元禄浪漫紀行(1)~(11)
「就職先探さないとな…」
俺はそんなふうにつぶやきながら、弁当箱をキッチンのゴミ箱に捨ててから、部屋に戻った。すると、なぜかテーブルにあったきんちゃく袋がまず目に留まった。
「そういえばこれ、なんだ?」
俺がそれをもう一度手に取って、中に入っている砂なんだか粉なんだかわからないものがこぼれ出ないように片手のひらに乗せると、なんだかいい香りがした。
「ん…?うわ、いい香りだな。お香かなんかかな?」
それにしても、俺はこんなものを持っていた覚えはない。前の住人の忘れ物だろうか?
試しに部屋にある灰皿を洗って中身の粉をあけてみると、ふうわりと懐かしいような、体の疲れが抜けるようないい香りが漂った。ふむ。これはきっとお香だな。そういえば、粉状のお香ってどうやって火を点けるんだったかな。…あ!そうだ!確か火を点けた炭を中に入れるんだったな!それならあるぞ!
俺は再び押し入れを開け、今度は物がなだれたりしない状況に満足してから、奥にあったバーベキュー用の炭の入った箱と、それから炭起しと網を取り出した。
俺は煙草を吸うのでライターはあるけど、炭に火を点けたかったら100円ライターなんかでは足りない。
キッチンでは、網の上に置いた炭起しの中で、ガスコンロの火で炙られた炭の欠片が、もう充分赤くなっていた。
「よしよし。じゃあ灰皿を持ってきてと…」
キッチンにお香が入った灰皿を持ってくると、俺はそこへ炭の小さな欠片を乗せてみた。
「うわあ…!」
途端に、上等な香のものなのだろう、かぐわしい香りが広がる。そしてもくもくとした煙。ああ、なんだか夢の中みたいだ。
…え?煙?
「わ、わあっ!なんだなんだ!?」
俺は周りを煙に取り巻かれて、まるで家の中が見えなくなっていた。それに、どんどん眠くなってくる。
火事を起こしたにしちゃおかしい状況だからおそらくそうではないんだろうけど、一体何事かと確かめる暇もなく、俺はどろどろとした眠気と、煙に捕まえられて、どこか遠い奥底へと落ちていくような心地を味わいながら、ついに抵抗できずに瞼を閉じた。
「まあお前さん。ねえ。ねえったら。起きないの?」
耳元で、女の人の声がする。俺がぱちりと目を開けると、目の前には昔の女の人のように髪を結って、着物を着た人の顔と襟元が見えた。
「え…?誰…?」
俺は起き上がってみようとした。するとその女の人は素直に俺を放してくれたけど、俺はそれでびっくりしてしまった。
「なんだここ…?」
目の前にあったのは、人が行き交う道だった。まず、家に居たのにいきなり外に倒れているのもおかしいけど、周りに居た人たち全員の恰好がおかしかった。
全員が、着物なのだ。それに、男の人は残らずちょんまげ、そして女の人はみんな髪を結い上げている。中には、腰に刀を下げて紋付きの羽織を引っ掛けた人まで居た。それが幾人も幾人も、ぞろぞろと歩いている。
時代劇みたいな夢にしては、何もかもが現実だと思えてくる活発な空気があり、そこここで喧嘩じみた言い合いが聴こえていて、道に座り込んだままの私を怒鳴りつけてくる男の人まで居た。
「くらぁっ!ぼけっとしてんな!踏み殺しちまうぞ!」
「すっ、すみません!」
すると、さっき私を起こしてくれた女の人がその人に向かって頭を下げてくれた。
「堪忍してやっておくれな、行き倒れかと思ったら、生きてたんだよ」
「なんだぁそうかよ。そらぁわりぃことしちまったな。まあがんばんな」
ちょんまげ頭で半纏のようなものを着て、ふんどしが見えたままの男の人は俺をそう激励してから、さっさと向こうの路地へと駆けて行った。
俺がそれを目で追っていると、「ぼやぼやしてないで。ここは人通りが多いんだから、脇へ寄れるかいお前さん」と、女の人はまた声を掛けてくれた。
俺は、今こそ勇気を出さなきゃいけないと思った。とにかくこれを確かめないことには。それにしても、一体なぜ…!?
「あの、すみませんが…」
俺は脇に立っている店の軒先に入った女の人を追いかけ、こう聞いた。
「今は何年でしょう?」
すると女の人はびっくりしたように振り向いて首を傾げ、こう言った。
「何言ってんのさ。お前さん、行き倒れて年もわかんなくなっちまったのかい?先年に元禄になったばかりじゃないのさ!」
作品名:元禄浪漫紀行(1)~(11) 作家名:桐生甘太郎