Re Start (掌編集~今月のイラスト~)
「早苗」
俺の呼びかけに彼女は振り向いた。
彼女に会うのは5年ぶりになる、少し上目遣いに俺を見る仕草はあの頃と変わらない、競泳水着の裾を直すしぐさもそのままだ。
「あ、コーチ、お久しぶりです」
「今は早苗もコーチだろ?」
「今日初めてなんで、コーチなんて呼ばれても自分のことだなんて気が付かないかも」
そう言って笑顔を見せてくれた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
5年前……。
「今日は泳ぎにキレがないな、どうした? 疲れがたまってるのか?」
「少し……」
「どこか痛むところは?」
「特にありません」
「そうか……でも今日はこれくらいで上がりにするか……」
「まだメニューが」
「いや、ちょっとオーバーワーク気味かもしれないな、故障したら元も子もないぞ」
「大丈夫です、一晩寝れば元に戻りますから」
「そうか……」
当時早苗は高一、オリンピックを目指していた。
とは言っても有力候補というわけではなかった。
早苗の最も得意とするのは200mバタフライ、だがその種目には金メダル候補と目される選手がいた、彼女は100mでもメダル候補、絶対的エースだ。
早苗は3番手と言ったところ、もう一人の候補、早苗より少しだけ良いタイムを持っている大学生を追っていた。
だが二人ともまだ五輪標準記録は突破していない、オリンピックまではもう半年を切っている、先に標準記録を突破した方が代表入りするだろうと目されていた、ただし、標準記録を破らないことにはオリンピックへの道は開かれない。
早苗のベストタイムは標準記録まであと0.15秒、一般人ならば200m泳いで0.15秒の差などないに等しいが、トップスイマーにとっての0.15秒は綿密に組み立てられたメニューに沿って努力に努力を重ねなければ縮められない大きな差なのだ。
と言ってもまだ15歳だった早苗は伸び盛り、大きな大会ごとにタイムを縮めて来ていて2番手の大学生を抜く可能性は充分にあった。
早苗はオリンピックにこだわりを持っていた。
母親も同じ種目でオリンピック候補だったのだが、最終選考会で敗れ、オリンピアンになると言う夢は潰えた。
母親に『オリンピック、オリンピック』と吹き込まれたわけではないらしいが、物心ついた頃からオリンピック出場を逃した無念は聴かされていたらしい。
そして、事あるごとに『目標まであと少し、それをクリアできるかできないかでは全然違うものよ、後で後悔することのないようにね』と言い聞かされていたと言う。
生来の負けん気にその言葉の重さが加わり、早苗は『オリンピックに出たい、ううん、必ず出るんだ』と心に刻んで来た、そしてその目標は手を伸ばせば届きそうなところにある。
……だが、早苗は無理に手を伸ばしすぎていたようだ。
「どうした? キレが戻らないな、どこかに痛みがあるのか?」
「大丈夫です」
「いや、そのやる気、負けん気は買うが、故障があるならば早いうちに治した方が良い」
早苗は随分と抵抗したが、俺は首に縄をかけるようにして病院へ連れて行った。
……案の定だった。
「腰椎すべり症ですね」
腰椎すべり症は背骨を繋いでいる軟骨がすり減ったり変形したりして背骨の一部がズレてしまう症状、イルカのように身体をくねらせるバタフライの選手には起こりやすい故障だ。
最初に変だと気づいた時に病院へ連れて来ていれば……。
早苗のやる気に気圧されただけではなく、俺自身にも『あと少しなんだ』と言う焦りがあったと思う……。
医師からの指示はコルセットを付けての二週間の安静と理学療法、内服薬による治療。
二週間の安静と聞かされた早苗は打ちのめされたような顔になったが、俺は『大丈夫、まだ間に合うから今は治療に専念しろ』と宥めた、実際二週間練習できないのは痛いが手術を回避できたのは不幸中の幸い、伸び盛りの15歳、治ってからでも充分間に合うと踏んでいた。
そして二週間後、早苗はプールに戻って来た。
俺はオーバーワークにならないよう細心の注意を払って指導したが、それでも早苗のタイムは故障前のレベルに戻りつつあった。
オリンピック最終選考会となる大会の一週間前、タイムトライアルの練習で早苗は快調に飛ばしていた、150mのターンでは自己ベストより0.2秒速い、『行けるぞ』と思った矢先だった。
早苗は突然泳ぐのを止め、困惑したような表情で俺の目を見た。
あの目は一生忘れられない……。
早苗は腰の痛みを訴えてプールサイドまで移動することすら出来ず、俺は仲間のコーチの手を借りて早苗をプールから上げ、病院へと車を走らせた。
診断の結果はやはり腰椎すべり症の再発、しかも今回は最初の発症の時よりも深刻で、手術を要すると言う……代表選考会に間に合うはずもない、早苗のオリンピックへの夢はそこで潰えた。
