倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」18/鳥取、松江、出雲
一気に広がる宍道湖風景の中に、丁度良い具合に夕陽にかかる雲がバランス良く並んで、多くの見る人たちを迎えてくれていました。私たちにとって、もう無いかも知れないであろうチャンスを見事に叶えてくれた夕景に感謝でした。
次第に暮れなずむ湖畔公園には、並んで座るカップルやスマホで撮影する人、二人で歩く熟年夫婦など穏やかな時間が流れます。好天に恵まれれば、こんなに落ち着いた雰囲気を楽しめる…噂に違わない夕景を20分ほど堪能できました。
しばし楽しんだ後は、殆ど暮れてしまった湖畔を離れて、食事のために少し古さが残る街並みへ向かいました。ホテルが全くの目算はずれだったので、せめて食事はちゃんとしたお店で摂らないと気分的にも良くありません。
とは言え、ホテルまで500?600mほどの道沿いには都会地のように飲食店が並んでいるような繁華街には行き当りません。むしろ広くもないうら寂しい通りに、ポツンポツンと料理店の看板が申し訳なさそうに置かれていました。
まあ今日もあまり気が乗らない飲食店での夕食かも知れん…すっかり暗くなった狭い通りで半ば諦めた状態でした。それでも数軒のうち、入口の雰囲気が良さそうな和風のお店があったので、何気なく入ってみることに。
そのお店は値段も適宜で、美味しい食事とお酒を頂けたのは良かった。思いもよらない良い時間を過ごし、失敗したホテル選びを少しでも補ってくれたことは間違いありませんでした。
さて翌日は、残念な思いをしたホテルを後に、あの有名な出雲大社(いずもおおやしろ)に立ち寄ることに。宍道湖に沿って出雲市方面に向かっていると、湖の西端付近に「夕焼けが一番きれいに見える地点」との看板がありました。
あら、そうなのか…と思いながらも、宍道湖に映る松江市のホテル街の窓々の灯りにも助けられて、絵ハガキになってもおかしくないような夕景を堪能したあの整備された場所で充分でした。
そんなことを感じながら、松江市から出雲大社付近まで30分ほどで到着です。
◆出雲市(人口約17万人)
伊勢神宮がある三重県伊勢市の人口は12.万人強、出雲市の人口もそれくらいかと思っていましたが、予想より多いのです。
私にとっては珍しく「街を見る」のではなく、今回に限り「出雲大社を見る」と言うコンセプトでした。でっかい注連縄を確認することと、日本の神々が集まる出雲大社全体の雰囲気を感じるために一度は足を運びたかったのです。
「縁結び」の効果と言うのは果たしてあるのかどうか…はこっちに置いといて、信奉を集めているのは確かでしょう。それほど交通の便が良いとは言えない場所に多くの人が訪れるのですから。
ところで日本には、神社、神宮、大社、宮(天満宮)、八幡神社、稲荷神社など、多くの名称があるのは何故でしょうか。6年前に伊勢神宮を訪れた際に少し調べたのですが、日本人の物事に対する細やかさが忍ばれたのを思い出します。
夫々の呼称の謂れを見れば、なるほど…と思うところもありますが、逆にそんなに細かく分けなくても良いのでは、とも思います。
気になる人はネットで検索するだけでも、名称のおおよその内容(意味)が書いてあるので「はあ、そうなんだ!」と参考になりますよ。
とは言え、そんなに色々な名称があること自体が尋常ではありません。加えて「神社の格式」があるのですから、やはり日本人は細やか過ぎるようです。
興味があれば「八百万の神・日本の神道」を少し調べてみるのは悪いことではないでしょう。
多くの日本人は年齢を重ねるにつれて、神道や仏教の成り立ち(歴史)に興味が湧くと思います。何せ知らず知らずのうちに多岐に亘る宗教行事が我々の日常の生活に擦り込まれて、習慣の一部になっているのですから。
出雲大社に行くだけで個人的にでもそんなことを考えてしまうのは、どこか日本の宗教を再考するきっかけにもなりそうです。
本当は(なんやかやと考えずに)素直にお詣りすれば良いのでしょうけど…。
出雲大社は、やはり一度は行ってみる場所であるのは確かです。まあイメージとして「縁結び」に特化された印象なので、その点では日本人向けには成功しているのではないでしょうか。
どこかの神社に行くと、家内安全、商売繁盛、交通安全、学業成就、安産祈願…等々、何が得意なのか分からない神社があります。まるで万能選手ならぬ万能神社の様相を呈していて、何でもござれと言っているようなところです。
それよりも「あそこの神社に行くと、○○に関してご利益がある…」と参拝目的を持てる方が良いと思いますが、どうでしょう。
それはともかく神社があるところに神様が来る、のではなく「神様がいるところに神社が出来る」と考えるのが良さそうです。その場所は「気を感じさせるエネルギーが集積しているパワースポット」としての存在であって欲しいものです。
ところで、神社は「お詣り」、お寺は「お参り」――。
文章を書いていると、時々どっちの漢字を使って良いのか迷う時がありますが、そんな時は自分の「薄学」を思い知る時です。
普段は見過ごすような単純な言い回しの漢字でも、実際には何故その文字を使うのかを調べるとなかなか面白い。今回の「お詣りとお参り」の使い分けも、いちいち気にしなければ良さそうですが、気になり始めると調べたくなりますね。
さて、1時間くらいかけて一通り大社を「見学」したので、おおまかに全体の雰囲気は楽しめました。
午後からは、また6時間近くかけて佐賀までの運転です。その前にせっかくなので、出雲そばを食するために出雲市街地へ向かいました。
出雲駅周辺に行けばそば屋さんがあるのではと思って出雲市の中心街を通りましたが、途中の街並みは人口の割には小さい感じです。出雲駅そのものは新しくて、駅舎の形も大社モドキだったのですが、いかにもローカル駅の感じで駅前も特に特徴はありません。
駅構内にも小さな食事処が2ヶ所しかなく、どうしようかと思ったら敷地内に土産店併設のそば屋さんを見つけました。看板には「名物・出雲そば」の文字もあり、出発があまり遅くならないためにもそこで食してみることに。
出雲そばの特異な形として、3段重ねの丸い漆器に盛った「割子そば」があるのを知りました。わんこそば、戸隠そばと並んで「日本の三大蕎麦」らしく、その謂れを聞いてみると面白いものです。
さて食事も済ませ、佐賀に着く時間があまり遅くならないように、午後1時30分頃に出雲駅を離れて田園風景の中を最寄りの高速道路ICへ向かいました。
作品名:倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」18/鳥取、松江、出雲 作家名:上野忠司