倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」15/堺、神戸、大津
【堺市・神戸市・大津市】令和1年10月
◆堺市(人口 約83万人)
日本に20ヶ所ある政令指定都市、この5年間のうちに私が訪れた最後の都市が堺市です。約50年前に行って以来、堺市は本当に久しぶりで、大きく様変わりしているのは間違いありません。
JR阪和線の堺市駅近辺に1週間ほど滞在した経験があり、今はどうなっているか再訪してみました。今年の1月にも大阪市を訪れていたので、大阪駅〜環状線〜天王寺駅からの乗換えもスムーズです。
さてJR堺市駅に降りてみると、都会でも何でもなく、いかにも大都市周辺の住宅地でした。駅の前にタワマンが2棟建っていますが、それを除けばごく普通のローカルエリアの住宅地に見えます。
駅を降りればすぐに踏切があると言うのは、場末の風景としての定番のようで、何だか昔そのままの風景です。約50年前の記憶を辿れば、その頃もせいぜい3階建てほどの建物が点在していたごく普通の住宅地でした。
JR堺市駅周辺をひと回りした後に、「こっちが堺市の中心地」と思う方にボチボチと歩いてみました。堺市の中心地は南海電鉄の「堺東駅」周辺だろうとは思っていましたが、到着するまでの時間は分かりません。
途中に有名な仁徳天皇陵や百舌鳥古墳群の案内看板などもありましたが、それらを見過ごして約30分で到着です。JR堺市駅周辺に比べたら、さすがに都会地の様相にはなったものの、人口約83万人の駅としては物足りません。
堺市の人口は大阪市への通勤都市としての人口だと思いますが、それは約50万人の東大阪市でも同じでしょう。相模原市と比較すれば、堺市の方が都会的な雰囲気は多くありますが、期待したほどではありませんでした。
とは言え、どことなく堺市の背景には「日本的ではない日本の歴史」を背負っている重みが感じられます。他の都市で言えば長崎市などと同じような、どことなく「南蛮の匂い」を感じさせるようです。
その昔、太閤秀吉が気を入れた貿易港でもあり、外国への交流拠点として発展したのは歴史が教えてくれます。更にその前、古墳で知られる縄文時代から続いて、平安・鎌倉時代でも畿内の一部として栄えていたようです。
そう考えると、堺市はもっと注目されても良い環境ですが、関西ではそれほど目立たないのは何故でしょう。大阪市をはじめ、京都市や神戸市、奈良市などの人気スポットが多いので、地味な古墳には目が向かないのかも。
私が着いた日は丁度「堺まつり」の開催日で、堺東駅前の市役所付近では大掛かりな設営準備が終わる頃でした。リハーサルが始まるような時間に通りかかりましたが、大きな規模のイベントのように見えました。
堺市にはもう一つ、南海電鉄本線の「堺駅」があったので、市役所前の大通りを過ぎて堺駅方面に歩きました。ところがそこまで歩く気分になれずに、私としては珍しく30%も行かずに途中で引き返すことに。
政令指定都市のメインストリートなのに、街並みが普通サイズで私の興味を引くまでには至らなかったのです。そして、もうすぐ堺まつりがオープンする時間だったので、そのイベントを見てみたい気持ちもありました。
JR堺市駅から南海堺東駅までの住宅地を約30分も歩いたのが誤算でした。その時間が無かったら堺駅まで歩いたかも知れませんが、堺まつりを少し見て早めに大阪市に戻りました。
堺東駅から難波駅まで南海電車を利用、1月に和歌山市から新若宮駅まで乗ったのに続いて2度目の利用でした。南海難波駅も他の私鉄の駅に負けず劣らず大きく、駅前のビル街や大通りの姿も大都会にふさわしい規模です。
10分ほど歩いて道頓堀付近へ、すっかり陽が落ちた繁華街を少し横道にそれて小洒落た大衆居酒屋で夕食。梅田のホテルまでは歩けば遠かったので、大阪市では久しぶりに地下鉄を利用しました。
◆神戸市(人口 約152万人)
その翌日は、大津市での同窓会に出席する予定があり、集合時間が午後だったので午前中は神戸市へ…。4年前に、名古屋市→伊勢市→奈良市を経由して神戸市の舞子まで行った時は、神戸市街地は素通りしました。
今回は、阪神淡路大震災の情況を見て以来、改めて神戸市の中心である三ノ宮界隈を見るために出向きました。日本ではあの「東日本大震災」が発生してからは、もう阪神淡路大震災の話題はほとんど出て来ません。
それでも私の中には、現場を歩いた経験もあって、当時の神戸市の情景がはっきり思い浮かびます。外見的なダメージはもうすっかり回復していると思いますが、どうしても記憶の中には残っています。