しかし、冷静に考えればまだ15歳、早苗のピークはむしろ4年後、8年後だ。
俺はそう言って病院のベッドに横たわる早苗を慰めたが、早苗の思いは強すぎた。
オリンピックを夢見て、小さい頃からそれを目標に泳いできた15歳の少女には4年後、8年後の自分など想像も出来なかったようだ。
それっきり早苗はプールに戻ることはなかった。
怪我そのものは綺麗に治ったが、早苗の中にあるやる気、闘志の灯が消えてしまったのだ。
俺も自分を責めた。
最初の発症の際に、冷静に次のオリンピックを目指すよう説得すべきだった。
だが、俺自身も『オリンピック選手を育てる』と言う目標に手が届きそうになって目がくらんでしまっていたのだろう。
その結果、もっと大きく育つ可能性を秘めていたスイマーの選手生命を絶ってしまったのだ。
早苗以来、俺は世界どころか日本でトップレベルの大会に出場できるような選手を育てられてはいない、せいぜい県大会の決勝レースに残れるかどうか、と言うレベル。
だが、レースを終えてプールから上がって来る子たちが満足げな表情を浮かべられていればそれで良いと思っている……。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
早苗の故障は数か月で完全に癒えたが、泳ぐ意欲を失ってしまった早苗は、それ以降平凡な女子生徒として高校生活を送った、体育の授業ですらプールには入ろうとしなかったそうだ。
そして真面目に勉強して、一般受験で大学に進学した。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「早苗って水泳選手だったんだって?」
「昔ね、今は違う」
「水泳部とか入らないの?」
「そのつもりはないなぁ……」
「だったらさ、テニスやらない?」
「テニス? やったことないよ」
「大丈夫、初心者歓迎のサークルあるの、一緒に入らない?」
「うん……まあ……いいよ……ちょっと楽しそうだし……」
大学入学直後に親しくなった友人に誘われて参加したテニスサークル。
初心者歓迎と言うだけあって、大学に数多あるテニスサークルの中でも屈指の『緩い』サークルだ。
早苗も初心者の一人だったが、持ち前の運動神経でぐんぐん上達した。
俺の呼びかけに彼女は振り向いた。
彼女に会うのは5年ぶりになる、少し上目遣いに俺を見る仕草はあの頃と変わらない、競泳水着の裾を直すしぐさもそのままだ。
「あ、コーチ、お久しぶりです」
「今は早苗もコーチだろ?」
「今日初めてなんで、コーチなんて呼ばれても自分のことだなんて気が付かないかも」
そう言って笑顔を見せてくれた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
5年前……。
「今日は泳ぎにキレがないな、どうした? 疲れがたまってるのか?」
「少し……」
「どこか痛むところは?」
「特にありません」
「そうか……でも今日はこれくらいで上がりにするか……」
「まだメニューが」
「いや、ちょっとオーバーワーク気味かもしれないな、故障したら元も子もないぞ」
「大丈夫です、一晩寝れば元に戻りますから」
「そうか……」
当時早苗は高一、オリンピックを目指していた。
とは言っても有力候補というわけではなかった。
早苗の最も得意とするのは200mバタフライ、だがその種目には金メダル候補と目される選手がいた、彼女は100mでもメダル候補、絶対的エースだ。
早苗は3番手と言ったところ、もう一人の候補、早苗より少しだけ良いタイムを持っている大学生を追っていた。
だが二人ともまだ五輪標準記録は突破していない、オリンピックまではもう半年を切っている、先に標準記録を突破した方が代表入りするだろうと目されていた、ただし、標準記録を破らないことにはオリンピックへの道は開かれない。
早苗のベストタイムは標準記録まであと0.15秒、一般人ならば200m泳いで0.15秒の差などないに等しいが、トップスイマーにとっての0.15秒は綿密に組み立てられたメニューに沿って努力に努力を重ねなければ縮められない大きな差なのだ。
と言ってもまだ15歳だった早苗は伸び盛り、大きな大会ごとにタイムを縮めて来ていて2番手の大学生を抜く可能性は充分にあった。
早苗はオリンピックにこだわりを持っていた。
母親も同じ種目でオリンピック候補だったのだが、最終選考会で敗れ、オリンピアンになると言う夢は潰えた。
母親に『オリンピック、オリンピック』と吹き込まれたわけではないらしいが、物心ついた頃からオリンピック出場を逃した無念は聴かされていたらしい。
