ほんのちょこっと街ある記 14/松本、長野、富山、金沢、福井
【松本市・長野市・富山市・金沢市・福井市】令和1年9月
◆松本市(人口 約24万人)
甲府市役所付近の小奇麗な麵屋さんでお昼を済ませ、甲府駅からこれまた特急あずさ15号を利用、松本駅までの乗車時間は1時間程度です。松本市は、佐賀市と同じくらいの人口の街で「国宝・松本城」があまりに有名ですね。
松本市は広い長野県のほぼ中央に位置し、周辺エリアの中心都市として、甲府市と同様に人口以上のレベルに見えます。松本駅のサイズや駅前広場もゆったりとしていて、駅前の通りなども歩くのに楽しそうな街に思えました。
歩いて5分もすると、路上に「松本城の歴代城主の家紋」を描いた白くて四角い高さが80㎝ほどの看板が所々に設置してあります。いかにも「ようこそ松本市へ!」のメッセージ性があり、街角から受ける優美な佇まいは、歴史を感じさせます。
松本城へ向かう道路の歩道は、どことなく京都の道を歩くような感覚になったようでした。道路の途中の川沿いには、江戸時代を彷彿とさせる「地域の守り神」のような祠なども見かけられます。
そうかと言って街の姿の半分くらいはビルなども多く、歴史の街オンリーのイメージだけではありません。人口が約24万人と言うことは、ちゃんと商業的な規模もあって、適当にバランスが取れていると言えます。
駅から40分ほども歩いたでしょうか、いよいよ松本城に着いてみて、やはり一度は訪れて良い場所です。近づくにつれて、あの歴代城主の家紋の看板が増えていき、お城への入り口付近にはズラッと並べてありました。
その日はウイークデイだったのですが、それでも市内を歩く人も含めて観光客は少なくはありません。日本最古とされる木造5層の天守閣は、まるでお濠に直接建てられているように見えて、それなりに珍しい。
お城としては、これまで見てきた各地のお城の中で、サイズも色も岡山城のイメージによく似ていました。別名が「烏城(からすじょう)」とあるので全く同じと思ったら、岡山城は「烏城(うじょう)」と読むらしい。
どちらも戦国時代の末期に出来たようですが、松本城が早かったので岡山城が別名を譲った…かも知れません。
それはともかく、松本市が城下町のイメージを色濃く残しているのは、松本城が現存しているからでしょう。
やはり歴史を感じさせる街は、街角や店舗からさりげなく醸し出される「しっとり感」があります。私が見たい近代的な都市の姿とは異なるはずなのに、京都市や奈良市を筆頭に、街のしっとり感は良いですね。
近代的な街づくり、ビル街などを主眼において見てきましたが、少しずつ見方が多様化してきたかも知れません。もちろん、その都市の人口を見て判断するのは基本的には変わりませんが、多少の気持ちの変化も感じます。
人口をチェックするだけでは計れない、歴史ある街から感じる感覚は、街に抱擁されているかのようです。1つ前の甲府市、そして松本市と2つの街のダブル効果なのか、何となく感じ方の変化があったのは不思議です。
さてそうなると、松本市の次には善光寺がある長野市に行く訳で、どのように感じるか楽しみなりました。
◆長野市(人口 約37万人)
松本駅からは「しなの17号」と言う列車名、いかにも長野県を走るイメージの特急を利用しました。その乗客は当初1両に30人ほどでしたが、停車するたびに何だか段々と乗客が減っていきました。
終点・長野駅に着く時はついに1両に何と私1人と言う、特急電車としては大惨状で、かなり戸惑いました。JR中央本線は、本来は中部地方の幹線路線でしょうが、乗客減少は北陸新幹線が開通したためと思われます。
九州新幹線で経験したことと構図は同じで、新幹線が走るあおりを受けて中距離間の不便さが目立ちます。もともと中央本線を利用していた乗客が新幹線に流れた…1両に乗客1人では車掌さんもやる気は出らんやろ。
そんな変な経験をして到着した長野市ですが、予想以上に駅前付近は賑わいの姿を見せてくれました。着いた時間が夕刻だったので、薄暗い建物の窓々には明かりが付き、夜のとばりにネオンが輝いていました。
長野駅の正面出口には「善光寺バージョン」の装飾がドンと出ていて、いかにもアピールする力があります。小規模の街で自慢の建造物などをアピールするのはあり得ますが、約37万人の都市がここまで出すのも珍しい
「長野市に来た」と言うより「善光寺に来た」とまで思わせます。
その日のホテルは駅から歩いて5〜6分、チェックインしてすぐ街に出ましたが、繁華街は人も多かったですね。慣れない場所とは言え、方角をあまり間違えないはずの私が帰り道を迷ったのは、大都市の広島市以来でした。
