遊園地の普遍概念
5:残骸の中の幸福
良いことなんて、何もなかった。生まれてこの方、良いことなんて、何一つとしてなかった。
こんなことを言うと、大抵「そんなことはない、何か一つは良いことがあったはずだ」という、底抜けに間の抜けた楽観論者が現れる。
だが、そんなやつがいう戯言は、もう聞き飽きた。一つや二つ良いことがあったって、自分が底辺を彷徨っているご身分なのは、何も変わらないのだ。
「あんたが、俺を引き上げてくれるんなら、多少は話を聞いてやるんだがな」
こういう手合いは、こう言えば大抵、何だかんだ言いわけをつけて立ち去ってくれる。
お次に多いのは、「そんなら、なぜ今、そんなアホ面を下げて生きているんだ?」という、おせっかいで面倒な悲観論者ってやつだ。
まあ、とどのつまりはさっさと死ねということなんだろうが、いったいいつ俺は、あんたにアドバイスを求めたんだろうか。質問に質問で返すやつも大概だが、質問をしてないやつにドヤ顔で回答してくるやつの、脳の構造というのもちょっとのぞいてみたいもんだ。
くだらない話はさておいて。
まあ、上記の話で、俺がだいたいどういった人間か、お分かりになっただろう。家庭なんかもちろんない、社会にだって居場所がない、どこにいってもつまはじきの、近所にいてほしくないタイプのおじさん、そういう者だと思ってくれればよろしい。
今日は、そんな俺が最近見つけた、趣味の話をしようかと思う。
いや、趣味と行っても、競馬やパチンコといった類の話じゃないんだ。むしろ、その趣味を見つけたのは競馬から帰るときのことだった。
その日の俺は、ヤケにツキまくっていた。順調にレースを当て続け、しばらくは遊んで暮らせる程度の小金を手にしていたんだ。
だが、最終レース。今日の調子にすっかり気を良くしていた俺は、気付いたら全財産を大穴にぶちこんでいた。レース結果は、言わなくても分かるだろう。分からないやつは、この文章の冒頭をもう一度よく読んでくれ。
その日のツキを、一度のミスで帳消しにしちまった俺は、帰りの電車代すら残っていなかった。家の最寄り駅まで、この競馬場から4駅。その区間をトボトボと、歩いて帰らなければならないのだ。
概算すると、4、5時間はかかる計算だろうか。若いころだったら、なんてことない距離かもしれない。だが、希望も何も失った中年が、この距離を歩くのは肉体的にも精神的にもきつすぎる。とは言え、そうするしか方法がない。
(自販機に落ちてる釣り銭でもくすねりゃ、途中で電車に乗れるだろ)
俺は、ポジティブにそう考えて、家への遠路を一歩踏み出した。
徒歩での帰路は、思った以上に悲壮な行軍だった。
10分もしないうちに足が棒のようになる。よくわからない路地に入り込んで、奇異の目で見られる。頼みの綱の自販機の釣り銭も、全く落ちてやしない。そうこうしているうちに、日が落ちて辺りは暗くなる。
俺は一駅分どうにか歩いたところで、すっかり嫌になってしまっていた。とは言っても、もちろん投げ出すわけにはいかない。暗い足取りで、次の駅へと歩き出そうとしたその瞬間、とある物を発見したんだ。
そこは、全く光が刺さない場所だった。既に辺りは闇になっている中で、更にその闇を吸い込んでいるような真の闇。そんな奇妙な場所が、その駅のすぐ近くに存在したんだ。
何だろうと思い、俺はその闇に近寄る。すると、はるか大昔に見たような、微かに記憶に残っているようなオブジェが、闇の中でぼんやり浮かび上がった。円形に作られた骨組みと、その円に等間隔で固定されたゴンドラ。観覧車だった。
その脇には、どこか懐かしさのある宙を走るレール。恐らくは、ジェットコースターだろう。
すなわちここは、夜の遊園地なのだ。
だが、ここに遊園地なんてあっただろうか。あったとしたら、こんな寂れた駅ではないと思うのだが。
俺はそこから、艱難辛苦を乗り越えて家に帰宅し、先ほどの闇に包まれた遊園地について調査した。すると、意外な事実が浮かび上がってきた。
その遊園地は、かなり昔にほんの数年だけ開業したのだが、いろいろあって閉鎖したらしい。運営会社も夜逃げ同然だったらしく、取り壊されることもないまま、今に至っているようだ。
俺は翌日、筋肉痛になった脚を引きずって、その廃遊園地へと足を運んだ。立入禁止の金網を乗り越え、全てが動くことのない世界にそっと足を踏み入れる。ボロボロのベンチに腰を掛け、ゆっくりと空を見上げてから目を瞑った。
人々の歓声。
陽気な音楽。
ジェットコースターの通り過ぎる音。
営業している遊園地の様子が、まざまざとまぶたの裏に描き出されていく。
全てが当たり前で、満ち足りていて、幸福で、約束されている理想郷……。
そこに、一人の男が現れる。生まれてこの方、いいことなんて何一つなかった俺が。
俺は、その理想郷の中で、満たされきっている人々に向かって、ゆっくりと散弾銃を構える。
次の瞬間。
絹を裂くような悲鳴、弾け飛んで四散していく四肢、落下していく観覧車、脱線するジェットコースター、回転木馬は足を止め、ゴーカートはみなパンクする。阿鼻叫喚、そんな景色の中で、思わず俺は笑いだす。
そんな空想に浸りきっているうちに、いつしか時刻は夜となっている。
この場所を見つけてからというもの、毎日ここでこうしている。何日ぶっ続けだって、飽きることはない。幸せな人々を、幸せの象徴である場所を、たとえ妄想の中ででも木っ端微塵にすることが。
くだらなくてセンスのない、最低の趣味だと言われても構わない。それでも俺は、幸せをぶっ壊しに、明日もあの遊園地へと赴くのだろう。