神戸市が持っている独特の明るさやエキゾティックな雰囲気は、日本でも有数の街としての存在感があります。旅行代理店が企画している、3つの街が全く違うキャラで展開する関西の「三都物語」の商品は秀逸ですね。
その三都の1つ、神戸市のイメージは、三ノ宮界隈・異人館通り・神戸港・六甲山からの夜景などなど…。横浜市のように人口過多でもなく、大阪市との距離も適度にあって、都会として雰囲気も丁度良いと思います。
さてJR三ノ宮駅を降りて、まず向かったのは駅前のフラワーロードと呼ばれる神戸港方面への大通りです。この道は初めて歩きましたが、まさに整備された地域として、きれいな都市を代表しているように見えました。
周辺の建物は近代的で、通り沿いの広い公園には花時計や適度な休憩所などがあり、憩いの場そのものです。このエリアは恐らく日本の都市空間では屈指の気持ち良さを提供している、少なくとも私はそう思いました。
歩いたのが日曜日だったからか、交通量も少なく、公園では日本人ばかりか外国人の家族連れも目立ちました。周辺のビジネス街では目新しいビルが多く見られたのは、大震災以降に新しくなったのかも知れません。
さて、その公園周辺から三ノ宮センター街と表通りを交互に歩いて、久しぶりに元町駅まで行ってみました。そこから続く「三ノ宮ガード下」を歩いてみると、数十年前とほとんど変わらない懐かしさで感激しました。
そのゴチャゴチャ感は、整った市街地とは真逆の姿ですが、昭和40年代の新宿駅周辺をも思い出させます。大震災を乗り越えたからこそ、昔ながらのガード下の店々が残っていて、一種の昔日感を与えてくれます。
周辺をひと通り歩いた後の食事は、ガード下にある(昼間っから呑める)ゴチャゴチャ居酒屋で海鮮丼を注文!入口には大漁旗、中に入れば目の前に手書きのメニューがずらっと並んで、いかにも大衆的な店内は賑やかです。
三ノ宮駅周辺は、上品な店も大衆的な店も混在して、街のサイズも歩いて飽きが来ずに楽しいですね。但し、三ノ宮駅がリニューアル中なのか全体的にシートをかぶせてあり、良く見えなかったことが残念でした。
私がこれまで訪れた20ヶ所の政令指定都市のうち、神戸市は好感度が高い都市に数えることが出来ます。もちろん私の目線での話なので、各都市の順位は付けられませんが、私の中では5番以内に入ります。
◆堺市(人口 約83万人)
日本に20ヶ所ある政令指定都市、この5年間のうちに私が訪れた最後の都市が堺市です。約50年前に行って以来、堺市は本当に久しぶりで、大きく様変わりしているのは間違いありません。
JR阪和線の堺市駅近辺に1週間ほど滞在した経験があり、今はどうなっているか再訪してみました。今年の1月にも大阪市を訪れていたので、大阪駅〜環状線〜天王寺駅からの乗換えもスムーズです。
さてJR堺市駅に降りてみると、都会でも何でもなく、いかにも大都市周辺の住宅地でした。駅の前にタワマンが2棟建っていますが、それを除けばごく普通のローカルエリアの住宅地に見えます。
駅を降りればすぐに踏切があると言うのは、場末の風景としての定番のようで、何だか昔そのままの風景です。約50年前の記憶を辿れば、その頃もせいぜい3階建てほどの建物が点在していたごく普通の住宅地でした。
JR堺市駅周辺をひと回りした後に、「こっちが堺市の中心地」と思う方にボチボチと歩いてみました。堺市の中心地は南海電鉄の「堺東駅」周辺だろうとは思っていましたが、到着するまでの時間は分かりません。
途中に有名な仁徳天皇陵や百舌鳥古墳群の案内看板などもありましたが、それらを見過ごして約30分で到着です。JR堺市駅周辺に比べたら、さすがに都会地の様相にはなったものの、人口約83万人の駅としては物足りません。
堺市の人口は大阪市への通勤都市としての人口だと思いますが、それは約50万人の東大阪市でも同じでしょう。相模原市と比較すれば、堺市の方が都会的な雰囲気は多くありますが、期待したほどではありませんでした。
とは言え、どことなく堺市の背景には「日本的ではない日本の歴史」を背負っている重みが感じられます。他の都市で言えば長崎市などと同じような、どことなく「南蛮の匂い」を感じさせるようです。
その昔、太閤秀吉が気を入れた貿易港でもあり、外国への交流拠点として発展したのは歴史が教えてくれます。更にその前、古墳で知られる縄文時代から続いて、平安・鎌倉時代でも畿内の一部として栄えていたようです。
そう考えると、堺市はもっと注目されても良い環境ですが、関西ではそれほど目立たないのは何故でしょう。大阪市をはじめ、京都市や神戸市、奈良市などの人気スポットが多いので、地味な古墳には目が向かないのかも。
