ、申し訳ございません。あの…うちに下男を置くんで、ご挨拶に参りました」

「お世話になります、秋兵衛です。よろしくお願い致します」

するとその“ご浪人”は俺をじっと見つめて、どうやら怪しい者でないかを確かめているようだった。

「…ふん。勝手にするがいい。拙者にさして関わりもあるまい。もうよいな」

そう言ったきり、お侍はぴしゃっと戸を閉めて奥へ引っ込んでしまった。




「あの…大丈夫なんでしょうか。あのお侍さん、怒ってたんじゃ…」

家に入ってからそう聞くと、おかねさんは顔の前で片手を振る。

「ああ、あの人はいつもそうなんだよ。自分がえらかった時のことばかり考え込んで、ひねくれちまったのさ。ああはなりたくないね」

「そうなんですか…」

「それから、おそのさんはいい人だけどね、ご亭主は怒ると手がつけられないから、お前さん如才なくしてるんだよ」

「は、はい!」


江戸に住む人にも、十人十色の事情があるんだなあ。

その時なぜか俺は、少しずつこの土地が好きになれそうな気がしていた。






つづく