没、乃至没集
私は、この世の本質は循環だと信じていて、それを前提で話を進めますと、人間が完成されるのは死んだ時か、死ぬ瞬間だと考えています。非常に炎上しそうな内容ですので、補足させて頂きますと、死とは何か考えたとき、私は宇宙に還ることなのだと思っています。そもそも、我々はビックバンが起きて、その際増殖した元素の塊なのであって、生きている期間よりも生きていない期間の方が遥かに、圧倒的に長いわけです。その上で、たった数十年ぽっち地球で生きているからと、傲慢になることは非常に甚だしいことだと思っており、命の尊さを侮辱するわけではありませんが、我々は奇跡的に、偶然意識を持って生まれた生命体なのだけであり、それ以上でもそれ以下でもないと思っているのです。生きている事、生き続けられている事こそ奇跡なのは言うまでもありません。考えようによっては、むしろ、生きている事こそ、生き物こそ、現段階の情報からすると、この宇宙において異常なのです。何度も言いますが、命が尊くないと言っていません、むしろ、絶滅危惧種を保護するように、我々自身も保護しなくてはならないと思っています。その上で、私は死んだことがないので分かりませんが、人間とは死んだら完成されると思っていますし、それは未知の知を自覚していれば、死ぬまで物事は尽きることなく、何が起こるか分からないということが言いたいのです。
未知の知を知ると、あなたの存在がどれだけちっぽけだということが知れます。あなたの世界が本当に存在しているのか、そもそも宇宙は存在しないのか、あなたが世界の中心なのか、それは誰にも、明確に証拠を出すことは出来ません。なぜなら、あなたは、あなたが納得する答えを既に持っていて、それが第三者から提示されているのを待っているからです。つまり期待です。期待とは、この世で最も愛すべきものであり、同時に人を殺すものでもあります。
イギリスの諺で、「馬を水辺に連れてはいけるが、馬に水を呑ませることが出来ない」というのがあります。この真意とは、あなたは、家族を含めた自分以外の誰かに何かをさせようとしても、あなたが出来ることはその環境に持っていくだけで、やるかやらないかは分からないということです。