私が着いた日は丁度「堺まつり」の開催日で、堺東駅前の市役所付近では大掛かりな設営準備が終わる頃でした。リハーサルが始まるような時間に通りかかりましたが、大きな規模のイベントのように見えました。
堺市にはもう一つ、南海電鉄本線の「堺駅」があったので、市役所前の大通りを過ぎて堺駅方面に歩きました。ところがそこまで歩く気分になれずに、私としては珍しく30%も行かずに途中で引き返すことに。
政令指定都市のメインストリートなのに、街並みが普通サイズで私の興味を引くまでには至らなかったのです。そして、もうすぐ堺まつりがオープンする時間だったので、そのイベントを見てみたい気持ちもありました。
JR堺市駅から南海堺東駅までの住宅地を約30分も歩いたのが誤算でした。その時間が無かったら堺駅まで歩いたかも知れませんが、堺まつりを少し見て早めに大阪市に戻りました。
堺東駅から難波駅まで南海電車を利用、1月に和歌山市から新若宮駅まで乗ったのに続いて2度目の利用でした。南海難波駅も他の私鉄の駅に負けず劣らず大きく、駅前のビル街や大通りの姿も大都会にふさわしい規模です。
10分ほど歩いて道頓堀付近へ、すっかり陽が落ちた繁華街を少し横道にそれて小洒落た大衆居酒屋で夕食。梅田のホテルまでは歩けば遠かったので、大阪市では久しぶりに地下鉄を利用しました。
◆神戸市(人口 約152万人)
その翌日は、大津市での同窓会に出席する予定があり、集合時間が午後だったので午前中は神戸市へ…。4年前に、名古屋市→伊勢市→奈良市を経由して神戸市の舞子まで行った時は、神戸市街地は素通りしました。
今回は、阪神淡路大震災の情況を見て以来、改めて神戸市の中心である三ノ宮界隈を見るために出向きました。日本ではあの「東日本大震災」が発生してからは、もう阪神淡路大震災の話題はほとんど出て来ません。
それでも私の中には、現場を歩いた経験もあって、当時の神戸市の情景がはっきり思い浮かびます。外見的なダメージはもうすっかり回復していると思いますが、どうしても記憶の中には残っています。
神戸市が持っている独特の明るさやエキゾティックな雰囲気は、日本でも有数の街としての存在感があります。旅行代理店が企画している、3つの街が全く違うキャラで展開する関西の「三都物語」の商品は秀逸ですね。
その三都の1つ、神戸市のイメージは、三ノ宮界隈・異人館通り・神戸港・六甲山からの夜景などなど…。横浜市のように人口過多でもなく、大阪市との距離も適度にあって、都会として雰囲気も丁度良いと思います。
さてJR三ノ宮駅を降りて、まず向かったのは駅前のフラワーロードと呼ばれる神戸港方面への大通りです。この道は初めて歩きましたが、まさに整備された地域として、きれいな都市を代表しているように見えました。
周辺の建物は近代的で、通り沿いの広い公園には花時計や適度な休憩所などがあり、憩いの場そのものです。このエリアは恐らく日本の都市空間では屈指の気持ち良さを提供している、少なくとも私はそう思いました。
歩いたのが日曜日だったからか、交通量も少なく、公園では日本人ばかりか外国人の家族連れも目立ちました。周辺のビジネス街では目新しいビルが多く見られたのは、大震災以降に新しくなったのかも知れません。
さて、その公園周辺から三ノ宮センター街と表通りを交互に歩いて、久しぶりに元町駅まで行ってみました。そこから続く「三ノ宮ガード下」を歩いてみると、数十年前とほとんど変わらない懐かしさで感激しました。
そのゴチャゴチャ感は、整った市街地とは真逆の姿ですが、昭和40年代の新宿駅周辺をも思い出させます。大震災を乗り越えたからこそ、昔ながらのガード下の店々が残っていて、一種の昔日感を与えてくれます。
周辺をひと通り歩いた後の食事は、ガード下にある(昼間っから呑める)ゴチャゴチャ居酒屋で海鮮丼を注文!入口には大漁旗、中に入れば目の前に手書きのメニューがずらっと並んで、いかにも大衆的な店内は賑やかです。
三ノ宮駅周辺は、上品な店も大衆的な店も混在して、街のサイズも歩いて飽きが来ずに楽しいですね。但し、三ノ宮駅がリニューアル中なのか全体的にシートをかぶせてあり、良く見えなかったことが残念でした。
私がこれまで訪れた20ヶ所の政令指定都市のうち、神戸市は好感度が高い都市に数えることが出来ます。もちろん私の目線での話なので、各都市の順位は付けられませんが、私の中では5番以内に入ります。
作品名:倫五さんの「ほんのちょこっと街ある記」15/堺、神戸、大津 作家名:上野忠司