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「ほんのちょこっと街ある記」11/新潟、会津若松、郡山、福島

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駅前にはホテル以外に目立った建物もなく、市内を歩くのをやめて周遊バスに乗ることにしました。私にとって、街として見るべきところはなかったのですが、鶴ヶ城だけは寄ってみたかったのです。
 
人口約12万人の街にしては鶴ヶ城は大きく立派で、過去の栄華を誇っているようにも見えました。昭和40年に再建されと言うことですが、会津若松市にとっては観光の目玉であるのは間違いありません。
 
ところで、明治維新の時には佐賀藩も「薩長土肥」の一角として、江戸幕府の解体に参画しています。会津若松市に行った時には「戊辰戦争のしこり」が残っているか、現地の人に尋ねたい…と思っていました。
 
会津藩にとって朝廷軍(官軍)は「にっくき相手、幕府に対しての裏切り者」と映っていたと思われます。特に佐賀藩が開発したアームストロング砲の威力を体感させたのが、上野の彰義隊と会津藩だったでしょう。
 
鶴ヶ城の説明のために活動されていた3人の観光ボランティアのうち、30歳ほどの若い方に尋ねました。佐賀から来たことを告げた後に、「会津では今でも明治維新の時に官軍から席巻された話題が出ますか?」
 
それに対して「お年寄りにはあるかも知れませんが、私の年齢では歴史の事実だけです。」との返事です。お年寄り…が何歳くらいなのか分かりませんが、話の途中では「祖父からの話」とのニュアンスでした。
 
当時の会津藩主・松平容保があれほど幕府に肩入れしなかったら、白虎隊の悲劇は無かったかも知れません。そんなことは言えませんでしたが、名高い白虎隊の名前を出すことが会津若松の観光に寄与しているようです。
 
私が訪れたその年、佐賀では「幕末維新150周年」を記念して10ヶ月にわたりイベントを開催していました。それに対して会津若松のポスター、バス広告、法被の背中などには「戊辰150周年」のキャッチフレーズが…。
 
同じ明治維新の頃に対しての言葉使いですが、立場が違うとこんなに表現が異なるのかと思わされました。ちなみに「青龍隊、朱雀隊、白虎隊、玄武隊」の名称を観光ボランティアの若い人はご存知なのかどうか…。
 
 
◆郡山市(人口 約33万人)
 
会津若松駅から郡山駅まで約60km、その間に猪苗代湖があり、湖が見えるのを楽しみにしていました。しかし山間地でもあり鉄道線路自体は随分と蛇行していて、しかも樹木が邪魔になりほとんど見えません。
 
景色を楽しむこともなく約1時間で郡山市に着きましたが、意外にも都市の雰囲気を持つ駅前でした。意外…と言うのは失礼ですが、人口約33万人にしては駅前ばかりでなく駅の構内も「都会」です。
 
そして駅の真横には、屋上にでっかい玉が乗ったような25階建てほどのビルが目立ちました。駅周辺だけを取り上げたら、見た目は新潟駅周辺より市街地として整った印象を受けたのは間違いない。
 
会津若松市から郡山市に来たら急に街が明るくなったようで、私が持つ福島県のイメージが変わりました。今回の予定に入っていませんが、福島県で人口が一番多い「いわき市」にも行ってみたい気になります。
 
九州の人間から言わせると、ハッキリ言って福島県・郡山市の名前はすぐには出てきません。さしたる観光地もなく知名度もそうでもないようで…だから駅に降り立った時に驚かされたのです。
 
しかし地図を再確認すると郡山市は交通の要所になっていて、そして企業の進出度も高いらしいのです。駅前の景観や建物が並ぶ街の姿を含めて地域NO.1としての存在感があり、予定以上に街を歩きました。
 
あたかも岡山県・倉敷市から広島県・福山市に行った時と同じような感覚になりました。ただ、福山市は約44万人に対し、郡山市は約33万人と考えるとグレードはこちらが一枚上です。
 
私の中には「人口でその街の感覚をつかむ」思いはあっても、やはり当たり外れがあるものです。郡山市は「当たり」の街と思いながら、もう一度駅の中を見て、2泊目の福島市へ向かいました。
 
 
◆福島市(人口 約29万人)
 
福島駅に着いたのは夕方4時半過ぎ頃でしたが、6月の日没は遅くてまだまだ十分に日が高い。人口は郡山市より若干少ないのですが、福島市も人口以上の街並みを感じさせる街です。
 
駅前の広場はやや広さが不足した感じでしたが、大きな花時計が飾ってあり、目の前にはビルも多い。駅舎自体は取り立てて変哲もない平屋建てでしたが、それでも駅構内の商店街には賑わいがありました。
 
明るいうちに駅前周辺を回るつもりで歩きましたが、感覚的には福島県の県庁所在地を意識していました。北海道を除けば岩手県に次ぐ面積を持つ福島県は、大震災に翻弄された代表的な地域なのです。
 
仙台に行った時もそうでしたが、大震災の影響などおくびにも見えないのは、時間の経過でしょうか。郡山市に寄った時と同様に、私にとっては明るい街と映ったのは良かったと思います。
 
駅の案内所で、その日泊まるホテルの場所を確認したら、地下道を通った駅の裏側です…と案内されました。ところが駅の構内には商店は多かったものの、駅の裏側に行けるような通路が見当たりません。
 
もう一度確認すると、地下道を通るためには商店街の一部から階段を下りる本当の地下道になっていました。新幹線の駅を作る際、普通は高架駅にして線路の下が道路であったり駅舎であったりします。
 
ところが福島駅は普通と違って高架駅ではないのでしょか、駅の両側は地下道でつながっているのです。はあ、変わっているなと思いながら、120mもありそうな長い地下道を通って駅の反対側に出ました。
 
すると、そちらには3階建ての駅舎があり商店もそれなりにあったので、まるでダブル構造の駅です。多分ですが、新幹線開通の時の新しい街づくりが奏功したのでしょうか、新鮮な雰囲気がありました。
 
反対側の駅前広場はゆったりと広く、モニュメントなども飾られて、貸自転車用の建物もあります。泊まるホテルは線路のすぐそば、出来たばかりの12階建てで、チェックインも全てタブレットでした。
 
そして、夕食のために駅の向こう側の繁華街に行こうと思っても、あの地下通路を通るのは億劫です。夕食は駅のレストラン街の和食店さんに入りましたが、たまにはそんなお店も良いものです。