倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」19/盛岡、八戸
【盛岡市・八戸市】令和2年10月
東北地方の北半分を日本地図で見ると、九州全体の(離島を除いた)面積に匹敵するほどの広さがあります。しかしその中で、目立つ都市と言えば随分と限られてくるので、旅程を組みやすかったのは確かです。
取りあえずは県庁所在地と主な街を外さないようにして、少し気になる街があってもやむを得ずスルーしたのは仕方ありません。
但し、平安時代に栄華を誇った奥州藤原家(4代)の「平泉・中尊寺金色堂」だけは見逃さないようにスケジュールを組みました。
岩手県平泉町は仙台空港から盛岡市に行く途中でもあり、2時間ほどの途中下車で見ることが出来ると思っていました。
しかし出発の10日ほど前に、予約していたANAから「仙台便の欠航」…のメールが来たのです。(乗客過少のせいでしょうか?)
コロナ禍なのでそんなこともあるのかと思いながらも、それならとJALに切り替えて予約を取り直すことに。福岡空港からの出発時間はANA便より30分ほど遅い便でしたが、それでも中尊寺には立ち寄れる…はずでした。
ところがその日の搭乗予定JAL便が大阪空港からの到着が遅れて、出発予定時間が更に1時間以上の遅延と言うことに。結局、仙台空港にはお昼頃の到着で、仙台駅から東北本線を使って行く予定だった平泉町に立ち寄る時間が無くなってしまったのです。
都会地の鉄道事情とは違い、仙台市とは言え地方の路線は1本乗り遅れると次の電車まで20~30分くらい空くのはごく普通です。全く残念ではありましたが予定した時間が乱れたので、もう仕方なく中尊寺は諦めました。
盛岡駅には午後3時頃までには着きたかったので、仙台駅周辺を少し歩いた後に予定していなかった東北新幹線を使いました。やっぱり新幹線は速い、仙台駅から約40分で盛岡駅へ到着しましたが、どこかスッキリしなかったのは金色堂を逃したからでしょう。
もちろん誰のせいでもなく、時間の余裕がないギチギチのスケジュールを組んだ私のミスが大きかったと言えます。次に岩手県を訪れるのはいつでしょうか、もしかしたら二度と行けないかも知れず、少し悔いが残る今回のスタートでした。
◆盛岡市(人口 約30万人)
東北地方を代表するのは仙台市であるのは間違いありませんが、その他の都市となればやはり県庁所在地の名称が出て来ます。九州人がパッと思いつくのは青森市、秋田市、そして2番手になってしまうのが盛岡市と山形市です。
3年前に東北新幹線を利用した時を思い出して、今回は仙台市から盛岡市までノンストップの新幹線「はやぶさ」を利用しました。仙台駅から乗車して、一関市や北上市をアッという間に通り過ぎて、約40分で盛岡駅に到着です。
盛岡駅のホームに着く時に駅前界隈の景色が目に入り、30階建てくらいの高層マンションが数棟も建っていたのは驚きました。駅前広場のスペースも広く、人口は30万人ほどなのに駅前に限ってはまるで40万人以上の都市であるかのような雰囲気があります。
もしかしたら私が持っているイメージを超える街並みが期待出来る、との思いが駅から出る私の足取りを軽くさせたようでした。駅構内の観光案内所で盛岡市街図を手に入れる時、窓口の女性から「マスク入れは要りますか?」の言葉がありました。
それは、東北各県キャラクターをカラフルに印刷した厚手の紙を3つに折り、丁度マスクが入るサイズにホックでとめるようになっています。その時期はマスクが必需品だったので、バッグに入れても清潔さが保たれるアイテムとして有難く頂戴しました。
ちょっとしたアイディアが、東北を訪れてマスク入れを手にした人に対して好印象を与えたに違いありません。
さて、その日に予約していたホテルは駅から徒歩で5分ほど、周辺は小さめのお店が何となくゴチャゴチャしています。チェックインには少し早い時間だったので荷物をホテルに預けて、駅前の大通りを歩くことにしました。
街の中心方向に5〜6分ほど歩くと街を横切る雫石川という川があり、土手にはコンテナサイズの簡易的なお店が20店ほど並んでいます。所どころにテントやテーブルなどの遊興スペースがあり、音楽やBBQを楽しめるようになっていました。
盛岡市に着いたのが土曜日で、まだ午後3時頃だったにも関わらず何だか河畔に人が集まって来ているようにも思えました。バンドの音合わせの音なども聞こえていたので、どうやらその日はイベントが開催されるようで、そこへの人出だったのでしょう。
何だか楽しそうな雰囲気でしたが私の街歩きには直接関係なかったので、河畔を横目に見ながら雫石川に架かる橋を渡りました。駅前の大通りから中心街までを見る限りでは、着いた時に駅で感じたイメージとは少し異なり、人口に見合った街の規模です。