そして、事あるごとに『目標まであと少し、それをクリアできるかできないかでは全然違うものよ、後で後悔することのないようにね』と言い聞かされていたと言う。
生来の負けん気にその言葉の重さが加わり、早苗は『オリンピックに出たい、ううん、必ず出るんだ』と心に刻んで来た、そしてその目標は手を伸ばせば届きそうなところにある。
……だが、早苗は無理に手を伸ばしすぎていたようだ。
「どうした? キレが戻らないな、どこかに痛みがあるのか?」
「大丈夫です」
「いや、そのやる気、負けん気は買うが、故障があるならば早いうちに治した方が良い」
早苗は随分と抵抗したが、俺は首に縄をかけるようにして病院へ連れて行った。
……案の定だった。
「腰椎すべり症ですね」
腰椎すべり症は背骨を繋いでいる軟骨がすり減ったり変形したりして背骨の一部がズレてしまう症状、イルカのように身体をくねらせるバタフライの選手には起こりやすい故障だ。
最初に変だと気づいた時に病院へ連れて来ていれば……。
早苗のやる気に気圧されただけではなく、俺自身にも『あと少しなんだ』と言う焦りがあったと思う……。
医師からの指示はコルセットを付けての二週間の安静と理学療法、内服薬による治療。
二週間の安静と聞かされた早苗は打ちのめされたような顔になったが、俺は『大丈夫、まだ間に合うから今は治療に専念しろ』と宥めた、実際二週間練習できないのは痛いが手術を回避できたのは不幸中の幸い、伸び盛りの15歳、治ってからでも充分間に合うと踏んでいた。
そして二週間後、早苗はプールに戻って来た。
俺はオーバーワークにならないよう細心の注意を払って指導したが、それでも早苗のタイムは故障前のレベルに戻りつつあった。
オリンピック最終選考会となる大会の一週間前、タイムトライアルの練習で早苗は快調に飛ばしていた、150mのターンでは自己ベストより0.2秒速い、『行けるぞ』と思った矢先だった。
早苗は突然泳ぐのを止め、困惑したような表情で俺の目を見た。
あの目は一生忘れられない……。
早苗は腰の痛みを訴えてプールサイドまで移動することすら出来ず、俺は仲間のコーチの手を借りて早苗をプールから上げ、病院へと車を走らせた。
診断の結果はやはり腰椎すべり症の再発、しかも今回は最初の発症の時よりも深刻で、手術を要すると言う……代表選考会に間に合うはずもない、早苗のオリンピックへの夢はそこで潰えた。
しかし、冷静に考えればまだ15歳、早苗のピークはむしろ4年後、8年後だ。
俺はそう言って病院のベッドに横たわる早苗を慰めたが、早苗の思いは強すぎた。
オリンピックを夢見て、小さい頃からそれを目標に泳いできた15歳の少女には4年後、8年後の自分など想像も出来なかったようだ。
それっきり早苗はプールに戻ることはなかった。
怪我そのものは綺麗に治ったが、早苗の中にあるやる気、闘志の灯が消えてしまったのだ。
俺も自分を責めた。
最初の発症の際に、冷静に次のオリンピックを目指すよう説得すべきだった。
だが、俺自身も『オリンピック選手を育てる』と言う目標に手が届きそうになって目がくらんでしまっていたのだろう。
その結果、もっと大きく育つ可能性を秘めていたスイマーの選手生命を絶ってしまったのだ。
早苗以来、俺は世界どころか日本でトップレベルの大会に出場できるような選手を育てられてはいない、せいぜい県大会の決勝レースに残れるかどうか、と言うレベル。
だが、レースを終えてプールから上がって来る子たちが満足げな表情を浮かべられていればそれで良いと思っている……。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
早苗の故障は数か月で完全に癒えたが、泳ぐ意欲を失ってしまった早苗は、それ以降平凡な女子生徒として高校生活を送った、体育の授業ですらプールには入ろうとしなかったそうだ。
そして真面目に勉強して、一般受験で大学に進学した。
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「早苗って水泳選手だったんだって?」
「昔ね、今は違う」
「水泳部とか入らないの?」
「そのつもりはないなぁ……」
「だったらさ、テニスやらない?」
「テニス? やったことないよ」
「大丈夫、初心者歓迎のサークルあるの、一緒に入らない?」
「うん……まあ……いいよ……ちょっと楽しそうだし……」
大学入学直後に親しくなった友人に誘われて参加したテニスサークル。
初心者歓迎と言うだけあって、大学に数多あるテニスサークルの中でも屈指の『緩い』サークルだ。
早苗も初心者の一人だったが、持ち前の運動神経でぐんぐん上達した。
作品名:Re Start (掌編集~今月のイラスト~) 作家名:ST