端数報告4
そしてまた、この嘘は、去年の春から始まっている。5月に最初の緊急事態宣言が解除された後でみるみる妖精が増え、それまで1日数十人だったのが月末には200人とかになったけど、あれもまたこのトリックを使っていたに違いない。
日に千人を検査して65人だったのを次の日1100、1200、1300……と毎日100ずつ検査人数を増やしていけば、20日後に3千人を検査して、
「今日は195人を確認」
と言うようになっている。実は6.5パーのまま割合は変わってないのにだ。
後は6月に1日3500、7月に4000、8月に4500、9月に5000、10月は5500と少しずつ増やしていけば11月に日に6千人を検査している按配となる。ずっと6.5パーセントでまったく増えていなくても感染が徐々に、徐々にと増えてるように報道される。
そんなやり方していたのに違いないのがわかるだろう、〈朝日〉のこのページを見れば。7月第3週よりも前のデータがわからないがそれ以降はこの通り公表されているのだから。おれが見るまで誰も気づかなかっただけで、インチキのカラクリが見事にさらけ出されちゃっていたのだ。
厚労省でこれを出して見せてるやつが、自分が何をやっているのかわかっていないことになる。〈痴行〉だ。それもいいとこだ。てわけで、次に今年1月のデータを見せよう。第1週と第2週を今度は並べてお見せするが、
画像:1月第1週 第2週
こうだ。第1週の検査数は《58974》で前週とあまり違わないが、2週目が《78043》。
一週間で2万の増加! 1万4千増やすのも前は4ヵ月かけていたのに! 12月に1万5千増やすのも1ヵ月がかりだったのに!
それがこれだぜ。わかるだろう。おれは前に、
「妖精の割合が10パーとして、一日に1万人を検査すれば千人を確認できる。その翌日に1.5倍を検査すれば確認数は1500。次の日そのまた1.5倍をやれば2250を確認。1月7日の《2447》はそうして作ったに違いない」
だとか書いたけれども、これはおれの考えがおおむね正しかったことを示すものと言えよう。
新しく得たこの数字から推察するに、1月7日に1万7千検査すれば《2447》の妖精を出せる。翌8日からは毎日1万1千人。
――って、いやまあ、正直に言って、これだけではよくわからない。あるいは別のトリックが使われているのかもしれないが、とにかく《2447》が意図的に作り上げられたイカサマの数字、〈消防署の方から来た者の数〉であることに疑問の余地はなくなった。
と言っていいはずだ。感染状況を国民に知らせるための検査なら一日千人を決して変えずに、
「65人で6.5パー」「140人で14パー」
とやるのが正しい。そうでしょ。なのに、こんなやり方してるんだからね。
恐怖支配だ。そのための検査なのだと言うしかあるまい。勉強ができる人間がそうでない者を恐怖で支配するための検査。勉強のできる人間は、勉強ができるがゆえに勉強、勉強、また勉強の人生を送ることになる。勉強するのが仕事であり、年に一度、二年に一度といった具合に試験があり、試験の後にまた試験。途中に半年に一度とかいった具合に小試験。
そんな人生を送る者は、セオドア・カジンスキーに共感を覚える。町の図書館員だとか、この、
画像:福田充
学者先生とかは、
「お化けにゃ学校も、試験もなんにもない!」
という生活に憧れる。おれがセオドア・カジンスキーになんの共感も覚えないのは、学歴なんか持っていない人間だから。試験なんかなんにもない人生を送ってきてる者だからだ。
だから「原始的な生活に戻るべきです」と言われても、「バカ言え」としか思わない。〈一番搾り〉のトランクを人に見せびらかして、
「いいでしょー。これねえ、シールを……」
だとかいったことの連続な人生を送るおれにとって、やつの言葉はただ退屈なものでしかない。
学歴を持つ人間はその学歴の奴隷となり、試験勉強の連続である人生となって、エリート意識を募らせる。それはそのまま〈不満を募らす〉ということであり、オレは偉いんだ、偉いんだぞと、世に向かって叫びつけたい感情を持つことになる。世の中は学歴がすべてなんだ。それを持つ者が偉いんだ。学歴の低い人間は高い者の言うことにただ「ハイ」とだけ応えて従ってりゃいいんだ。
そんな感情を持つことになる。しかし大抵、折を見つけて何か言ってもすぐさま人にやりこめられてしまったり、自分が持っているものが社会で役に立たないことを思い知らされたりする。
「〈役人〉とは〈役に立たない人間〉の略。お前のことだ」
と言われたりする。なぜ。なぜだ。オレは勉強に勉強を重ねて厚労省の学者になった。そして、
『迷路の曲がりを角にした場合とカーブにした場合の、白ねずみが迷路をおぼえこむための所要時間の差異に関する論文』
だとか、
『アカゲザルの反応時間に及ぼす知能レベルの影響に関する論文』
といったものを書いた。
でも誰も読んでくれない。結婚式の二次会で、若くきれいな女を見つけて、
「ねえキミ、迷路の曲がりを角にした場合とカーブにした場合の、白ねずみが迷路をおぼえこむための所要時間の差異についてのおもしろい話があるんだが、聞きたくないか。ボクはその方面の世界的権威なんだけどね」
と話しかけてやると相手はタジタジとしたようすになるのでフフフ、と優越感にひたれるのだがその後がどうもうまくいかない。なぜか彼女は自分を好きになってくれないようなのだ。オレがどんなに偉いもんだか説明してやっているのに、それがわからんのか。これだから学歴の低いやつは。これだから学歴の低いやつは。これだから学歴の低いやつは……。
なんて不満を募らせていたところにコロナウイルスの登場である。これこそ学歴の低い者らに、高い人間の言うことにただ「ハイ」とだけ頷かせ、「これはやっちゃダメ」「これはやってよい」と決めてやることに一切の有無を言わせず従わせてやることができる、人生最初でおそらく最後の機会の到来。〈禍〉が終わったときオレが何百・何千という命を救ったことになる。いやひょっとして何万か何十万かを救ったことに。ことによったら人類すべてをオレが救ったことになる。
ひとりで! オレがたったひとりで! という、最初で最後のチャンスなのだ。オレのこれまでの勉強はすべてこのためにあったのだ。逃がすものか。このチャンスを逃がすものか。
という考えで頭を一杯にした結果、目の前にいる人間に、
「ボクはアナタの安心と安全を考えて言っているんです」
とニタニタ笑いながら言うようになる。
という、こいつはそれでいい気になれていいだろうけど、やられる方はたまったもんじゃない。そんな種類の恐怖支配。
それが〈コロナウイルス禍〉と呼ばれるものの正体であり、純粋にそれ以外のまったくなんでもありはしない。それがわかったところで最後に、今に縮刷版で見れるいちばん新しいデータを見せよう。おれがこれを書いてる現在、〈朝日〉は今年5月の分までが縮刷版になっているが、それで見れる最新のデータが、
画像:5月のデータ