それでも日本で一番広い面積を誇る岩手県の県庁所在地として、落ち着きがある整った街並みに見えました。南部氏の居城で、歴史ある盛岡城址公園も整備されたエリアでしたが、やや人出が少なかったのは官庁街付近だったからでしょうか。
道路沿いの看板には盛岡城址公園と出ていましたが、ホテルに帰ってネットで検索していると「岩手公園」の呼び名もあります。公園の名称を決める時に市民の間で一悶着があったようですが、まあ旅行者にとっては見聞出来ればどんな名称でも構いませんが。
駅周辺から数km範囲、2時間ほど街の中心地を歩くうちにそろそろ日が暮れて薄暗くなってきました。九州地方と東北地方の日没時間を比較すると、約30分の時間差があり、10月中旬の岩手県の日没は夕方5時20分頃です。
ホテルへ戻るまでにはすっかり暗くなり、雫石川を渡る頃には5〜6棟のマンションの窓の灯りがゆらゆらと川面に映っていました。そのままホテル近くまで戻ると小洒落た居酒屋風食事処があったので、その晩は岩手のお酒などいただきながらの食事です。
少し忙しそうな中居さんでしたが、私が一人だった為か、他のテーブルのサービスをしながら30秒ほど話し相手になってくれました。
私「盛岡は結構大きな街ですね。」
中居さん「そうですか、30万人の街ですからね。お客さんはどちらからですか?」
自分が住む街の人口を把握してあったのには嬉しくなりました。
私「九州の佐賀からです、初めて盛岡に来ました。」
中居さん「もう20年くらい前に九州に行きましたが、博多は賑やかですね。」
佐賀から来た…と言ったのに、福岡の話になった。
それは私達九州人が、「東北の盛岡から来ました…」と言う人との会話になった時に、「仙台は賑やかですね。」と言うかも知れません。
私が岩手と聞いて思うことは、わんこそば、石川啄木とか宮沢賢治の名前、花巻東高出身の野球選手を思い出すくらいでしょうか。盛岡市についてほとんど知らないこと以上に、東北の人達は佐賀についてはこれっぽっちも知らないに違いありません。
2年前の千葉市のホテル内の和食屋さんで経験した会話、「佐賀から来ました。」「へえ、京都からですか。」…拙書の1冊目に書いていたのですが、東日本では佐賀→嵯峨と間違われ、佐賀の知名度不足を再認識したことを思い出しました。
東北地方の北半分を日本地図で見ると、九州全体の(離島を除いた)面積に匹敵するほどの広さがあります。しかしその中で、目立つ都市と言えば随分と限られてくるので、旅程を組みやすかったのは確かです。
取りあえずは県庁所在地と主な街を外さないようにして、少し気になる街があってもやむを得ずスルーしたのは仕方ありません。
但し、平安時代に栄華を誇った奥州藤原家(4代)の「平泉・中尊寺金色堂」だけは見逃さないようにスケジュールを組みました。
岩手県平泉町は仙台空港から盛岡市に行く途中でもあり、2時間ほどの途中下車で見ることが出来ると思っていました。
しかし出発の10日ほど前に、予約していたANAから「仙台便の欠航」…のメールが来たのです。(乗客過少のせいでしょうか?)
コロナ禍なのでそんなこともあるのかと思いながらも、それならとJALに切り替えて予約を取り直すことに。福岡空港からの出発時間はANA便より30分ほど遅い便でしたが、それでも中尊寺には立ち寄れる…はずでした。
ところがその日の搭乗予定JAL便が大阪空港からの到着が遅れて、出発予定時間が更に1時間以上の遅延と言うことに。結局、仙台空港にはお昼頃の到着で、仙台駅から東北本線を使って行く予定だった平泉町に立ち寄る時間が無くなってしまったのです。
都会地の鉄道事情とは違い、仙台市とは言え地方の路線は1本乗り遅れると次の電車まで20~30分くらい空くのはごく普通です。全く残念ではありましたが予定した時間が乱れたので、もう仕方なく中尊寺は諦めました。
盛岡駅には午後3時頃までには着きたかったので、仙台駅周辺を少し歩いた後に予定していなかった東北新幹線を使いました。やっぱり新幹線は速い、仙台駅から約40分で盛岡駅へ到着しましたが、どこかスッキリしなかったのは金色堂を逃したからでしょう。
もちろん誰のせいでもなく、時間の余裕がないギチギチのスケジュールを組んだ私のミスが大きかったと言えます。次に岩手県を訪れるのはいつでしょうか、もしかしたら二度と行けないかも知れず、少し悔いが残る今回のスタートでした。
◆盛岡市(人口 約30万人)
東北地方を代表するのは仙台市であるのは間違いありませんが、その他の都市となればやはり県庁所在地の名称が出て来ます。九州人がパッと思いつくのは青森市、秋田市、そして2番手になってしまうのが盛岡市と山形市です。