さて翌日、3時間ほどの滞在時間としては当然のように善光寺参りと途中の長野市の街並みを見ることでした。長野駅周辺から善光寺までは、結構街の中を通るルートだったので、歩いて丁度良い時間の使い方が出来ました。
名高い善光寺ですが、街中の案内看板も多く、更に約1kmにわたって門前町の風情があったのはさすがでした。歩いたのが朝9時頃で、それぞれのお店はまだ開店前でしたが、お仕着せがましい感じがないのも良かった。
善光寺の資料では「無宗派の寺院」とありますが、各宗派が出来た鎌倉仏教以前から存在したからとされます。しかし実際には住職さんがいる訳で、天台宗の名刹から推薦された住職が貫主(かんす)として務めるとのこと。
善光寺は長野市ばかりでなく、全国各地に約200ヶ所もあるらしく、実際に甲府市にも甲府善光寺がありました。当時の善光寺聖(ひじり、半僧半俗の人)メンバーが善光寺如来への信仰のために全国に広めた…とあります。
神社では「お伊勢参り」、寺院では「善光寺参り」と言われるほどの立場なのは再認識しても良さそうです。まあそれはそれとして、私が受けた印象ではそんなに霊験あらたか…なのかと言えば、少し違うとも感じました。
善光寺をあらわした写真や説明文などを見てみると、いかにも崇高で格式が高い、訪れる前はそんな気分でした。しかし東大寺や法隆寺などの奈良のお寺、あるいは建長寺や円覚寺などの鎌倉のお寺に比して違和感があります。
広さで言えば、案内地図ではすご〜く広い敷地に仁王門や雲上殿、庭園などのあるのが分かります。ただあまり広くは感じないのは、一見して市街地(住宅地)の中にあるように見えるのが一因かも知れません。
実際に行ってみると、山門から本堂までの境内スペースが狭い上に、授与品所やおみくじなどが俗っぽいのです。風情がある参道(門前通り)でも、山門の直前に信号機付き生活道路が横切っているのは、いかにも興醒めです。
しかし良く言えば、それだけ市民生活にも密着していて、長野市民の支えとして貢献しているとも言えます。私のように信仰心が薄い人間が、客観的にあれこれ言っても仕方なく、厳として存在しているのは間違いない。
まあ、そんなことを感じながら参道を下る途中から左折して、メイン通りを長野駅まで戻ることにしました。駅に戻るまでの街並みは、建物以外にも道路の広さなども含めて、中堅都市としての存在感はあります。
◆松本市(人口 約24万人)
甲府市役所付近の小奇麗な麵屋さんでお昼を済ませ、甲府駅からこれまた特急あずさ15号を利用、松本駅までの乗車時間は1時間程度です。松本市は、佐賀市と同じくらいの人口の街で「国宝・松本城」があまりに有名ですね。
松本市は広い長野県のほぼ中央に位置し、周辺エリアの中心都市として、甲府市と同様に人口以上のレベルに見えます。松本駅のサイズや駅前広場もゆったりとしていて、駅前の通りなども歩くのに楽しそうな街に思えました。
歩いて5分もすると、路上に「松本城の歴代城主の家紋」を描いた白くて四角い高さが80㎝ほどの看板が所々に設置してあります。いかにも「ようこそ松本市へ!」のメッセージ性があり、街角から受ける優美な佇まいは、歴史を感じさせます。
松本城へ向かう道路の歩道は、どことなく京都の道を歩くような感覚になったようでした。道路の途中の川沿いには、江戸時代を彷彿とさせる「地域の守り神」のような祠なども見かけられます。
そうかと言って街の姿の半分くらいはビルなども多く、歴史の街オンリーのイメージだけではありません。人口が約24万人と言うことは、ちゃんと商業的な規模もあって、適当にバランスが取れていると言えます。
駅から40分ほども歩いたでしょうか、いよいよ松本城に着いてみて、やはり一度は訪れて良い場所です。近づくにつれて、あの歴代城主の家紋の看板が増えていき、お城への入り口付近にはズラッと並べてありました。
その日はウイークデイだったのですが、それでも市内を歩く人も含めて観光客は少なくはありません。日本最古とされる木造5層の天守閣は、まるでお濠に直接建てられているように見えて、それなりに珍しい。
お城としては、これまで見てきた各地のお城の中で、サイズも色も岡山城のイメージによく似ていました。別名が「烏城(からすじょう)」とあるので全く同じと思ったら、岡山城は「烏城(うじょう)」と読むらしい。
どちらも戦国時代の末期に出来たようですが、松本城が早かったので岡山城が別名を譲った…かも知れません。
それはともかく、松本市が城下町のイメージを色濃く残しているのは、松本城が現存しているからでしょう。
やはり歴史を感じさせる街は、街角や店舗からさりげなく醸し出される「しっとり感」があります。私が見たい近代的な都市の姿とは異なるはずなのに、京都市や奈良市を筆頭に、街のしっとり感は良いですね。
