遊園地の普遍概念
1:てっぺん
昔つきあっていた男に、どうしようもないクズがいたわ。
他に女を作るわけでもなかった。
酒に狂っているわけでもなかった。
ギャンブルをするわけでもなかった。
でも、仕事もしなかったのよ。
そいつは、いまいち理解しがたい詩のようなものを書いては出版社へと持っていく、そんな生活をずっと続けていた。
その詩のようなものとやらが、少しは世間受けするものならば、まだ救われたかもしれない。でもその作品(?)は、到底誰にも理解されぬ代物だった。すなわち、1円の価値にもならなかったというわけよ。
働きもせず、書いてるものもお金にならない、じゃあどうやって暮らしてたのかって? そいつは、ずっと両親から仕送りをしてもらっていたの。田舎から、定期的にお金や衣服、米などを送ってもらっていたわ。
でもまあ親というのは、大体において先にいなくなるものよね。その男の両親も例にもれず、さっさとあの世へ行ってしまい、現世での重い荷を下ろしてしまった。
さあ困ったのは、下ろされた重い荷物の方。
なんせいい年をして、働いたことがない。書いてるものも、どうやらお金になりそうにない。どうやって生きていくか、それを考えなければいけなくなってしまったのね。
そんな男とつきあっていたあたし自身は、特にお金には困っていなかった。ただ、その男への愛ももうとっくの昔に失せていたの。今となっては、なぜ愛したのかも思い出せないくらい。
ただ、別れを告げるのには惜しい、私はそう思った。これから先、どう転んでも悲惨な運命しか待っていない男が、ここでどう判断をするのか。それを見届けてから別れても遅くはない、そう思ったのよ。
彼は数日の間、例の詩のようなものを書くのも止めて、布団をかぶって考え込んでいたわ。おそらく、色々な考えが頭の中を巡ったのでしょうね。でもそれらの大半は、どう考えてもうまくいかない未来しか予想できない。そんな考えが泡のごとく浮かんでは消え、浮かんでは消え……。最終的に残った一つ、彼はそれを実行することに決めたんでしょう。
翌日。
朝早くから、彼の提案で私たちは遊園地に出かけたわ。家からはほど近いけど、特に思い出の場所でもない遊園地。その観覧車に乗って、ゆっくりと動き出してから、彼は私にこう告げたのよ。
「男たるもの、一度はてっぺんに立ってから死ぬべきだろう。
だから、このゴンドラがちょうどてっぺんまで来たら飛び降りようと思うんだ。
てっぺんから逆さまに飛び降りて、ぺしゃんこになれれば、僕は本望だ」
彼は私に心中を持ちかけはしなかった。それが彼の優しさなのか、そこまで考えていなかったのかは分からない。どちらにしても、私もそれに首肯する気はなかったけどね。
そうしているうちに、ゴンドラはジリジリと動いて頂上近くまでやって来た。彼は、窓を割るために拳を握りしめながら、『てっぺん』の瞬間を待ち続けていたわ。
ついにやって来たその瞬間。彼は真っ青な顔で息を弾ませながら、身じろぎ一つしなかった。そして、私の方を振り返りもせず、こう言ったのよ。
「タイミングが合わなかった。下でもう一周分お金を払ってくれ。次はやっつける」
私は、観覧車に乗ったままもう一周することにしたの。
2周目も当然、『てっぺん』は訪れるわ。でもその2回目の瞬間も、彼は行動に移さなかった。
「飛び降りようと思ったが、微妙に角度がずれていた。次こそは絶対だ」
私は何も言わず、下で係員にもう一周すると告げる。
次に訪れた3周目の『てっぺん』。それでも彼は飛び降りない。もう彼は、何かを言うこともなかった。私もそんな彼を横目に入れながら、何も言わず黙っていたわ。
4周目になると、彼は脂汗を流しながら時折私を見るようになった。それでも、私は相手にしなかったの。風景を見ているふりをしながら、視界の隅の彼を楽しんでいたわ。
5周目。
6周目。
7周目……。
私は、とっくに見飽きた風景を眺めるふりをしながら、追い詰められた彼の一挙手一投足を見逃さないようにする。彼の顔は土気色で、いっそ飛び降りてしまったほうが楽なんじゃないかとさえ思えたわ。
10周目。
15周目。
20周目……。
ここまで来ると、係員も様子がおかしいと思うわよね。あたしの「もう一周」の申し出に対し、「またですかぁ」などと悪態をつき始める。その言葉、あたしにはどうってことないけど、彼にはザクザクと突き刺さっていたことでしょうね。
それから、観覧車は何十周したかわからない。そして結局、彼は死への一歩を踏み出せないまま、夕方となったわ。もうすぐ遊園地の閉館時刻。
げっそりとやつれた彼は、それでもホッとしたようにあたしに告げる。
「ごめん、きょうは無理だった。明日には必ず」
あたしは、ちょうど真下まで来たゴンドラからひょいと出て、間髪を入れず言い放った。
「明日なんてないわよ」
「?」
何のことかわからないままゴンドラを降りる彼を、屈強な係員が捕まえた。
実はあたしは、お代は観覧車を下りるときに彼が全額払うと、係員に伝えておいたの。当然、いつまでたっても下りないあたしたちに、係員は警戒する。だから、屈強な人を待機させておいて彼を取り押さえた、というわけ。
そして、当然だけど彼は無一文。これからどういうことが待っているかは、誰しもが想像つくことでしょう。だから、「明日なんてない」ということ。
私は、がっちり捕まえられた彼をよそにすたすたと立ち去った。
さて、あたしはこれ以降、彼には会っていない。無事に死ぬことができたのか、死ねずに留置場にいるのか、それさえも分からない。
でも少なくとも言えるのは、所詮あいつは『てっぺん』が取れる器ではない、ということでしょうね。