3年前に東北新幹線を利用した時を思い出して、今回は仙台市から盛岡市までノンストップの新幹線「はやぶさ」を利用しました。仙台駅から乗車して、一関市や北上市をアッという間に通り過ぎて、約40分で盛岡駅に到着です。
盛岡駅のホームに着く時に駅前界隈の景色が目に入り、30階建てくらいの高層マンションが数棟も建っていたのは驚きました。駅前広場のスペースも広く、人口は30万人ほどなのに駅前に限ってはまるで40万人以上の都市であるかのような雰囲気があります。
もしかしたら私が持っているイメージを超える街並みが期待出来る、との思いが駅から出る私の足取りを軽くさせたようでした。駅構内の観光案内所で盛岡市街図を手に入れる時、窓口の女性から「マスク入れは要りますか?」の言葉がありました。
それは、東北各県キャラクターをカラフルに印刷した厚手の紙を3つに折り、丁度マスクが入るサイズにホックでとめるようになっています。その時期はマスクが必需品だったので、バッグに入れても清潔さが保たれるアイテムとして有難く頂戴しました。
ちょっとしたアイディアが、東北を訪れてマスク入れを手にした人に対して好印象を与えたに違いありません。
さて、その日に予約していたホテルは駅から徒歩で5分ほど、周辺は小さめのお店が何となくゴチャゴチャしています。チェックインには少し早い時間だったので荷物をホテルに預けて、駅前の大通りを歩くことにしました。
街の中心方向に5〜6分ほど歩くと街を横切る雫石川という川があり、土手にはコンテナサイズの簡易的なお店が20店ほど並んでいます。所どころにテントやテーブルなどの遊興スペースがあり、音楽やBBQを楽しめるようになっていました。
盛岡市に着いたのが土曜日で、まだ午後3時頃だったにも関わらず何だか河畔に人が集まって来ているようにも思えました。バンドの音合わせの音なども聞こえていたので、どうやらその日はイベントが開催されるようで、そこへの人出だったのでしょう。
何だか楽しそうな雰囲気でしたが私の街歩きには直接関係なかったので、河畔を横目に見ながら雫石川に架かる橋を渡りました。駅前の大通りから中心街までを見る限りでは、着いた時に駅で感じたイメージとは少し異なり、人口に見合った街の規模です。
それでも日本で一番広い面積を誇る岩手県の県庁所在地として、落ち着きがある整った街並みに見えました。南部氏の居城で、歴史ある盛岡城址公園も整備されたエリアでしたが、やや人出が少なかったのは官庁街付近だったからでしょうか。
道路沿いの看板には盛岡城址公園と出ていましたが、ホテルに帰ってネットで検索していると「岩手公園」の呼び名もあります。公園の名称を決める時に市民の間で一悶着があったようですが、まあ旅行者にとっては見聞出来ればどんな名称でも構いませんが。
駅周辺から数km範囲、2時間ほど街の中心地を歩くうちにそろそろ日が暮れて薄暗くなってきました。九州地方と東北地方の日没時間を比較すると、約30分の時間差があり、10月中旬の岩手県の日没は夕方5時20分頃です。
ホテルへ戻るまでにはすっかり暗くなり、雫石川を渡る頃には5〜6棟のマンションの窓の灯りがゆらゆらと川面に映っていました。そのままホテル近くまで戻ると小洒落た居酒屋風食事処があったので、その晩は岩手のお酒などいただきながらの食事です。
少し忙しそうな中居さんでしたが、私が一人だった為か、他のテーブルのサービスをしながら30秒ほど話し相手になってくれました。
私「盛岡は結構大きな街ですね。」
中居さん「そうですか、30万人の街ですからね。お客さんはどちらからですか?」
自分が住む街の人口を把握してあったのには嬉しくなりました。
私「九州の佐賀からです、初めて盛岡に来ました。」
中居さん「もう20年くらい前に九州に行きましたが、博多は賑やかですね。」
佐賀から来た…と言ったのに、福岡の話になった。
それは私達九州人が、「東北の盛岡から来ました…」と言う人との会話になった時に、「仙台は賑やかですね。」と言うかも知れません。
私が岩手と聞いて思うことは、わんこそば、石川啄木とか宮沢賢治の名前、花巻東高出身の野球選手を思い出すくらいでしょうか。盛岡市についてほとんど知らないこと以上に、東北の人達は佐賀についてはこれっぽっちも知らないに違いありません。
2年前の千葉市のホテル内の和食屋さんで経験した会話、「佐賀から来ました。」「へえ、京都からですか。」…拙書の1冊目に書いていたのですが、東日本では佐賀→嵯峨と間違われ、佐賀の知名度不足を再認識したことを思い出しました。
作品名:倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」19/盛岡、八戸 作家名:上野忠司