近代的な街づくり、ビル街などを主眼において見てきましたが、少しずつ見方が多様化してきたかも知れません。もちろん、その都市の人口を見て判断するのは基本的には変わりませんが、多少の気持ちの変化も感じます。
人口をチェックするだけでは計れない、歴史ある街から感じる感覚は、街に抱擁されているかのようです。1つ前の甲府市、そして松本市と2つの街のダブル効果なのか、何となく感じ方の変化があったのは不思議です。
さてそうなると、松本市の次には善光寺がある長野市に行く訳で、どのように感じるか楽しみなりました。
◆長野市(人口 約37万人)
松本駅からは「しなの17号」と言う列車名、いかにも長野県を走るイメージの特急を利用しました。その乗客は当初1両に30人ほどでしたが、停車するたびに何だか段々と乗客が減っていきました。
終点・長野駅に着く時はついに1両に何と私1人と言う、特急電車としては大惨状で、かなり戸惑いました。JR中央本線は、本来は中部地方の幹線路線でしょうが、乗客減少は北陸新幹線が開通したためと思われます。
九州新幹線で経験したことと構図は同じで、新幹線が走るあおりを受けて中距離間の不便さが目立ちます。もともと中央本線を利用していた乗客が新幹線に流れた…1両に乗客1人では車掌さんもやる気は出らんやろ。
そんな変な経験をして到着した長野市ですが、予想以上に駅前付近は賑わいの姿を見せてくれました。着いた時間が夕刻だったので、薄暗い建物の窓々には明かりが付き、夜のとばりにネオンが輝いていました。
長野駅の正面出口には「善光寺バージョン」の装飾がドンと出ていて、いかにもアピールする力があります。小規模の街で自慢の建造物などをアピールするのはあり得ますが、約37万人の都市がここまで出すのも珍しい
「長野市に来た」と言うより「善光寺に来た」とまで思わせます。
その日のホテルは駅から歩いて5〜6分、チェックインしてすぐ街に出ましたが、繁華街は人も多かったですね。慣れない場所とは言え、方角をあまり間違えないはずの私が帰り道を迷ったのは、大都市の広島市以来でした。
さて翌日、3時間ほどの滞在時間としては当然のように善光寺参りと途中の長野市の街並みを見ることでした。長野駅周辺から善光寺までは、結構街の中を通るルートだったので、歩いて丁度良い時間の使い方が出来ました。
名高い善光寺ですが、街中の案内看板も多く、更に約1kmにわたって門前町の風情があったのはさすがでした。歩いたのが朝9時頃で、それぞれのお店はまだ開店前でしたが、お仕着せがましい感じがないのも良かった。
善光寺の資料では「無宗派の寺院」とありますが、各宗派が出来た鎌倉仏教以前から存在したからとされます。しかし実際には住職さんがいる訳で、天台宗の名刹から推薦された住職が貫主(かんす)として務めるとのこと。
善光寺は長野市ばかりでなく、全国各地に約200ヶ所もあるらしく、実際に甲府市にも甲府善光寺がありました。当時の善光寺聖(ひじり、半僧半俗の人)メンバーが善光寺如来への信仰のために全国に広めた…とあります。
神社では「お伊勢参り」、寺院では「善光寺参り」と言われるほどの立場なのは再認識しても良さそうです。まあそれはそれとして、私が受けた印象ではそんなに霊験あらたか…なのかと言えば、少し違うとも感じました。
善光寺をあらわした写真や説明文などを見てみると、いかにも崇高で格式が高い、訪れる前はそんな気分でした。しかし東大寺や法隆寺などの奈良のお寺、あるいは建長寺や円覚寺などの鎌倉のお寺に比して違和感があります。
広さで言えば、案内地図ではすご〜く広い敷地に仁王門や雲上殿、庭園などのあるのが分かります。ただあまり広くは感じないのは、一見して市街地(住宅地)の中にあるように見えるのが一因かも知れません。
実際に行ってみると、山門から本堂までの境内スペースが狭い上に、授与品所やおみくじなどが俗っぽいのです。風情がある参道(門前通り)でも、山門の直前に信号機付き生活道路が横切っているのは、いかにも興醒めです。
しかし良く言えば、それだけ市民生活にも密着していて、長野市民の支えとして貢献しているとも言えます。私のように信仰心が薄い人間が、客観的にあれこれ言っても仕方なく、厳として存在しているのは間違いない。
まあ、そんなことを感じながら参道を下る途中から左折して、メイン通りを長野駅まで戻ることにしました。駅に戻るまでの街並みは、建物以外にも道路の広さなども含めて、中堅都市としての存在感はあります。
作品名:ほんのちょこっと街ある記 14/松本、長野、富山、金沢、福井 作家名:上野忠司